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   2007年12月15日号
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寄せ書き
アメリカ旅日記
37普連5中隊=信太山 3陸曹 安松伸晃
 日頃の行いがさほど良いとは思えないが、海外マラソン派遣の話が舞い込んできた。海外マラソンの夢は突然叶うこととなった。
 出発までは、パスポートどうするの?英語どうしよう等、海外経験者には笑える出来事を経て関空を出発した。空港に到着すると、この旅で嬉しかった出来事ベスト3に入る事が。「WELCOME」の大段幕を持って、今回お世話になるロリンダさん、フローラさん(日本語ペラペラ)、ホストファミリーのゲーリーが出迎えてくれた。初対面なのに何年も付き合っていた友人のように接してくれたのは本当に嬉しかった。
 今回の旅の目的は海外マラソンを走ること、もう1つは国際交流だった。正直な話、走りに関しては心配していなかった。コミュニケーションがうまくとれるか心配だったが、この空港での出迎えで何とかなる気がした。
 着いた当日は3人で走った。見渡す限りのとうもろこし畑と湖で、どこまでも走って行けそうだった。どこの国でも恋愛話は盛り上がるものだ。夜はゲーリーの友人が沢山来てくれて歓迎会を開いてくれた。
 2日目は練習もしたが、主は観光でミネソタの米軍キャンプにも行った。訓練を見ることはできなかったが、やることは自衛隊とあまり変わらないように思った。
 3日目、コースの下見。車で見ただけで走ったのは後半の10キロ程度。景色は抜群だ。夕食は日本食のレストラン。でも若干アメリカンテイストだった。この日はエリック邸にお世話になった。やっぱり家が大きいな。
 4日目、マラソン本番。コースの厳しさに負け、記録は不本意だが暑さが幸いし、結果約4千人中17位で完走できた。しかし思った以上に走れたのは、途切れることのない応援と、伴走している選手同士での給水の譲り合いといった気持ちの面での支えが、経験したことがない程大きかったからだと思っている。本当に力になった。
 帰国前日、ブルーミントン市役所に表敬訪問をした。普段掲げない日の丸を、自分が来るということで掲げてくれたことにまた感動した。夜はさよなら会。沢山のお土産に喜び、苦手な英語のスピーチを最後まで聞いてもらえたことに感動した。
 帰国時は泣きそうになるほど淋しかった。こうして思い出を書いていると、その時のことを鮮明に思い出せる程、沢山の感動と人との出会いをさせてもらったんだと感謝せずにはいられない。今度は完全プライベートで訪れようと思っている。おそらく1人ではなく2人で…。それはお世話になった人たちとの約束でもある。
自転車のすすめ
〜臨勤生活にて〜
305基通=八戸 3陸曹 清水俊行
 この夏、私は約1ヵ月間八戸駐屯地で臨時勤務をしてきました。その間、余暇等を利用して走った自転車の話をします。
 なぜ自転車かといえば、魅力は3つあります。1つ目に、ペダルをこいだ瞬間にフッと感じる風です。2つ目に、計画したルートを走り終えた達成感です。3つ目は、走りながら覚えた景色や人との思い出が残る点です。そんな思いを乗せて、八戸から原隊である岩手に帰ることにしました。
 朝3時、暗いうちに駐屯地を出発し、ひたすらこぎ続けました。途中、道の駅等で休憩を取り、なかなか減らない道路標識の数字と格闘しながら、またこの1こぎが目的地まで近づいているんだという気持ちを持ち続けて、ペダルを踏み続けました。そして約7時間後、お尻の痛みと心地よい疲労感とともに自宅までの110キロの距離を走破しました。次はより遠くへと挑戦します。皆さんも自転車生活を始めてみては?
