我々日本人が中国人、中国文明を理解するのは難しい。古来、文明は中国よりもたらされ、日本人は中国に敬意を抱いてきた。中国は「己れの欲せざる所は、人に施すなかれ」(『論語』)といった、人倫の基本を説く孔子のような聖人を生む国だった。しかし現代中国はこうしたイメージからほど遠い。
中国は民主主義者を弾圧し、人権を無視する。天安門事件など政府に不都合な事実はなかったことにする。「南シナ海の中国の領有権主張は法的根拠なし」という国際仲裁裁判所の判決を、こんな判決は紙くずにすぎないと平然と無視する。
中国の史書『資治通鑑』を精読して『本当に残酷な中国史』を著した麻生川静男は言う。現在の中国の政治・社会を支配する基本理念は、我々が知っている中国古典の世界ではない。中国は4世紀の晋以降、漢民族と異民族が混在する世界となり、それ以前の時代と様変わりした。長期にわたる異民族との苛烈な闘争を経て、徳治や仁義といった政治倫理が地に落ち、詐術と武力が支配原理となった。それ以降現代に至るまでの千五百年間は、根本部分において中国は変わっていない。現代中国人は『論語』の時代の中国人と「類」が異なる、と。
麻生川は『資治通鑑』を読まずして中国人を理解するのは不可能と言う。毛沢東は史書を好み、特に『資治通鑑』を愛読した。毛沢東の言動や策略には『資治通鑑』のエッセンスが極めて忠実に反映されているという。
『資治通鑑』は北宋の司馬光(1019-1086)がリーダーとなって、数十人の編纂チームが20年かけて書いた1万ページに及ぶ大部の歴史書である。史実に忠実であることを旨とし、官吏の底なしの苛斂誅求、桁違いの賄賂政治、盗賊や軍閥の理不尽な寇掠と暴行、食人の風習、無実の罪をでっち上げて臣下を次々と殺す暴君、前王朝の一族及びその子孫及び高官の一族全員を処刑した新君主、重病だがまだ生きている多くの人を既に死体となった人とともに焼却し、「洗城」してしまった武将、賊軍だけでなく官軍からも財産を気ままに収奪され、簡単に生命を奪われる民衆の悲惨、等々中国の残酷な歴史が詳しく書かれている。
麻生川は歴史に頻出する中国人の策略を紹介している。表では友好を装い、裏では陥れる策を練る。奸計で無実の人を陥れる。義を守るためには汚い手段も辞さない。面子を守るためには不正、不義も断行する、など。特に面子へのこだわりは徹底している。社会的地位の高い人間の面子のためには、下女の二、三人(あるいはもっと多く)が死んでも全く痛痒を感じないのが中国の伝統であり、それは現在も脈々と受け継がれている。
中国は「騙される方が騙すより悪い」という社会である。『資治通鑑』も、人を信頼して殺され破滅した事例に満ちている。麻生川は言う。真心を尽くせば必ずわかってもらえると策もなく対応するのは、中国においては無謀以外の何ものでもない。軽々しく人を信じず、謀略を巡らす必要がある。
『資治通鑑』には、自己の生命を賭して義を貫いた人も多く書かれている。中国人は日本人の想像を絶する異民族とのすさまじい寇掠を生き抜いてきたたくましさがある。現実の中国と向き合う前に『資治通鑑』のような史書を読み、彼らの思考体系の一端を把握することが、「平和国家」の僥倖に恵まれた日本人に必要である、と麻生川氏は言う。
(令和2年12月15日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |