「何だかんだ言っても、局長、所詮あなたが現地に行くことはないんでしょ!」
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を機に制定されたテロ対策特措法に基づき、海上自衛隊の補給艦や掃海母艦、護衛艦のインド洋派遣について、その日私は自民党国防部会で説明し質疑に対応していました。そのとき国会議員の一人から投げかけられた一言です。「もっと、実際に行かされる隊員や家族の立場に立って考えるべきだ」
その後も東ティモールやイラク等へ自衛隊員の派遣は続きました。私自身は、どこに行かされることもなく、いわば行かせる立場のまま防衛省・自衛隊を退職しました。
そんな中、今でも思い出すのは、2004年2月に厳寒の旭川で行われた第1次イラク復興支援群の出発式。いよいよイラクのサマワに向け出発のときが来ました。家族の皆さんが大きな声援と涙で見送る中、口を真一文字に結んで正面を見据えて行進して行く派遣隊員の皆さん。
もちろん戦闘行為が行われている地域に行くわけではありません。しかし、自ら行く意思を表明しているとはいえ、命令を受けて現地に行かされる隊員の皆さんも家族の皆さんも、何とも言いようのない不安だったと思います。そのとき拍手を送りながら見送っている私の中に浮かんで来たのは、さまざまな記録映画等で観て来た出征兵士の皆さんと息子や夫を歓呼の声で見送っている家族の皆さんの姿でした…。
その後2次隊、3次隊と進むにつれ、出発時の雰囲気は徐々にですが、確かに変わって来ました。
しかし宿営地に迫撃砲弾が撃ち込まれる事案が発生するなど、日本にいる私たちの緊張も一貫して続きました。この間、現地に派遣された隊員そしてその家族の皆さんの気持ちは、いかばかりだったでしょう。
・・・今、私がこのようなことを思い出すキッカケとなったのは、次の3点です。
第一にいわゆる「日報」問題により、厳しい状況の下でオペレーションが展開されたイラクや南スーダンにおける「日報」の内容が種々報道される中、20万人を超える犠牲者を出した沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日を、今年も間もなく迎えることからです。
糸満市摩文仁の平和記念公園にて行われる「平成30年沖縄全戦没者追悼式」には、自衛隊の最高指揮官たる首相はじめ自衛隊の統括責任者である防衛大臣も参列されることでしょう。
もちろん、今は昔の日本とは全く違いますが、厳しい国際軍事情勢の中で自衛隊の任務は拡大し、隊員の責任は一層重くなっています。首相、防衛大臣は、いずれも隊員を行かせる人のトップであり、行かせられる人ではありません。
第二は、日大アメリカンフットボール部による悪質な反則行為の生起です。特に監督・コーチの選手に対する反則行為実施の指示の有無と反則選手を含めた責任問題。更に日大当局の事後対応の悪さと危機管理の稚拙さ、監督と選手との間の緊密な信頼関係の不在があります。
そして第三に、最近読んだ吉田裕著「日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実」(中公新書)と鴻上尚史著「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(講談社現代新書)が挙げられます。更に、かつて読んだ尾川正二著「死の島ニューギニア」(光文社NF文庫)や大岡昇平の「野火」「俘虜記」を思い出したからです。行かされた一兵士が体験する現場でのギリギリの状況と行かせる側の論理や対応のひどさ。
昨年来評判の吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の中で、叔父さんがコペルくんに語っている言葉もキッカケの一つになりました。
防衛省・自衛隊では、今後とも各種施策の立案・施行に際しては、どこまでも行かされる立場の隊員とその家族について思いやる、可能な限りきめ細かなフォローを続けて行っていただきたいと思います。
北原 巖男(きたはらいわお)
中央大学。70歳。長野県伊那市高遠町出身。元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長 |