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自衛隊ニュース   994号 (2019年1月1日発行)
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防衛議員連盟・後援会員に防衛講話
<北部方面混成団>
 北部方面混成団(団長・伊崎義彦1陸佐=東千歳)は、11月15日、部外ホテルにおいて、千歳市議会防衛議員連盟及び北部方面混成団の後援会員に対し、「国内外情勢と北部方面混成団の活動」との演題で、周辺国及び沖縄等の国内外情勢、続いて、混成団の概要、北海道胆振東部地震に伴う災害派遣での混成団、特に第52普通科連隊(真駒内)の活動状況、また、即応予備自衛官等の制度について講話を実施した。
 国内外情勢については、大陸側から見た日本地図を用いた説明により、参加者から大変わかりやすいと好評を得た。また、災害派遣の活動状況については、北部方面隊の即応予備自衛官隊員が北海道の災害現場に派遣されるのは初めてのケースであり、日高町・むかわ町・厚真町の避難所周辺の被災者等に対する生活支援を行ったことを写真を交えつつ説明し、併せて、即応予備自衛官等の制度について企業側のメリットを含め具体的に説明し、雇用企業主の多い後援会員から大きな関心がよせられた。その後、混成団の隊員と防衛議員及び後援会との懇親会へ移行し、災害派遣や国内外情勢について話が盛りあがり会を終了した。

つばさ会年末懇親会
空自OB油井宇宙飛行士の講演会(東京つばさ会主催)も大盛況
 12月6日、防衛省の隣にあるグランドヒル市ヶ谷で「平成30年度つばさ会年末懇親会」(会長・外薗健一郎)が丸茂吉成空幕長を初め、多数の来賓を招いて盛大に開催された。現職やOB等約250名が参加し、近況報告や情報交換も盛んに行っていた。最後は例年通り「浜松航空隊」と「蒼空遠く」を全員で肩を組んで大合唱。会場の気持ちが一つになる瞬間だ。また、会場入り口には12月1日号と15日号で小紙が特集した「空自空上げ特集」の紙面を張り出してもらいOBなどは「俺のいた基地はこんなカラアゲなんだぁ」などと感慨深けに盛り上がっていた。
 懇親会に先立ち、航空自衛隊出身の宇宙飛行士・油井亀美也氏による講演会が東京つばさ会主催で行われた。宇宙から見た地球の美しさや感じたこと、宇宙飛行士になるまでの過程や心の変化そして奥様による内助の功など、同じつばさ会の会員講師ならではの暖かみのある講演だった。講演会では宇宙服だった油井氏だが、懇親会にはスーツで参加。多くの人と撮影会になっていた。
 「1年にこの日しか会えない人もいて、来て良かったといつも思う」「OBになると入って来にくい情報を聞くことが出来たり空自の変化を感じられ、大切な時間だ」と参加者は話していた。

読史随感
<第20回>
神田 淳
ノーベル賞は先進国の証明

 本庶祐さん(京都大学特別教授)がノーベル医学・生理学賞を受賞した。免疫を抑制するタンパク質PD‐1を発見し、ガン免疫治療薬オプジーポの開発を導いた業績である。
 一日本人としてまことにうれしく、誇りに思う。私は20年ほど前、ストックホルムに旅し、ノーベル博物館を見学する機会があった。湯川秀樹以下、歴代の日本人受賞者の写真を見て、数多くの欧米人受賞者とともに日本人がこれだけいる、と誇らしい気持になったのを思い出す。
 アルフレッド・ノーベルの遺言に基いて1901年より始まったノーベル賞の受賞者数は、国別に米国271名、英国87、ドイツ82、フランス55、スウェーデン29、日本26、ロシア26、イタリア19、カナダ19、オランダ18で、日本は第6位である。そして2001年以降(ただし自然科学分野のみ)では、米国69名、日本17、英国12、フランス8、ドイツ7で、日本は第2位と健闘している。
 私はノーベル賞の受賞数こそ、日本が先進国であることの証明だと思う。
 ノーベル賞級の研究は一朝一夕には生まれない。蓄積した文化的土壌のある社会から生まれる。そのような土壌のない国に世界の先端科学技術を移植しても、ノーベル賞は容易には生まれない。数十年単位の文化的土壌の醸成が必要であろう。こうした成熟した文化的土壌をもつ国が、本当の先進国だと思う。
 ここで日本細菌学の父といわれた医学者・北里柴三郎(1853ー1931)について一言。北里は維新前、熊本の庄屋の家に生まれ、熊本医学校、東京医学校で学び、ドイツに留学。ベルリン大学でコッホに師事し、破傷風菌の純粋培養や、破傷風毒素とジフテリア毒素に対する血清療法の開発に成功する驚異的な業績をあげた。帰国後福澤諭吉の支援を得て、伝染病研究所を設立。北里研究所初代所長、慶應義塾大学初代病院長、日本医師会の初代会長などを務め、日本医学の発展に大きな足跡を残した。
 この北里柴三郎が、1901年の第1回ノーベル医学・生理学賞の非常に有力な候補者だった。北里の研究業績は世界的に評価されていた。しかし受賞したのはドイツのベーリングだった。授賞理由は「ジフテリアの血清療法の研究」で、これは北里との共同研究だった。当時のノーベル財団は単独授賞しか考えていなかったようで、今の選考方法なら間違いなく北里との共同受賞になるだろうと言われている。
 北里の研究が、ドイツのコッホ研究所で開花したことは間違いない。しかし北里の生涯をみると、日本の文化的土壌を無視できない。維新前、庄屋は地方における文化の担い手だった。両親も教育に熱心で、柴三郎も医学校に入る前、四書五経などの漢学を学んでいる。
 近代的科学技術こそなかったものの、維新前から日本にはノーベル賞クラスの研究者をも生みだす文化的土壌はあったと思う。
 それにしても、ノーベル賞を創設し、国を挙げてその権威を維持するスウェーデンは立派な国だと思う。これがどれくらいこの国の威信を高め、名誉をもたらしているか、はかり知れない。
(2018年12月17日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


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