防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   984号 (2018年8月1日発行)
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読史随感
神田 淳 <第10回>
東京裁判を考える
 太平洋戦争の勝者であるアメリカ他連合国は、戦後「極東国際軍事裁判所」を設置し、日本の政治・戦争指導者を戦犯として裁いた。およそ3年の審理を経て、1948年11月、東条英機以下7名の死刑を含む全員(25名)を有罪とする判決を下し、同年12月には死刑が執行された。
 この東京裁判をどう受け止めたらよいだろうか。今なおこれを問題とするのは、戦後の日本人が、戦前の日本を強く否定するような歴史観をもち、国家や軍事をタブーのごとく拒むようになった背景に、東京裁判があると考えるからである。
 私は、東京裁判は力の支配する国際政治そのものであって、裁判といえるようなものではなかったと思う。それは勝者による裁判で、そのような裁判に公正な判決は期待できない。
 そして東京裁判は事後法による裁判であった。東京裁判の法的根拠は、「ロンドン協定」に則ってつくられた「極東国際軍事裁判所条例」(1946年1月成立)とされる。「ロンドン協定」はナチス・ドイツを裁くために、米英仏ソの4大国が1945年8月合意した国際協定である。東京裁判は、「裁判は事後法によって行ってはならない」という、近代法の大原則を踏み越えている。
 東京裁判の最大の問題は、満州事変(1931年)以降の日本の戦争がすべて侵略戦争であり、連合国=正義(善)、日本=不正義(悪)という粗雑な善悪史観で、敗戦国日本にすべての戦争責任を負わせたことである。これは、東京裁判が勝者の裁きに過ぎなかったことを如実に示す。事実は、戦争責任は戦った両国にある。この点において、世界の歴史家は、東京裁判を連合国の世界秩序維持政治として認めつつ、裁判の正しさについては批判的に(むしろ否定的に)叙述するようになるだろう。
 東京裁判の判決は、11人の判事の中の多数派による判決であり、これに同意しない少数派4判事の意見書が提出されている。このうち最も注目すべきは、インドのパル判事の意見書である。
 パルは、裁判は実定法にのみ従うべきであり、「平和に対する罪」は事後法であって成立しないとした。また、他国を支配しようと準備することが犯罪とされるが、そんな行為は第二次世界大戦以前のあらゆる強国のやってきたことであって、日本の行為だけを犯罪とすることに反対した。
 パルは日本軍の残虐行為については、東京の閣僚に現地軍隊の管理権限はなかったこと、南京虐殺の軍司令官としての不作為責任を問われた松井被告に対しては、証拠不十分で部下の残虐行為に責任なしとした。かくてパルは、被告は全員、起訴事実すべてについて無罪と結論した。
 私は、東京裁判でパルが歴史の審判に耐えられる最も正しい判断を下していると思う。しかし、私は東京裁判を否定しない。日暮吉延教授が言うように、戦争に敗れた日本は、何らかの責任追及や痛みを避けて通れなかった。日本が世界の中で生きていくために、国際政治におけるこのような犠牲は必要だった。
 東京裁判は法的に問題の多い裁判であったが、 国際社会で生きる日本の安全保障政策として、これを批判しつつ肯定せざるを得ないと考える。(2018年7月24日)
  
神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。

新生富士学校・富士駐屯地
開設64周年祈念行事
 富士駐屯地(司令・徳田秀久陸将兼富士学校長)は7月8日、富士学校・富士駐屯地開設64周年記念行事を執り行った。当日は梅雨の時期でありながらも好天に恵まれ、約7000名の観客が来場した。
 今年度の記念行事には、3月末に新編された情報学校が記念式典に参列するとともに、16式機動戦闘車が観閲行進と訓練展示に初めて参加した。
 記念式典は部内外から来賓約1000名を招き、観閲部隊約1700名が参列して行われた。式辞において徳田学校長は、杉田初代学校長の開校式での訓示の一節「各部門の能力の総合・統一」を引用し、現代戦は普通科・特科・機甲科の3職種はもちろんのこと、陸上自衛隊の全ての職種の協同、海上自衛隊・航空自衛隊との統合、米軍との共同等が重層的に重なりあっていることから、3月末に富士学校に新編された諸職種協同センターを中心とした連携を強調するとともに、情報学校、開発実験団、富士教導団、部隊訓練評価隊及び駐屯地諸隊は一枚岩であらねばならぬと説き、隊員の士気を鼓舞した。
 観閲行進では観閲部隊指揮官(富士教導団長・古田清悟陸将補)を先頭に富士学校ならではの様々な車両165両が威風堂々の行進を行うとともに、訓練展示において戦車と16式機動戦闘車による機動特性と情報・火力・機動力が連携した戦闘訓練の一端を披露し、訪れた来場者を大いに沸かせた。
 訓練展示後に行われた戦車等に乗車しての記念撮影は、受付直後から長蛇の列ができていた。このほか、富士学校音楽隊・滝ヶ原雲海太鼓によるファミリーコンサートや、子供用遊具を配したアトラクションが行われ、来場者は思い思いに写真を撮ったり隊員とのふれあいを楽しんでいた。
 岩手県から訪れた男性は、災害派遣で人命救助や給水支援を行っている自衛官の姿と、今日のこの訓練展示を見て、「私たちは日々自衛隊に守られて生活しているのですね」と感想を語っていた。

