「政治は最高の道徳である」。戦前の浜口雄幸元首相が残した言葉で、戦後では福田赳夫元首相の口癖だった。現在の自民党にも、「政治は最高道徳」を政治信条とする政治家がいる。
しかし今の日本は、政治資金の裏金問題とか、政治家の不倫問題などがスキャンダラスに報道され、政治家に道徳など期待できない、政治家が道徳を口にするのがおこがましい、といった風潮がある。こうした、日本に見られる、ただ政治の悪さを嘆き、政治を軽蔑する風潮はよくないと私はいつも思う。
一方、「政治は最高道徳である」はすばらしいものの、この政治信条の実践は、真面目な意味で本当に難しいと思う。実際の政治的活動において、具体的にどう決断していくのが最高道徳になるのか容易にわからないからである。政治学者マイケル・サンデルは正義とは何かを追求し、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養の三つのカテゴリーから正義を論じた。現実の具体的案件に直面する人間が、どのように判断し、決断し、行為するのが正義といえるか、多くの具体的事例に即して検討し、幸福、自由、美徳という申し分のない正義のカテゴリーも、一律にそれだけを金科玉条とする判断では正義にならない場合もあることを示した。同様に、人々の幸福、自由、美徳の実現が最高道徳であると考えても、政治家が現実的具体的問題に直面してどう判断すれば最高道徳に適うのか、容易にわからない。
また、近代政治学は政治に関する実証的、経験的、科学的な研究を主たる研究領域とし、政治に関する哲学的、倫理的な考察、あるいは政治や国家の本質や目的、実現すべき理念や価値などは、政治学の重点的な研究対象から除外される傾向にあるように見える。近代の学問の専門化傾向、分析的、要素還元的傾向と軌を一にする傾向だろうか。しかし、共同体の中で生きる人間のあり方を問う政治学は、必然的に倫理、道徳を広く含む研究となるのであって、その観点から近代よりも古代のアリストテレスに、より普遍的な政治学の考察が見られるかもしれない。アリストテレスは政治学と倫理学を一体的に考察した。アリストテレスは道徳の根底にある「善」を考察し、「善こそが政治の究極目的である」、「最高善は政治的である」と言い、政治的共同体の至高目的は国民の美徳の涵養にあると説いた。
日本の政治家が「政治は最高道徳」と言うとき、「最高道徳」は単に道徳の一徳目ではなく、個々の道徳を含みつつ、これを超えた高度の総合的な道徳的判断力、善の実行力をイメージしていると思う。狭量な道徳的判断でもなく、教条的な判断でもない、おそらく愛と勇気に満ちた理性的な道徳的判断力、実行力であろうが、これを常に誤らず現実の政治に実現するのは至難のことで、これができる政治家は多くないだろう。
しかし、「政治は最高道徳」という政治信条をもつ政治家は、そうでない政治家よりすぐれた実績をあげてきたのではないか。完全に実践できなくても、こうした政治信条は政治家に良き政治的判断をもたらすと信じる。浜口雄幸元首相、福田赳夫元首相はすぐれた、良き政治家だったと思う。政治家の不徳をいたずらにあげつらうのではなく、「政治は最高道徳」を信条とするような良き政治家を我々は支援していきたい。
(令和6年7月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |