防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   967号 (2017年11月15日発行)
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肌で感じる!〜誓いをあらたに〜
御巣鷹山野外行動訓練
飛行点検隊
 航空自衛隊支援集団飛行点検隊(司令・吉廣敏幸1空佐=入間)は、7月21日と8月25日の2回に分け「慰霊の園」を含む群馬県多野郡上野村御巣鷹山周辺で「御巣鷹山野外行動訓練」を行った。これは、災害派遣等を想定した野外行動能力の向上を図り、任務遂行に必要な体力及び気力の向上を図るとともにJAL123便航空事故の概要及び事故・慰霊現場を辿ることにより、使命感、責任感及び安全意識の高揚を図ることを目的として行った。
 1回目は飛行隊員等9名、2回目は飛行隊長以下13名の延べ24名が入間基地を朝早く出発、陸路で御巣鷹山へ向かった。御巣鷹山へ入山後は現地において事故当時の状況を思い描きつつ登山道を進み、御巣鷹の尾根管理人からの説明を受けながら当時の状況を偲んだ。また、麓にある「慰霊の園」では慰霊塔や資料館で慰霊をし、当時の状況を学んだ。
 これにより、当時の捜索救助活動の困難さを感じつつ使命感や責任感を痛感するとともに、特に、「飛行安全に係る安全意識」を、事故現場を行動することにより肌で感じさせ、更に高揚させ、航空事故は2度と起こしてはならないと改めて誓った。(所感文を2回に分けて掲載します)
航空機整備班 伊藤哲寿2空曹

 今まで私にとってテレビ番組や新聞等の報道でしか触れたことのないJAL123便墜落事故ですが、この度事故現場である御巣鷹山の尾根に慰霊登山を兼ねた現地訓練機会を得ました。予てから一度は訪れてみたいと思っていた場所でした。事故から32年という長い年月が過ぎた後ではありますが、私が感じた率直な感想を述べたいと思います。
 事故現場は想像していた以上に急斜面でとても人間の住めるところではなく、わずかな距離を移動するにも一苦労であり、気が付くと私と周りの皆も息切れしていました。現在山を管理している案内の方によると、遺族の方々には高齢者も多く、慰霊登山は苦労しているとのことでした。
 登山当日は天気がよく、JAL123便が墜落の数秒前に右主翼をひっかけたというU字溝をはっきりと見ることができました。事故から長い年月を経ているのに、不自然に山が削られたままの光景は非常に不気味でした。さらに、事故当時引き起こされた山火事で黒焦げになった大木がそのまま残っており、当時にタイムスリップしたような、凄惨たる現場の真っ直中にいるかのような感覚に陥りました。
 多くの犠牲者の墓標には「・・・の魂よ。安らかなれ」「・・君。安らかに」等書かれておりましたが、機体に異状が発生してから墜落までの30数分の間に激しい縦揺れ、横揺れ及び偏揺れといった複雑な揺れに襲われ、訳も分からない状態で命を奪われて、果たして安らかに眠れるのでしょうか?
 墓標に書かれている名前や、墓標の近くに置かれていた犠牲者の生前の写真からは、恐怖、怒り、無念といった感情が伝わってくるようでした。慰霊登山に訪れる方々は平日にも関わらず後を絶たず、山道ですれ違う度にあいさつを交わしました。中には喪服を身にまとい、こちらのあいさつにも反応せず、うつむいたままゆっくりと事故現場を目指している方もおりました。おそらく遺族の方だったのでしょう。事故の悲痛な思いを胸に秘めているようで、32年という年月ではまだまだ悲しみは癒えるものではないのだと痛感しました。
 この様な事故は二度と起こしてはならず、風化もさせてはいけません。
 2017年現在、事故をリアルタイムで見聞きした世代は減りつつあり、この様な現地訓練(慰霊登山など)や昨年研修した日本航空安全啓発センターへの研修は、風化防止に非常に効果があると思いました。
 昨年の部外講話で来基された自治医科大学教授の講師が話されていたように「危険は無くせない。リスクを下げよ」といった意識を持ちつつ、「目配り。気配り。心配り」といった心の眼でもって、無くならない危険という雑草を初期の段階で摘み取り、事故防止に努めていきたいと思います。