北部方面混成団
創隊7周年行事
 北部方面混成団(団長・井上一1陸佐=東千歳)は、7月2日混成団創隊7周年記念に伴う祝賀会を混成団の後援会共催で千歳市内の部外施設(ホテルグランテラス千歳)において実施した。
 祝賀会に先立ち、団の各種行事に積極的に参加し、部隊の充実発展に多大な貢献をした、団後援会の会員である高塚氏と土居氏の2名に対し、団長感謝状贈呈が実施された。
 祝賀会は、道内の各地から関係部隊長等をはじめ、所属隊員、OB、来賓等約150名が参加し、北海道議会議員の太田憲之氏や多くの千歳市議会議員が混成団創隊7周年を祝った。また、北部方面総監をはじめとする関係部隊長及び北海道議会議員など、多数の祝電が花を添えた。
 混成団は平成23年4月に創隊し、主な任務は、北部方面隊の陸曹及び陸士の人材育成。第1陸曹教育隊(東千歳・倶知安)、第120教育大隊、第52普通科連隊、冬季戦技教育隊(以上真駒内)で編成している。
 平成26年3月に地元(千歳)で後援会(入口博美会長)も発足し、各種行事、広報紙「北混団」発行等に協力し、混成団を側面から支援している。
 開会に伴う井上団長の挨拶では、「先輩が築きあげてきた伝統を継承し、今後も混成団の重要な任務である人材育成に最大限寄与する」と熱く語った。入口後援会長の挨拶では、創隊当時の同混成団の状況を振り返るとともに「若い隊員を立派に育て上げている混成団を今後も支援していきたい」と改めて決意。鏡開きのセレモニーや各部隊長によるユニークな部隊紹介で賑わい、盛会な祝宴の後、万歳三唱で幕を閉じた。

初の武装走競技会
<第2戦車連隊>

 第2戦車連隊(黒木正富1陸佐=上富良野)は、6月28日、連隊創立以来初の競技会である「平成30年度連隊武装走競技会」を実施した。
 競技種目は、各中隊隊員が3人から4人1組で走る組走で、89組279名の隊員が参加し、上富良野演習場内約3・4kmの起伏のあるコースで実施し、各中隊の平均タイムで競った。
 また、組走とは別に実施した連隊体育訓練隊のみで実施した「個人走の部」では、これぞ訓練隊という他隊員とは格の違う圧巻の走りを見せつけた。
 初開催となった本競技会に向け、全隊員は日頃から練成を積み重ね、その成果を十分発揮し、中隊の名誉、組走の団結力及び自己のプライドのために力を尽くした。
 結果は、第2中隊(中隊長・奥田浩之1陸尉)が、優勝し、みごと初代王者の栄冠を勝ち取った。


米海兵隊から研修生受入れ
<国際活動教育隊>
 国際活動教育隊(隊長・佐藤和之1陸佐=駒門)は5月15日から6月8日の間に実施された課程教育(幹部特技課程「国際活動」)に、米海兵隊レジナルド・オジマー少佐を研修生として受け入れた。米海兵隊からの研修生受け入れは今回で2回目となる。
 課程教育においては、国際平和協力活動へ従事する際に必要となる派遣の基礎的事項の他、国内法、国際法、コミュニケーション等の幅広い教育を行い、将来の派遣要員を育成している。
 研修生は他の学生と寝食を共にし、座学・実習を含め約4週間の教育を終え、「陸上自衛隊の国際活動に対する理解を深めることができた。今後の日米交流の架け橋となりたい」と話した。この他、国際教としては、国際任務における実際的な英語の発音・表現等についてアドバイスを受けた。

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