今年も、卒業式のシーズンがやって来ます。
突然ですが、本紙読者の皆さんは、古岡秀人(ふるおか ひでと 1908〜1994年)さんという方をご存知でしょうか。私自身、数年前までは知りませんでした。
実は、ほとんどの皆さんが、「使ったり読んだりしたことのある」とても身近な存在です。
そう、古岡秀人さんは、学習研究社、学研を創業した方なのです。
古岡秀人さんは、母子家庭で育ちました。お父さんは、5歳のときに筑豊炭鉱の抗内で事故死。お母さんは、選炭婦になって幼い秀人さんたち兄妹を懸命に育てられました。
氏は、「一家が四散しなかったのは、母の愛情が強い絆になったからであろう。手はあかぎれで裂け、黒い膏薬を火箸で塗り込んでは、また自らを勇気づけて働きに出ていた母は、おそらく必死の思いで、自分の肉体への酷使を、子供たちへの愛情だけで支えていたのであろう」「母の愛情は、私の一生の生きざまに、強い影響を与えてくれました。"母ありてこそ私ありき"と、つくづく想っています」と述べています。
良き恩師等とのご縁にも恵まれ、お金のかからない師範学校を卒業し、お母さんの唯一の夢だった小学校の先生になることが出来ました。その後、幾多の「流転の生活」を経て、第二次大戦直後の昭和21年(1946年)、「戦後の日本を担う子供たちの目標達成に役立つ学習図書を提供する仕事が、今、自分に与えられた使命ではないか、との運命的機縁から、学研の出版事業をスタートさせた」のです。
そして昭和55年(1980年)には、「母親の無償の愛への感謝」と「社会への報恩感謝」を込めて、私財を基金として提供し、全国の母子家庭の高校生へ奨学金を給付する財団法人古岡奨学会(現在は、公益財団法人)を設立し、初代理事長に就任しました。
爾後、今日まで36期7296名の奨学生が高校を卒業し、それぞれの分野で頑張っています。その中には、自衛隊員として活躍している方はもちろん、大学教授になり古岡奨学会の理事として後輩奨学生のため尽力されている方もいます。
今月卒業を迎える奨学生322名も、新たに社会や大学・専門学校・浪人等、自分の選んだ道に向けて巣立ちます。みんな頑張れ!
生前、古岡秀人さんは、卒業生に励ましの言葉を贈って来ました。現在、古岡奨学会が全ての奨学生・奨学生OBに送付している機関紙「奨学ライフ」は、氏のかつての贈る言葉も連載しています。その最新号(46号2019年2月1日発行)。
「…「古岡奨学会」は、義捐団体ではない。…母子家庭だから、両親のそろった人にない、母親の苦労を知っているし、また逆に、誇りをもって、特殊な環境の中に育ち得たのだという誇りを忘れずに持ってほしい。なにが一番大事かと言えば、少なくとも「古岡奨学会」の奨学生は「人のため、或いは、社会のために尽くす」という気持ちで、生き抜いてほしい。…要は、自分さえ良ければ、人はどうなっても良いという考え方を破って、一人でも多くの同士を求めるために、この奨学会が生まれたのである。私は、諸君に、この考え方を求めたい。私も母子家庭に育った。しかし、卑下するつもりはない。人の値打ちは、「人のため、社会のために尽くす」かどうかにある」
母への感謝の気持ちを忘れることなく、人のため、社会のために尽くして行く。
現在の宮原博昭理事長はじめ歴代理事長は、そんな人材を育成するため、時代を先取りする様々な施策を積極的に導入し、全力を尽くして来ています。
古岡奨学会については、事務局もしくは中学校の先生にご照会なさってください。
北原 巖男
(きたはらいわお)
元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事 |