防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年7月15日号
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寄せ書き

「幹部自衛官」
第12特科隊第1中隊=宇都宮 3陸尉 木村孝行
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 私は、5年前の今頃、2度目の大学受験の末に本命の防衛大学校に合格し、大きな期待と少しの不安を胸に入校の準備を進めていた。私が数ある大学の中から防衛大学校を選んだのは、人の役に立てることがしたい、特に他の人が尻込みしてしまうような困難なことをやって、社会に貢献したいと強く思っていたからである。当時の私は、浪人生で親に苦労をさせ、同級生が大学生活を送っていたり、社会人として働いたりしている中で、自分だけが社会から取り残され、時間が止められ、社会に必要とされてないのではないかとさえ思うときがあった。だからこそ、社会に出たらやってやるという熱い思いを持っていた。
 防衛大学校、幹部候補生学校、隊付教育という5年間に及ぶ長き教育期間が終わり、実動部隊で3等陸尉として働ける時が来た。おそらく、この先困難なこともあるだろう。いや、困難なことばかりかもしれない。しかし今こそ自己の原点に立ち返り、5年前の自分に「お前のした決断は、間違いじゃなかったぞ!」と胸を張って言えるように今まで通り頑張ろうと思う。

新隊員入隊式無事に終えて
戦車教導隊第5中隊=富士 3陸曹 宮原雅彦
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 平成20年3月上旬のある日、私は中隊長に呼ばれ、新隊員課程「前期」の班長をやってみないかと打診された。その頃は支援、支援の毎日で多忙な時期でもあることから「あー、はい」と曖昧な返事をしてしまった。
 そして、数日が過ぎ、中隊長から正式に新隊員教育隊の班長として参加の個別命令を受け、3月10日から特科教導隊新隊員教育隊で勤務することになった。
 教育隊長に申告するや、基幹要員全員が初体験であることがわかり、手本となる人が存在しないばかりか、時間も物も十分とは言えず、これから教育を担当するという不安が解消することなく、あっという間に準備期間は過ぎていった。
 4月1日、新隊員が80名着隊するも、残念ながら団体生活に馴染めず早々に1名が依願退職をしてしまい不安は募るばかりであった。そして、入隊式当日は、あいにくの小雨の天候のせいか、新隊員の表情は荒天とあいまって不安と緊張のいりまじった顔をしていたため、「このままでは無事に入隊式を終らせられるだろうか?」彼らの士気を高めるため「檄」を飛ばしながらも、私の心境は不安と心配でいっぱいだった。
 しかし、そんな私の気持ちをよそに、新隊員達は、入隊式、祝賀会食、銃の授与式、区隊旗授与式を見事に成し遂げてくれ、その姿に熱い物がとめどなくこみあげてきた。あの時の「檄」は新隊員ではなく、自分自身の不安を取り除く自分に対しての「檄」だったのだと改めて感じた。
 入隊式は、隊員とその家族、来賓の皆様、基幹要員及び入隊式を支えてくれた支援隊員を含めた総勢240名全員の力と心が集まってできたものだと確信している。
 これから、私は班長として、また先輩自衛官として、新隊員達を、「常に感謝の気持ちを忘れない自衛官」になるように育てていきたいと思う。

徒歩行進訓練無事完歩して
7普連本管中=福地山 1陸士 盛 麻美
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 私は5月29日、中隊で実施された烏ヶ岳徒歩行進訓練(20km)に参加しました。行進訓練は新隊員前期の25km行進をして以来2度目で、長い間やっていなかったので最初は不安でした。当日は小雨が降っており更に不安が増したのですが、歩き出してしばらくすると雨もやみ、歩きやすい環境になりました。小学校の横を行進中に子供達が声援を送ってくれ、頑張ろう!という気持ちが更に高まりました。それと同時に地域の人達から、自衛隊は信頼、理解を得ているんだろうということを強く感じました。
 行進中に私が遅れたり、辛い時に周りの方々が背を押してくださったり、荷物の持ち方のコツを教えて下さったりと色々と助けていただき、感謝の気持ちでいっぱいでした。
 烏ヶ岳頂上に到着した後、全員で山頂のごみ拾いを行いました。訓練をしながらもこうして地域に貢献できてるんだと思うと今までの疲れもどこかへ飛んでいったようでした。
 帰りは下りだったのでスムーズに歩けましたが、下りには下りの歩き方があるというのも学びました。
 今回私は最後まで歩ききり、当初の目標であった完歩を達成することができました。しかし自分ひとりの力ではどこかで妥協してしまったかもしれません。歩ききった今、私はこう思いました。「人間やればできる!一人では無理でも助け合っていけば達成できるんだ!」と。