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航空機整備班 石川利克3空曹

 私は、日本航空123便墜落事故については、空自安全の日で何度も教育されていましたし、概要もある程度知識はありましたので、御巣鷹山には1度訪れたいと思っていました。
 また昨年、羽田空港近くにある、日本航空の安全啓発センターにも研修する機会があり、機体の残骸や乗客の遺留品を見学していたので、慰霊登山をしたい気持ちは深まっていました。
 その、安全啓発センターで見た手紙が今でも忘れられません。その内容は、「○○(妻の名)、○○(子の名)をたのむ」と、手帳に震える文字で書いてありました。油圧系統が失われた後、30分間の不安定な飛行の最中、死を覚悟し、家族を残してという無念さが伝わる文章と力強い文字でした。自分も子を持つ親として、同じ立場だったら、どんなに悔しかったのか、涙が出る思いでした。
 墜落現場である御巣鷹山の尾根には、険しい山道を車で1時間ほど走るとたどり着けます。木々が多く生え、登山道もきれいに整備されており、とても520名もの死者を出した事故現場とは思えないところでした。しかし、山頂に近づくにつれ、遺体発見場所の印があり、それらが広範囲にわたっていました。また、家族写真や記念の品が数多く飾られてある場所もあり、遺族の強い思いを感じられ、ここが墜落現場なのだと、実感できました。
 飛行点検隊でも、昨年4月の大事故を経験し、6名の仲間を亡くしました。遺族の方々の悲しみ、上司、同期、部下の方々の悲しみ、自衛隊としての悲しみ、部隊としての悲しみ、これらの思いを目の当たりにしました。私は、航空機に携わる人間として、これらの悲惨な事故は二度と起こさないようにしなければならないと、その場所を訪れることによって再確認しました。航空業務関連の従事者にとって、御巣鷹山は訪れる意義がある場所であると思います。私は隊で安全係空曹を拝命していますが、これからの日本航空123便墜落事故の教育など安全教育の際には、今回の体験を生かし、周囲の隊員に体験談を話すことによって、よりよい教育が普及できるよう努めていきたいと思いを新たにしました。

