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隊員の声 |
34普連「弁論大会」 |
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日々の成長 |
第1中隊 1士 相葉 孝 |
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私は、日々成長していると思っています。なぜなら、人は日々変化する事が可能であると信じているからです。しかし、この変化は、よい方向とは限りません。なぜなら、人は怠け、楽を求める動物だからです。しかし、その楽を求める心が今の私達の生活を豊かにし、住みやすい世界を作っているのです。ですから、私は変化とは考え方一つで、全て自分のプラスに変える事が出来るのだと思います。
自分の不得意なものに当たった場合、怒られてもなぜ怒られてしまったのかを、理解し反省して、次にうまく行動するイメージトレーニングをします。次に再び同じ失敗をしても、その時また同じようにイメージトレーニングしてください。それでもう確実に成長しています。しかし少しずつなので無駄だと思わず毎回行う事が大切です。そして、いつの日にか、それが出来るようになった成長した自分がいるのです。
一方、人はもともと上を目指す向上心も持っています。しかし、この心は時間を経て、怠け心に負けてしまう事が多いのです。そんな時は、自分が心に強く向上心を感じた時を思い出し、自分を律して初心に戻る努力をしなければなりません。初心を忘れず、毎日を過ごすことが出来たなら、その人は自分の理想に日々近づいていける事でしょう。
ところで、我々が真に必要とされる時は有事です。その時、我々は我々自身の理想以上に、助けなければならない国民の理想でもなくてはなりません。有事の現場は足がすくむほど、見てはいられないほど、それはそれは辛く厳しい所でしょう。また、強大な敵に立ち向かって行く所でしょう。しかし、その時こそ、我々が国民の理想に応え、最善を尽くし、国家と国民を守らなければならないのです。国民の理想それはそれは、高く崇高なものでしょう。それに応えるため日々、自らを律し成長し続ける事、それが我々自衛官に与えられた使命なのです。私は、その使命の重さを実感しながら自衛官のプライドを持って日々成長して行かねばならないのです。 |
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3曹教に入校して |
第2中隊 3曹 土屋 伸洋 |
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私は喘息という持病を持っています。本日、私が陸曹になる過程で立ち塞がった、喘息を克服した経験を話します。
喘息だと最初に分かったのは、約3年前に病院で診断された時だった。当初はまだ軽く、呼吸が少し苦しい程度だったが、冬以降、症状は徐々に悪化し、ひどい時は駐屯地を少し走るだけで呼吸が大変苦しくなる時もあった。それでも自分なりに工夫をして体力練成を続け、平成17年の夏に陸曹候補生に指定された。喜びの反面、翌年1月からの入校間の喘息の不安が募ってきた。
症状は秋以降更に重くなり、私は喘息に対して深刻な危機感を感じ、有効そうな方法を試していた。入校間は例年よりも寒く、私は毎日喘息の処置をしていたが、その努力も報われず症状が悪いまま教育は進んだ。そんな中、私の中で強く印象に残る日があった。2月上旬のその日は、東富士演習場に所々積雪があり、道路も一部凍っている状況で、一日中、戦闘訓練を実施した。昼食時、今日ハイポート(執銃駆け足)があれば普段以上に症状が出るかも知れないと思い「今日は…」と心の中で祈ったが、助教の口からハイポートを告げられた。不安の中、皆と一緒に走り始めたが、中盤以降、徐々に喘息の症状が出始め、皆から遅れ始めた。そして心の中で諦めの気持ちが出て止まろうとしたその瞬間、後ろから誰かに後押しされるのを感じた。それは普段からよく話す同期の一人だった。彼も決して余裕はなく、大量に汗をかきながら「頑張れ<CODE NUM=023B>土屋、全員で走りきるぞ」と励ましてくれた。そのお陰もあり、私は無事に走りきる事が出来た。
以来、私は応援してくれた同期のためにも、残りの陸教生活で最後までやり抜く事を自分に誓った。現在、私は無事に3曹として勤務をしているが、今思えば、私は喘息によって辛く苦しい経験もしたが、逆にその事で励まし勇気づけてくれた同期達の友情を深く実感する事が出来た。
今後は同期達への感謝の気持ちを忘れず、思いやりのある陸曹として、中隊で活躍していきます。 |
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入隊して得た事 |
