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   2007年2月15日号
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「国緊隊」待機任務を完遂
《第4師団》
 第4師団(師団長・内田益次郎陸将)は1月15日、国際緊急援助隊の派遣態勢維持期間の終了に伴い、国際緊急援助隊派遣準備隊長(第4後方支援連隊長・鈴木昌芳1陸佐)が内田師団長へ派遣準備態勢維持終了を報告、編成を解組した。
練度維持に努める
 師団では、平成18年7月15日から今年1月14日までの半年間、アジア・大洋州の途上国における大規模な災害発生に備え国際緊急援助隊としての待機態勢を維持してきた。特にこの間、派遣物品等輸送に関する機能別訓練を海上及び航空自衛隊と実施するとともに指揮機関訓練、医療・給水等を含めた総合訓練により練度維持に努めてきた。
遅い正月気分満喫
 また、年末・年始間にも不測事態発生に備えた即応態勢を維持してきたため、編成解組式に先立ち、「餅つき」を実施するなど派遣準備要員が、任務達成の充実感と遅い正月気分を満喫した。

徳島教育航空群で初飛行訓練を実施
 徳島教育航空群(群司令・角田伸吾1佐)では、平成19年初飛行訓練を1月9日に実施した。
 午前8時にエプロンに整列した隊員約250名を前に、角田群司令から「まさに今日からは、防衛庁から防衛省へと移行、国連平和協力業務なども、これまでの付随的な任務から自衛隊の本来任務と位置づけられた。この安全保障に関する新たな国の体制は、国民の期待の現れであり、厳正な規律の維持に努め、精強性を維持し、より迅速、的確に任務を遂行しなければならない」と訓示があった後、徳島航空基地隊司令及び第202教育航空隊司令から初訓練開始報告が群司令に行われた。
 群司令の「只今から平成19年初訓練飛行を開始する。各編隊かかれ」の指示で搭乗員らは、救難機UH-60J・2機、練習機TC-90・3機に乗り組み徳島航空基地を後にした。
 当日は新春の快晴に恵まれ、各編隊は離陸後同基地上空を通過した後、小松島、眉山、大鳴門橋、大麻比古神社上空を巡る経路を約1時間かけて飛行し帰投した。また、小松島航空基地では、小松島航空隊と無線で新年のあいさつを交換した。

《特別寄稿 》
『防衛省』発進を祝う
国防の基を固める慶事
ジャーナリスト 櫻井よしこ
 周辺の国際情勢からみて、今年は日本にとっての乾坤一擲のときです。今年、日本がどれだけ自立した国家に成長することが出来るか。そのことが以降の日本の運命を決するといえます。そのような年に防衛省が誕生したことは歴史の必然性から、また日本の国益からみて、これ以上喜ばしいことはありません。
 古代ローマ帝国の時代から、国家の最重要課題は、国防の基を固めることでした。国民が心を合わせ、政治家が叡智を結集して、国家の存続を確かならしめ、国民の幸福を増進しなければなりません。そうしたことの基本は確かな国防力、充実した軍事力があってはじめて形成されます。国際情勢の変化にも対応出来るよう、十分な軍事力を備え、他の諸国との距離を賢く測りながら、軍事力を運用することが求められています。
 防衛省は実に重要な時期に、重要な役割を果たすために誕生しました。大いに期待しています。

政治と現場の信頼醸成を
作家 麻生幾
 これでまともな組織になった-そんな言葉をどこかで聞いた。だがいったい何がどう"まとも"になったのか、正直言ってよくわからない。それが防衛省発足を受けて感じる印象である。以前から防衛省首脳部の次期ポストを巡って、官邸や防衛大臣の意向が影響するのはけしからんとの囁きが飛び交っている。が、常々不可思議に思っていたが「政治」が介入するのは当然ではないか。いや、そもそもそれだけでも奇妙だ。各自衛隊の最高幹部の人事もまた「政治」は関与すべきだ。それでこそ『まとも』といえるのではないか。
 だが、そこには"条件"が付く。「政治」が防衛の現場を身をもって良く知ることである。そして、現場から信用を勝ち取ることだ。中国原潜による領海侵犯事件で、マスコミに洩れることを危惧されて、『サニタイズ(加工)された』航跡図を見せられるようではシビリアンの崩壊であり、『まとも』ではないのだ。

イラク派遣を終えて シリーズ
空自第1輸送航空隊 第401飛行隊 1空尉 土持 武将
1年で最も暑い時期を体験
 私は、今回9期後段要員として4月から8月までの約4ヵ月間、イラク復興支援派遣輸送航空隊の飛行隊に勤務していました。依前、1期の後段要員として派遣されて以来、今回が2年ぶり2回目の派遣でしたが、当時と現在の違いを思い浮かべながら派遣輸送航空隊における生活等について紹介したいと思います。
 まずは、現地の気候ですが、前回の派遣時期は2月から4月の非常に涼しく過ごしやすい時期でしたが、今回は1年のうちで最も暑い時期を経験することとなりました。話に聞いていた50℃という気温を体験することは無かったものの、日中47〜8℃という状況の中、朝方はやはり涼しいと感じましたが、それでも30℃以上の気温であるということが日本にいるときの感覚からすると違和感がありました。
 次に、派遣期間が前回は3ヵ月間、今回は4ヵ月間と1ヵ月長くなり、実際に勤務していて長いと感じましたが、現在は食堂で日本食を食べられるということが生活の大きな支えとなっているように思いました。前回派遣時は、クウェートの料理が主で帰国間近には、さすがに飽きを感じていましたが、現在は派遣輸送航空隊の食堂が出来、日本人のシェフが毎日美味しい料理を作ってくれます。
 また、以前は宿舎でインターネットやメールをしようとすると、ネットワークに接続するために一つないし二つの電話回線を順番待ちしなければならないような状況でしたが、現在は各居室に高速のネットワーク回線が引かれ、機材を接続さえすればパソコンでテレビ電話まで出来るようになっており、家族との連絡が取り易くなっています。私も、前回派遣時には独身でありましたが、今回は安否を心配する妻が居りましたので、このような環境が整えられていることは非常にありがたく思いました。
 最後に、余暇等の過ごし方ですが、休日にはクウェート市内への外出も可能で、初めの頃はものめずらしさもありましたが、クウェート国は観光施設や娯楽施設というものが非常に少なく、今回は、ほとんど基地内で運動をしたりして過ごすことが主でありました。しかしながら、運動をするといっても日中の暑さの中ではさすがに無理なので日没後に活動していましたが、同じ基地内に駐留する米軍施設内で開かれる、エクササイズ教室に参加したり、米軍主催のビーチバレーボール大会や、ソフトボール大会にチームを作って参加したりしていました。特にソフトボール大会では飛行隊で参加し、3位入賞の成績を収めることが出来、米軍との交流も深めることが出来ました。
 イラク復興支援の任務が始まって2年以上が過ぎましたが、まだこの任務が継続される以上、また派遣の機会があると思いますが、今後も今回感じたこの任務に携わる方々、家族の支援のありがたみ、他国との関係等を忘れずに臨みたいと思います。

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