防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   991号 (2018年11月15日発行)
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ノーサイド
北原巖男
日本の2番目の国際路線

 航空自衛隊連合幹部会機関誌「翼」(平成30年6月)に、日本学生航空連盟専務理事の吉田正克さんが書いています。
 「パラオから南下して赤道を越えたポルトガル領チモール島への航程2000kmの航空路開設が外交交渉の末決定し、2週間に1往復の定期航空が行われることになり、日タイ定期航空に次いで我が国では2番目の国際路線となりました」
 吉田さんのこの記述に触発され、国会図書館で見つけたのが大日本航空社史刊行会の「航空輸送の歩み 昭和20年迄」(昭和50年7月財団法人 日本航空協会発行)です。
 「チモール島は、例えその面積は狭小な島ではあったが西すれば直ちに蘭印のジャワ、スマトラ、セレベス、ボルネオ等の資源豊かな宝庫に連なり、南すればオーストラリア大陸を指呼の間に望み、東すれば未開の大地ニューギニアに近く、その位置するところはまことに扇の要にふさわしい戦、政両略上よりしてもきわめて重要視される地点であった。従ってもしこの新空路が実現を見れば、われに対するA、B、C、D包囲の鉄環はこの一点で切断されることとなり、その結果は彼ら陣営に一矢を報ゆる政治的効果とともにまた心理的に与える影響も決して少なくないと判断された」
 第1回試験飛行は1940年(昭和15年)10月川西大艇(九七式輸送飛行艇 日本人の設計による最初の世界最高水準の大型四発飛行艇)を使用して実施。現地で出迎えた大日本航空の浅香良一さんは興奮気味に書いています。「十月二十二日青木操縦士を機長とする綾波号は松本海洋部長同乗のもと、わが国の民間機として初めて赤道を越えて、空路二五00キロを翔破、南緯の空にその姿を現した。ディリ住民のほとんどが見守る中を港内に進入した。綾波号より降り立った部長と交わした握手の感激は今も忘れない。同夜は総督以下のポルトガルの要人全部を招いて、クラブのホールで盛大なパーティーを開いて成功を祝った」
 その後数回の試験飛行と慣熟飛行が成功裡に行われ、1941年(昭和16年)10月には「日本国ポルトガル国航空協定」が署名。これによりパラオ・ディリ間の定期航空は2週間に1往復のダイヤで運航されることになりました。
 しかし、数々の意義を秘めて開設されたこの南への新空路は、1941年11月29日にディリを出発して日本へ向かった定期便が最後となりました。次の便は、12月8日の翌日9日にパラオから到着の予定だったとのことですが。
 ここで、東ティモールに駐在していた民間邦人約30名が、12月8日以降完全に孤立状態に陥ったことにも触れたいと思います。
 大日本航空の首席駐在員であった川淵龍彦氏さんは手記を残しています。「戦争が勃発してから約十日後の十二月十七日に、豪蘭連合軍約二千名が、中立国侵犯の上陸を敢行し、われわれ日本人は、それぞれ社宅から拘引されて、収容所に監禁された…われわれの体力は日毎に衰え、マラリアとアミーバ赤痢に悩まされて、監禁生活二か月を過ぎる頃には、全員が全く生と死の間を彷徨していたと言っても過言ではなかった…二月二十日の夜、激しいスコールと雷の中で突如として、物凄い大砲の音が耳をつんざくように、われわれの収容所の付近に炸裂し始めた」
 このときの状況等について同じく駐在員だった橋本治忠さんは、「日本海軍の逆上陸が始まった。艦砲射撃の目標から抑留所がはずされている確証はない。砲弾の飛来が家を丸ごと震わせていた。死と生の背中合わせ。これが捨て石なのだと思った。翌朝、砲撃がやんだ。豪軍のいない死の街。抑留所の金網が破られた。手に手にハンカチ製日の丸(密かに赤インクを入手、作製して置いた)をかざして海岸線に向う。夜明けの冷気の中で、西海岸に上陸した海軍部隊の先遣隊に常盤氏(日航、軍通訳)がいた。涙と泥にまみれた握手と抱擁があった。横浜=チモール島ディリ線は、もう飛ばない」
 あれから77年。日本も東ティモールも、筆舌に尽くし難い辛く悲しい凄まじい経験を重ね、かけがえのない平和を謳歌する今があります。いつの日か、東ティモールに向けて飛ぶ日本の民航1番機。絶対搭乗したいと思います。