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電子整備班 久米田康太1空士
 私は、8月25日に行われた日航機123便墜落事故現場である御巣鷹山での野外行動訓練に参加し、航空機事故の悲惨さを改めて考えることができた。
 この訓練に参加するまでは、日航機墜落事故の事をあまり耳にしたことがなく、行くことになってから初めて詳しく知ることができた。事故からは32年が経っており、現在においては事故当時まだ生まれてない人間が多くなり、事故の事を知らない人が多くなっているのではないかと感じていたが、この訓練に参加して改めて、520名が犠牲となった「この事故を風化させてはならない」と強く思うこととなった。
 また、私たちの訓練と同じ時間帯に、日本航空の新入社員が研修で来ており、会社としても風化防止に努めており、とても大事なことだと感じた。
 事故現場は、長野県上野村という山奥深くにあり、登山して御巣鷹山の尾根に到着するまでは、大変な道のりだった。隊員が災害派遣に行った当時は道路も舗装されていない状況で、体力的にも精神的にも相当な労力だったのではないかと当時を振り返った。私は、まだ災害派遣任務に参加したことはないが、もしそのような機会があれば、そのような厳しい環境に「負けない体力と精神力を持って」参加しなければならないと感じた。
 御巣鷹山の尾根からは、日航機の翼端が接触して削れた山が見え、事故の生々しさが見ることができた。過去に起きた事故現場に行ったりすると、資料館等での映像や説明はあったりするが、イメージしにくい部分もあるが、事故当時から唯一変わっていないという削れた山を見ると、当時の事故の状況を実感することができた。
 私の所属する部隊においても、平成28年4月に鹿児島県海上自衛隊鹿屋航空基地近くの御岳山において航空大事故が発生した。私は、当時まだこの部隊には配属されておらず、航空自衛隊に入隊したばかりであった。教育隊でその事故のニュースを聞いた時、とても衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。その後、この部隊に配属になり、先輩方から色々な話を聞くことができ、今後、「航空機の事故を絶対に起こしてはならない」ということを心に刻むことできた。航空機に触れる機上電子整備員としてスタートした時期に大切な話を聞くことができたことはとても貴重なことであり、またこの御巣鷹山での野外行動訓練に参加し、たくさんの事を学ぶとても良い経験になった。絶対に、この安全への思いを忘れることなく、これからの勤務に励んで行きたい。
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電子整備班 村上和秀2空曹
 入隊後、諸先輩方からこの捜索・救助活動に派遣された話を聞いて以来、先輩たちが「どういう活動」をして「どんな場所(環境)」での活動だったのか、自分も感じたいと思っていた場所の一つであり、今回、御巣鷹の尾根に登り慰霊することができ、「感極まる想い」がありました。
 この事故については、子供の頃はニュース等の報道で見る程度で詳しい事を知りませんでした。しかし、あの悲惨な事故現場に足を踏み入れた瞬間、身の引き締まる凛とした空気を感じ取ることができました。
 また、慰霊の園(展示棟)でビデオ視聴と遺品等の見学をした際には、当時とんでもない事故が起きていた事を改めて深く感じる事ができ、さらに、山に入れば当時険しかった山道も整備され多くの慰霊碑などが設置されており、それぞれの慰霊に手を合わせる事ができました。
 そこで私は、御巣鷹山現地訓練に参加して、三つの事を考え、感じることができました。
 一つ目は、当時は悲惨だったであろう現場を目の当たりにして、32年経った今でも風化させることなく語り続けられ、また、遺族の方々はもちろん、友人や会社の同僚等、多くの方々の深い悲しみが続いている事を瞬時に感じ取ることができました。更に、周辺住民の方々の厚い御支援が続けられ、今日まで「慰霊祭の日」のみならず、日々訪れて手を合わせていく方が多くいらっしゃる事を知り、ひと度、大事故や大惨事が発生すると半永久的に悲しみや反省が続いていくのだと強く痛感させられました。また、我々においても「更に安全を追求」しつつ、前に進んで行かなければならない事を考えさせられました。
 二つ目は、万が一、事故が発生した際の対処、災害派遣など隊員としての活動について考えました。道なき道を進み、足場も悪い中捜索、機体回収及び救助活動等を行わなければならず、事故が山中で起きるとも限らず、海上や市街地で発生するかもしれない事を想定すると、個人的な体力の維持及び入間基地、我が隊に「求められる行動能力の向上」を常に図らなければならない事を深く考えさせられた良い機会でした。
 また、現在も行われている各種の派遣対処訓練においても警察、消防、周辺住民の方々との協力が有ってこそ捜索活動、救助活動がスムーズかつ整斉と行えるのだと改めて感じました。
 三つ目は、これからの「整備や業務に対する姿勢」について考えさせられました。御巣鷹山の事故と我が隊で起きた航空事故から多くの事を学ぶ事ができるように、日頃の整備、各種点検、各種記録作成(デスクワーク)等に至る全ての業務において信頼性のある、品質の高い物や作業等を維持継続していき、今後この様な悲劇を起さない、起こさせない気概を堅持し、整備業務にあたっていきたいと意識を改めさせられました。
 今回の現地訓練に参加して、人から話を聞くだけでなく過去に大惨事が起きた現場へ行き沢山の物を実際に見て、多くの事を感じ考えさせられた良い機会だったと強く思いました。

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