第2中隊 士長 大上 航希 |
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自分は一昨年の9月に中隊配置になり、今は銃剣道訓練隊で日々の錬磨に励んでいます。入隊前までは将来に特別な目標もなく、特に、学生時代は進路について悩む事はありましたが、自衛隊に入隊する考えはありませんでした。しかし、自分は現在自衛官として勤務しています。
入隊の動機は、単純に「銃を撃ってみたい」という気楽な考えからでしたが、自衛隊の事は知らないまま入隊しました。教育が始まり、今までとは全然違う生活に、最初は驚きと困惑の連続でした。出身や年齢も違う人との団体生活、同じ班の一人がミスをすれば、班長・班付による連帯責任での反省等、また演習場では、ひたすらにハイポートをする時もありました。
今までの生活とのあまりの違いにやめようと考えたのは一度や二度ではありませんでした。しかし、教育が進み、同じ班や区隊の同期との生活が深まるにつれ、区隊内ではお互いに助け合って乗り越えようという連帯感がうまれました。ある班員がハイポート中に足を挫き、走れなくなった時は他の班員が交代しながら背嚢を持ち走りました。また、反省でも班員達からの、自分達も苦しいのに「頑張れ」「負けるな」という応援がとても嬉しく、そして心強く感じました。
そんな生活を続けていくうち、最初の頃の気持ちは薄れ、その生活を楽しめるようになりました。それは今までの生活にはない、苦楽を共にした同期達に親しみと信頼を感じたからです。皆さんは大袈裟と思うでしょうが、自分にはそれがとても新鮮で「やめたい」と考えていた自分が、前向きに変わっていけるほどでした。
現在、同期達は各部隊への配置で、バラバラになりましたが、同期達と過ごした教育期間は今までで一番の思い出であり、助け合う大切さなど沢山得るものがあった日々でした。今自分は任期制の陸士ですが陸曹を目指していきます。これからも新教で得たものを忘れず、助け合いながら乗り切っていき必ず陸曹になります。 |
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愛国心 |
第4中隊 3曹 民谷 大輔 |
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最近、よく耳にする「愛国心」という言葉に、皆さんはどのようなイメージを持っていますか? 辞書によると「愛国心」とは、国民が自ら育った、あるいは所属する社会共同体や政治共同体に対する愛着ないし忠誠を抱く心情であると明記されています。
社会共同体としての「国」への愛着とは「愛郷心」であり、政治共同体としての「国」への愛着とは「忠誠心」と考える事ができます。すなわち「愛郷心」が高まり「忠誠心」に転じ、ひいては「愛国心」につながるという事です。愛郷心とは家族や友人などその身の及ぶ範囲の愛する人々や、その愛する人々の暮らす山河に対する愛であり、これは誰しもが持っている感情であります。
伝統や文化に対する愛着や誇りからくる愛郷心を大切にして、それらを基礎にした健全な愛国心を育て育む事が大切です。たしかに過去において「愛国心」が歪められ、間違った解釈のもと、国民に犠牲を強いる原因になった事も事実です。しかし、平和教育の名のもとで、全てを悪と決め付け、必要以上に日本を貶めて、日本人である事を卑下する事が教育といえるのでしょうか? 過去の悪かった面、良かった面、両方をしっかり知って初めて自分の国を愛する事ができると思います。
私たちの暮らす国である日本は、美しい自然に恵まれ長い歴史と独自の文化を持つ国です。そんな日本を大切に思い、日本の事を理解して、どうすれば日本の為になるかを考え行動する事が「愛国心」であり、真の「日本人」であると私は考えます。これからも共に日本を愛し、共に育み、そして共に守っていきましょう。 |
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HOME's English Class |
(防衛ホーム英語教室) |
I GOT SPAMMED |
アイ ガッ スパッムド |
迷惑メイルが沢山きた |
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Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。暖冬の影響がいろいろなところで出てきているようですね。例年雪が多く降る地域では雪がなく、札幌の雪祭りやスキー場では、やはり雪集めが大変だと聞きましたし、逆に例年雪で閉鎖しなければならないゴルフ場では、雪がないので冬場でもプレーが楽しめ、客の入りも例年の2.5倍増とか。暖冬で白菜ができすぎた農家は、値段が暴落して出荷できない上に、原油の高騰でコストがかかり赤字だということです。複雑なものがありますね。