趣味と家族
5高群320高中=八戸 3陸曹 櫻庭世清
 私は今まで自分の趣味を見つけるために、色々試してきました。元来飽きやすい性格ですが、まず読書にしようと思い「全米No.1」のキャッチフレーズに負け勢いで上下巻の小説を買いました。案の定2年以上過ぎた今でも、下巻の途中までしか読んでいません。それでも常に持ち歩いています。次に先輩に誘われクライミング、スキムボードなどに挑戦しましたが、なかなか趣味として定着しません。そして趣味を続けるうえで犠牲になるのが、妻と子供です。特にアウトドア系の趣味となると、出かけるたびに心が痛みます。症状としては、玄関で立ち止まりますが、外に出た瞬間心の痛みが消え、少し時間が経つとまた心が痛むといった感じです。
 「家族との時間を大切にしたい」と思う心と「出かけたい」と思う心、この2つの両立は極めて困難だと思います。それでも「家族との時間は大切にしたい」と思っています。できれば家族と趣味を共有すれば、すべて解決なのですが…。
 まだ趣味として定着したのはありませんが、路線変更で、インドア系の趣味で家族の理解を得ようと思っています。その第一歩として、今も持ち歩いている読みかけの小説を全て読んで、妻に「趣味は読書です」と言ってみようと思います。
銃剣道と私
103全般支援大隊=上富良野 陸士長 逢坂 恵
 私が銃剣道を始めるきっかけとなったのは中学生の時で、父から銃剣道大会の見学に度々誘われ、大会を観戦していくうち次第に興味が湧き、中学2年生の時、町の武道館に入門させてもらいました。
 当時は女子がいなかったので、男子と同じ稽古をしていました。しかも同年代の男子たちは小さい頃から練習している人たちばかりで、レベルがとても高く、私の相手をしてくれる人の皆が教官でした。
 高校1年生の時には、初めて国士舘大学での合宿に参加し、左腕が上がらないほどアザだらけになりました。お陰でその年の全国銃剣道大会では、初出場で3位という好成績を修めることができました。
 しかし2年生の時には、腰痛や靭帯損傷などのケガに苦しめられ、全国大会出場を断念し悔し涙を流しました。3年生の時には2年生で出場できなかった悔しさをバネに練習を重ね、悲願の優勝をする事ができました。
 その後大学に進学し、銃剣道とは無縁の生活を送っていましたが、そんなある日私が高校時代に剣を交えた旭川のWAC隊員が、結婚、出産を経て再び銃剣道を始めたと聞きました。私も大学の卒業を控えて就職について考えた結果、銃剣道ができる職場として自衛隊に入隊を決めました。
 現在では車両整備と銃剣道の訓練に励む日々を送っています。今後の目標は、女性自衛官の部で全国優勝できるよう頑張りたいと思います。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
健康管理の心掛けを
(株)パースジャパン新潟営業所 諸橋義憲
諸橋氏は平成18年5月、航空救難団飛行群(新潟)を3空佐で定年退職。55歳
 私は現役時代、単身赴任生活が10年くらい続いたため、再就職は自宅通勤可能な会社を第1希望にあげていました。幸運にも空幕援護室の紹介で勤務地、職種、待遇等ほぼ自分の希望どおりの会社に就職することができました。
 会社は医療関連サービス事業を行っており、全国に営業所や出張所を展開しています。具体的には病院や介護福祉施設などでプリペイド・カードを使用してテレビ、冷蔵庫、ランドリーなどが利用できるレンタル事業です。
 私の仕事は、新潟県内の病院等巡回集金業務とオン・コール(呼出し)によるメンテナンス業務及びこれらに付随する事務業務です。約1年半の経験により精神的にも余裕を持つことができるようになりましたが、当初は不安と失敗の連続でした。メンテナンス・コールがあっても単独で直すことができず、会社に電話をして指示を受けながら修理したことも度々でした。また集金時の精算金補充ミスや計算ミスにより迷惑をかけたこともあります。しかし普段から謙虚な気持ちと誠実さを持ち業務に取り組んでいれば、困った時や失敗した時は必ず周囲の人が助けてくれます。
 会社は必要最小限の人員でやっています。体調を崩したり交通事故を起こしたりすると、会社に迷惑をかけることになります。このため私は、普段から健康管理と交通事故防止に心掛けています。特に集金やメンテナンスは、社用車を運転して移動するので安全運転、防衛運転を実践しています。定年前に大型自動車操縦訓練に参加させていただき知識、技能をリフレッシュできたことが役立っているように思います。
 健康面については、体力維持も兼ねてジョギングを継続実施しています。またたとえ1年生でも、会社の制服で出先に行けば会社の顔で見られます。身だしなみや言動にも意識的に注意しています。
 再就職にあたって気持ちの切り換えは必要ですが、私の場合は、自衛隊生活で培ったことをそのまま実践しているにすぎません。これから定年を迎える皆様に一言助言するとすれば「健康管理」です。企業は病気持ちを採用しません。早めに人間ドッグを受け、悪いところは治療しておくことをお勧めします。また早めに援護担当者に自分の希望を伝えておくことも大切です。いつ良縁が飛び込んでくるかも知れません。

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