夫婦になって
第14特科隊本部管理中隊=松山 3陸曹 久保田留奈
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 私達夫婦は、共に松山駐屯地で勤務している自衛官です。今年2月に入籍し、はや3ヶ月が立ちました。最初の頃は不慣れな事ばかりで大変でしたが、今ではリズムをつかみ主人の協力のおかげで家事と仕事を両立できています。主人の協力なしでは、両立は難しく、まだ苦戦していたと思います。主人には感謝の気持ちで一杯です。
 主人は今、陸曹候補生の試験に懸命に取り組んでいます。どんなに訓練で疲れていても、大変な思いをして帰ってきてもいつも笑顔を忘れない主人の顔を見て自分も「もっと頑張らなければ」といつも励まされます。
 2人の結婚生活は始まったばかりですが、これから苦しいこと楽しいこと様々な事があると思います。そんな時こそ2人で力を合わせて乗り越えていきたいです。そして互いに尊敬し合える夫婦、明るい家庭でありたいと思います。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
内海水先人会(門司支部) 工藤鉄三
工藤氏は平成20年3月、下関基地隊付を海曹長で定年退職。54歳
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 私は、平成20年3月に海上自衛隊を定年退職し、兵庫県神戸市に本部を持つ「内海水先人会門司支部」(福岡県北九州市門司区)に再就職しました。内海水先人会は、大型船舶が通峡する際、水先人(パイロット)を船舶へ送迎する業務等を門司支部部員64名(嘱託17名)で行っています。
 私の職務内容は、パイロットボート(14トン)の機関長兼務甲板作業員であり、船長と2名で乗組み従事しております。
 業務については、関門海峡を通峡する船舶への水先人(パイロット)の送迎ですが、乗降時は、斜め舷梯や垂直舷梯もあれば粗末な縄梯子もあり、海上模様も凪(なぎ)もあれば、荒天の場合もあり、14トンの小型船のボートが木の葉のように波風に洗われる時など、甲板でのパイロットを安全に乗降させるためのサポート作業は、安全確保はもちろんのこと、緊張感もあり、特に夜間の荒天時には、恐怖感さえ覚えることもあります。
 しかし、いざ通峡船に乗り込むパイロットの方の事を考えると怯んでいる暇はありません。荒れた海でのボート船長の操船技術と連携した作業技術は、豊富な経験と普段からの努力と研究に裏付けされると痛感しております。このことは海上自衛隊で得た経験と教訓に類似したことのようにも思います。
 再就職については、在職時から下関基地隊就職援護室、小月航空基地隊就職援護室及び(財)自衛隊援護協会福岡支部の援護担当者からの指導教育及び助言を頂きながら、定年後のライフプランも家族と相談し、また援護担当者との面談を繰り返しながら当初、趣味を生かした車関係の職を得たいと考えておりましたが、援護担当者からの海上勤務の経験を生かせる仕事ということでパイロットボートの甲板作業員の求人の話があり、職場の見学から面接試験及び研修までスムーズに進み、採用して頂くことができました。
 思い返せば、再就職の準備から再就職まで何事もなく順調でしたが、再就職から数ヶ月の短い期間で仕事の厳しさは日々増すばかりで不安もストレスも一杯です。
 仕事も、一つ一つを習いながら確実に実行することが如何に難しいかが身にしみて思い知る日々が続いておりますが、逆に上手くできたときなど、笑いがでるほどの達成感を味わうことができ、今までの失敗や不安のプレッシャーが一気に吹っ飛んでしまい、海上自衛隊入隊時の若い頃、無我夢中で頑張っていた日々を思い出すこともあります。
 海上自衛隊で培った知識技能及び経験は、活用の仕方如何では、大いに我の力、支えになると感じております。何事にも臆することなく熱意と努力を惜しまず、前向きに挑戦する勇気が「会社が求める人材、社会に貢献できる人材」となることを信じ、今後とも精進していく所存です。

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