さて、今回の表現は“I got spammed"「迷惑メイルが沢山きた」です。SPAMは略語ではなく、スパム・ハムといわれている食品の名前です。それを動詞として使っているわけですが、1970年に放送されたモントン・パイソンというコメディから来ています。レストランで二人客が朝食を注文するときに、メニューを見ると全部のメニューにスパムが含まれています。卵とスパム、卵とソーセージとスパム、卵とスパムとスパム、ソーセージとスパムとスパムとスパムといった具合に、とにかく皿の上にスパムが乗っかるというメニューです。そこから電子メイルの世界で、リクエストもしないのに必要のない関係のないメイルが届く、たいていはコマーシャルメール、通称ジャンク・メイルという低俗な商品、ポルノ等のサイト紹介といったメイルが届くことをいいます。その番組自体にスパムが一杯出てきてうんざりというところから、spamは動詞で「ジャンクメイルが沢山くる」という意味で使っています。
すでに花粉が飛翔しはじめて、花粉症用のマスク着用の人も見かけます。気温の日較差がありますので、暖かい日でも寒さへの準備は必要です。年度末にむけて多忙になると思いますが、ご自愛ください。もうすぐ春です。
それでは、皆さん、See ya!〈スワタケル〉 |
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イラク派遣を終えて シリーズ |
防空指揮群通信電子隊 2空尉 松 浦 大 地 |
初めて他国軍とともに勤務 |
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色少なく、風は熱風、宗教や文化も違うあの地で、初めての海外派遣勤務を経験できたことに感謝しています。
派遣前、4ヶ月間の派遣期間は大変短いと感じ勤務に就きましたが、思っていたとおり派遣期間は、あっという間に終わってしまいました。4ヶ月で成果を出すために、早く環境に慣れて、早く仕事を覚える必要がありました。ただし、体の健康が第一です。私の部下も全員が初の海外派遣だったので、海外生活や地域環境に慣れるかどうかが初め気になりました。まあ、私の部下は大きな問題もなく、すぐに馴染んで仕事に打ち込んでいましたが。異国のせいか、新環境のせいか、4ヶ月限定の勤務期間がそうさせるのか判らないが、全国各地から集まってきた私の部下は本当に積極的に仕事に打ち込んでいました。日差しが強く、熱風吹きすさむ中の作業など、文句も言わずこなし(言っていたかもしれませんが)、作業計画を口々に討論している場面を今でも思い出します。整備で意見をぶつけ合い、それを私情に持ち込まない、それが生活していく上で重要だと思います。部下たちにはここで培ったチャレンジ精神を忘れずに、また自分の信念をもって何事にもチャレンジすることを忘れずに、原隊に帰っても勤務して欲しいと思います。
私が個人的に身をもって感じたことは、英語の重要さです。前々から言われていたにも関わらず、ようやく今回の派遣をもって気づくことができました。私にとって、他国軍と関係をもって仕事をするというのは初めての経験でした。通信という職種上、トラブルや諸調整の場合は必ず英語を使わなければなりません。仕事なので簡単に「イエス」と言うこともできず、何回も聞き直していたことを思い出します。相手もよく付き合ってくれたものだと感じます。しかし、英語を話していると段々と慣れてくるせいか要領を得てきて、伝わると、なんとなく気持ち良くなってきます。また、他国の人とコミュニケーションを取るということは自分の視野も広がっている気がして、気持ちが勝手に国際化というか大きくなって自己陶酔してきます。自己陶酔ではなく、当たり前のように英語を話す事ができれば、もっと派遣勤務を有意義にできたのでは、と感じます。今後、人道復興支援のように他国軍と協力することが多くなるのであれば、意思疎通の基本である英語に力を入れなければならないと感じました。
本勤務で、言葉で表せないくらいの経験をすることができました。私の自衛隊生活で、初任地を故郷とするならば、クウェートは覚醒の地のようなものです。色々と迷惑をかけましたが、このような経験をさせてくれた原隊、関係部署、そして両親に心より感謝しています。また、クウェートで共に働いた派遣輸送航空隊の皆さんの協力に感謝しています。そして最後に、14人の熱き部下たちの長として勤務できたことを誇りに思います。 |
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