「家に三声あり」。新聞を読んでいて久しぶりに眼にとまった。本紙が昭和48年に創刊された時の第一号に草柳大蔵さんに書いていただいた「日本の三声はどうなった」の随想で教えられていたのだ。働く声 書を読む声 赤ん坊の声が絶えない家庭が良いのだという孟子の言葉である。今では家で働く声はなかなか聞けないが、草柳さんは子どもを職場に連れて行くとか職場での出来事を話して聞かせてはどうかということだった。筆者もこの言葉が好きだったが、会社から持ち帰った原稿の校正が働いていると見えたか推理小説を読んでいるのが書を読む姿に見えたか、あの頃子どもたちに聞いておくべきだった。子どもの泣く声は嫌いではなかったので今も街中での泣き声に思わず振り返ってしまう。当時、結婚式でスピーチをさせていただく時にはこの三声をいつも使わせてもらった。こんなにも人口減少が問題になるとは予想しなかった50年前、「子どもは少なくとも三人は作りましょう、日本の存在問題でもあり家庭から賑やかに赤ちゃんの声が聞こえるのは嬉しいことだ、そしておじいちゃんやおばあちゃんの着古した浴衣などで作ったオシメが軒先にへんぽんとひるがえっている景色こそ日本の平和の形である」。残念ながら近年は結婚しない人たちが増え、一人っ子家庭も多く、街を歩いてもどこの家からも子供の泣き声は聞けなくなった。使い捨てオムツの登場でオシメがひるがえるはずだった軒先やベランダも誠に寂しくなった。 |