北原 巖男
(きたはらいわお)
元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


航空自衛隊優良褒賞提案授与式
藤原一般幹部候補生、橋田3曹(作戦情報隊)
 航空自衛隊は10月30日、防衛省A棟17階空幕大会議室で優良褒賞提案受与式を執り行った。
 丸茂吉成航空幕僚長をはじめ、荒木副長、荒木総務部長、南雲防衛部長、川波運支・情報部長、深澤監理監察官、柴田首席法務官、横田准曹士先任と今回の受賞者が所属する作戦情報隊司令から井上隊司令ほか2名が立ち会い、厳粛に授与式は行われた。今回約4000件の中から丸茂空幕長が優秀と判断した業務改善の提案者に、平成29年度下期分の褒賞状と副賞としてつばさ会からのメダルが、丸茂空幕長から直接授与された。
 選ばれた提案は、作戦情報隊(=横田)藤原祐一般幹部候補生と橋田曜子3空曹の2名による1件の提案で「兵器所要弾数及び弾薬効果算出プログラムの開発‥弾薬の種類、数量等から効果を確認できるプログラムを作成」に関する改善。今回受賞した藤原候補生は平成27年9月の褒賞以来2回目の受賞、橋田3空曹は女性自衛官として10年ぶりの受賞となった。
 丸茂空幕長は「新しい機能にどうやって効率的にかつ正確に取り組むべきかという事を示してくれた非常に良い提案である」などと訓示。今後の活躍に期待を寄せた。
 この褒賞制度は平成4年から行われており、受賞者等や部隊における更なる業務改善提案活動等の一層の活性化を図る事を目的としている。

WPNS STEP 2018
<海上自衛隊幹部学校>
 海上自衛隊幹部学校(学校長・湯浅秀樹海将)は、10月10日から10月18日までの間、「西太平洋海軍シンポジウム次世代海軍士官短期交流プログラム」(WPNS STEP 2018)を開催した。
 このプログラムは、平成12年以降、次世代を担う士官の交流事業として開催。第66期指揮幕僚課程学生と計24か国、26名の諸外国の少佐クラスの海軍士官が参加した。
 講義、研究会、部隊研修及び文化研修などのプログラムを通じて、参加者は、我が国の安全保障政策や海上自衛隊への理解のほか、日本の伝統文化や先端技術についても理解を深めた。
 研究会においては、各国参加者が自国海軍の概要に関するプレゼンテーションを実施した後、「今後の海軍の役割」を主たるテーマとして活発な議論を行い、「言葉の壁」、「思想の違い」を乗り越え、相互理解を深めた。
 閉会式において、学校長は、「本プログラムの目的は参加者間の相互理解と連携基盤の構築にある。諸官が今回得た知識や経験が、将来の多国間協力の礎になるものと信じている」と訓示し、参加者一人一人に参加証書を授与した。

防衛省でセクシュアル・ハラスメント防止研修
部外講師がセクシュアル・ハラスメントに関して講演
 防衛省は、「防衛省職員ハラスメント防止週間」(12月4日〜同月10日)に先立って、11月2日に部外講師を招いてセクシュアル・ハラスメント防止に関する研修を催し、約700人の職員が受講した。
 本研修は、平成30年6月12日に内閣総理大臣を長とする「すべての女性が輝く社会づくり本部」において、決定された「セクシュアル・ハラスメント対策の強化について」を受けて実施されたもので、講師を務めたのは、山田・尾崎法律事務所所属の弁護士、菅谷貴子氏。
 講演は、「今、改めて考えるハラスメント問題とその対策・危機管理〜財務省セクハラ事件から学ぶことは何なのか〜」と題し、「昨今のセクハラ案件」、「判例や最近の企業でのトラブル事案」、「男性上司の思い込み、勘違いによるセクハラ」等、セクハラを含むハラスメント問題の重大性とその対応等について説明された。
 参加者からは、「男性と女性の部下への対応について、挨拶や雑談等のコミュニケーションは男女平等に接したいが、雑談や服装等についての指導の際は男女の部下に対してどのように平等に接していけばよいのか」といった質問があり、講師からは「ある特定の女性の部下にのみ雑談をする等の場合は問題があるが、全ての部下に一律に雑談等のコミュニケーションをとることについて基本的に問題はない。また、髪型や服装の指導について、服務規程に関わるような業務上の必要性がある場合は、その必要性について的確に説明をすれば男女をそんなに意識せずに指導していただいて問題ない」旨説明していた。
 また、講師から「ノウハウを蓄積してハラスメントを起こさないことは社会人として必要なスキルである」との説明があり、参加者からは「ハラスメントについて関心を持って、今後の部下への指導要領に反映したい」との話があった。

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