昭和の佐藤栄作首相は、1972年(昭和47)6月17日、長期政権(7年8ヶ月)の退陣を発表したが、記者会見の席で、「新聞記者は出て行ってくれ、偏向している新聞は嫌いだ、私は直接国民に語りかけたい」と言い、記者たちが憤慨して出ていった会見場で一人テレビに向かって語り続けた。
翌朝の新聞は、囂々たる佐藤栄作非難記事に満ちていた。私は当時、社会人3年目の若造であったが、佐藤首相の行動は非難されるべきで、新聞の方が正しいと思っていた。しかし、社会人として経験を重ね、新聞がいかに真実を伝えないかを知るにつれて、佐藤首相の方が正しいと思うようになった。佐藤首相は、何かにつけて曲げて報道する新聞に我慢ならなかったのである。
新聞はしばしばウソを報道する。いわゆる虚報である。二、三例を挙げる。
1982年(昭和57)6月26日、日本の各紙が、「文部省の検定によって日本軍の中国への『侵略』が『進出』に書き換えられた」と報じた。後で判明するがこれは大誤報であった。事実は、検定によってそのような書き換えを行った教科書は一つもなかったのである。しかしこの報道は重大な外交問題を生んだ。中国・韓国は日本に抗議し、教科書の書き換えを強く求めた。当時の日本政府は、「政府の責任において教科書記述を是正する」、「検定基準を改め、アジアの近隣諸国との友好、親善が十分実現するように配慮する」という宮沢喜一官房長官談話によってこの外交問題を収めた。この談話は、その後の日本の歴史教科書に大きな負の影響を残した。
今、韓国が従軍慰安婦に関するウソで固めたプロパガンダを世界に拡散しているが、その発端は、朝日新聞が吉田清治という人物の「私は慰安婦狩りをした」というウソを、長期間にわたって報道し続けたことにある。
また朝日新聞は2014年5月、事故を起こした福島第一原発職員の行動に関し、ウソを世界に流した。朝日は、福島第一原発職員の9割が2011年3月15日の朝、吉田昌郎所長の命令に違反して、原発から撤退した(命令に背いて原発から逃亡した)、と報道した。しかしこれは虚報だった。事実は、福島第一原発の原子炉事故が進展する中、第一原発には総勢700人の関連職員がいたが、事故対応に必要な最少人員の数十名を残し、それ以外は安全な福島第二原発に待避せよ、という吉田所長の指示どおりの行動だった。朝日の報道に、これが虚報と知らぬ世界のメディアは大きく反応した。朝日は虚報によって、日本人を貶めたのである。
日本の新聞の特徴は、社是、特定のイデオロギー、主義主張に沿う事実だけを見つけて報道することにある。そして主義主張に不都合な事実は、報道しない。上から目線であり、事実を真摯に発掘する姿勢に欠ける。特定の主義主張の運動体のようになった一般紙に、果たして存在意義があるのかと私は思う。
戦前、満州事変以降、日本のほぼ全紙が戦争を煽った。新聞を信頼する国民は戦争を支持し、悲惨な敗戦を経験した。新聞とラジオしか情報源がなかった戦前に比較すると、現在はインターネットで個人が自由に発信する情報にアクセスできる。ネット情報は玉石混淆であるが、中には新聞が報道しない情報や、新聞に見られない良質な情報もある。我々は複数の情報源に目を通し、正しい情報を獲得していきたい。
(令和2年4月1日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。 |