弘法大師空海(774-835)は、昔より「お大師さん」として日本の庶民に親しまれ、信仰されてきた平安時代の高僧である。日本の仏教は一般的に鎌倉時代になって法然、親鸞、道元、日蓮などによって仏教として成熟し(鎌倉新仏教)、庶民に広まったとされ、それ以前の仏教は鎮護国家思想としてあまり高く評価されずにきた。
しかし私は、平安時代の弘法大師空海こそ釈尊以来仏教史に出現した世界的な巨人で、日本仏教の到達した最高の人であったと思う。
空海は日本真言宗の開祖であるが、空海の偉大さは一宗派の開祖にとどまらない。釈尊の始めた仏教は発展して数百年後に大乗仏教を生んだが、インドにおける大乗仏教の最後の発展形態が密教であり、空海は密教の完成者であった。
空海の教えの中心は、「即身成仏」思想とその実践体系にある。即身成仏とは親からもらった身体のままで仏になることである。仏になるということは、「さと(覚)る」ということ。「覚り」を得て煩悩、苦しみから解脱する教えが仏教であるが、覚者となった釈尊のあまりの偉大さゆえ、凡夫が覚りを得るには無限の時間の修行を要し、生きているうちに覚者になるのは事実上不可能との考えが、密教以前の大乗仏教で支配的となっていた。これに対し、密教では誰でも生きている身体のまま速やかに覚者(仏)になれると説き、その実践方法を述べている。
空海は、人は三密業によって即身成仏するという。三密業とは、身密(身体の活動)、語密(言葉の活動)および意密(精神の活動)である。実践者は、身密、語密、及び意密を大日如来(仏)になったように実践する。すなわち、手に印契を結び、口に真言を唱え、仏と同じように瞑想すると、大日如来と自己との間で加持が働き、成仏する。加持は、大日如来の慈悲と自己の信心との共鳴である。
文藝春秋社の創始者で作家の菊池寛は言う。「日本の精神界の偉人として、また故国讃岐の大先覚者としての弘法大師の事績に親しんでいるうちに、だんだんその教理方面にまで心が引き入れられてきた。その教理の骨格をなす即身成仏ということばほど、大きな自尊心を人間に与えるものはあるまいと思う。文芸も宗教も科学も、一切がここに落ちつくような気がする。浄土教では極楽に行ってから成仏すると教えるそうだが、現世で成仏する方が、我々には意義深い。この即身成仏思想は、仏教を最も偉大な宗教にしている。その意味で弘法大師の教義は実に雄大だと思う」。
空海の密教思想は、遠い平安時代の昔より、現在に至る日本人の宗教意識に大きな影響を与えてきた。密教では、現実世界(自然)は宇宙仏たる大日如来を象徴するものとして聖化される。宇宙は大日如来の身体であり、自然は大日如来の聖なる生命の充満する世界である。こうした密教思想が、自然を生命にあふれる世界と見る日本人の意識を育んできた。
空海は万能の天才であった。空海の衆生済度活動は宗教にとどまらず、四国満濃池の築堤、庶民のための最初の学校である綜芸種智院の創設などに及んでいる。
弘法大師空海は日本文化の恩人であり、日本の誇りである。空海の思想と事績は我々を勇気づけ、我々に限りない可能性があることを教えてくれる。国力低下の懸念される令和の日本に希望と力を与えてくれる。
(令和2年11月15日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |