松下幸之助(1894-1989)は「経営の神様」といわれた昭和を代表する実業家である。1918年(大正7)創業した松下電気器具製作所を、一代で日本を代表するような大企業(現パナソニック株式会社、従業員数26万人、売上高7兆5千億円)に育て上げた。また戦後まもなくPHP研究所を設立して倫理教育に乗り出し、晩年は松下政経塾を立ちあげて、政治家の育成に情熱を傾けた。
生家が破綻し小学校4年までしか行けず、丁稚奉公からスタートした松下の94年の生涯は、波乱に富んだ成功の立志伝である。松下電器産業は、戦前すでに日本を代表する企業の一つとなっていたが、戦後さらに成長した。1950年以降松下は長者番付で10回全国1位を記録している。最晩年には民間人として異例の勲一等旭日桐花大綬章を受賞した。
松下の成功は、経営の神様といわれた松下の経営哲学の正しさを証明する。それは一見平凡にみえるが、本当の実践知であり、奥深い叡智であった。以下、そのいくつかを拾ってみる。
寝ても覚めても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。万策尽きたと思うな。なすべきことをなす勇気と、人の声を私心なく耳を傾ける謙虚さがあれば、知恵はこんこんと湧き出てくるものです。失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい。よく人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。私はどんな話でも素直に耳を傾け、吸収しようと努めました。逆境もよし、順境もよし、要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。素直な心になれば、物事の実相に従って、何が正しいか、何をすべきかということを、正しく把握できるようになる。志低ければ、怠惰に流れる。こけたら、立ちなはれ。むつかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、本当の仕事をする姿ではない。人の長所が多く目につく人は幸せである。叱るときは、本気で叱らんと部下は可哀想やで。世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということやったら、必ず成就します。百人までは命令で動くかもしれないが、千人になれば頼みます、一万人になれば、拝まなければ人は動かない。企画したことが全部成功したら危ない、3度に1度失敗するくらいがちょうどいい。鳴かぬならそれもまたよしホトトギス。誠実に謙虚に、そして熱心にやることです、等。
松下は最晩年(昭和の終り頃)『崩れゆく日本をどう救うか』という著書で、日本の根本的問題として(イ)日本人がお互いに誰が悪い、かれが悪いと非難ばかりするようになった、(ロ)誰かが何とかしてくれるだろうと、他に頼り、自分の力でやるといった自主性、独立心が薄くなった、(ハ)福祉の向上は結構だが、政府に打ち出の小槌があるわけではなく、みな国民が営々と働き、生み出した税金によって賄うのである。国民が政府にあれこれして欲しいと要望するのは本末転倒。(ニ)日本は国民の国家意識が世界で一番といってよいくらい薄い。政治が力強い指導性をもって国民の間に正しい国家意識を培養していくことが必要。政治に指導性がないのは国家百年の計を生み出すような方針、すなわち哲理がないからではなかろうか、などを挙げ、昭和の日本が行き詰まっていると述べている。
松下が昭和の終わりに指摘した日本の問題は、平成の30年間そのまま持ち越され、令和の今深刻化している。
(令和2年8月1日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |