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   2007年8月1日号
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浜大樹揚陸訓練を支援
《5旅団》
 第5旅団(旅団長・寺崎芳治陸将補)は6月27日から7月9日までの間、平成19年度協同転地演習の一環として西部方面隊の北熊本に司令部を置く第8師団(師団長・君塚陸将)が実施する浜大樹揚陸訓練を支援した。
 第5対舟艇対戦車中隊長齋藤3佐が支援隊長となり、配属部隊を含めた人員約127名により6月27日から支援準備を開始し、訓練地域の整備等をはじめとして訓練地域の警備、各種施設の設営、通信網の構成・運用及び管理業務など多岐にわたる支援任務を完遂し、浜大樹揚陸訓練の成功に大きく貢献した。
 第5旅団が浜大樹揚陸訓練を支援するのは、昭和57年度から始まり今年で26回目。毎年各方面隊が実施する北方転地演習を多岐にわたり支援・協力し、その任務を完遂している。
 また、訓練を報道機関12社19名と自衛隊協力諸団体・大樹町漁業協同組合等65名に一般公開した。見学者は、「荒波を疾走するLCACと軽快機敏な隊員を間近に見たが、大きくて迫力があり驚いた。また見たい」と語っていた。

経ヶ岬分屯基地が開庁記念行事を実施
 経ヶ岬分屯基地(司令・岡崎2空佐)は6月10日、泉徹舞鶴地方総監をはじめとする多数の来賓を迎え、分屯基地開庁50周年記念行事を盛大に開催した。
 午前10時に記念式典が始まり、岡崎司令は式辞の中で、当分屯基地の歴史などついて触れながら、「今後も一致団結、明るく前向きに誇りと自信をもって国防という崇高な使命に邁進せよ」と隊員に訓示するとともに、「平和と独立を守り、国の主権を維持するため防空の最前線として当分屯基地は地元と共にあり続けてゆくこと」を強調した。
 来場者は小松基地の第6基地防空隊及び7普連の装備品に触れたりするなど、大変興味深そうな姿が印象的であった。また、海自舞鶴航空基地隊のSH-60による飛行展示、救難展示及び7普連によるレンジャー訓練展示に大きな拍手が沸いた。特に、丹後地方に初飛来する松島基地第4航空団のブルーインパルスは、6機編隊の見事な飛行に観客は酔いしれていた。小松基地306飛行隊のF-15による展示飛行では、戦闘機の凄まじい迫力に観衆は大きな歓声を上げ、感激の声が響いた。
 天候に恵まれ、同基地と周辺一帯は約1万2000人の人出で賑わい、写真展示、子ども広場など大勢の家族連れが満足そうな笑顔に溢れるなか、記念行事の幕を閉じた。

創隊35周年を祝う
《6高群》
 第6高射特科群(群長・藤田浩和1陸佐)は6月22日から24日にかけて、創隊35周年記念行事を行った。
 22日は隊員によるスポーツ大会、23日は那覇市内のホテルにおいて前夜祭で懇親を深めた。24日は部外協力者等を招いて航空機体験搭乗などを実施。引き続き八重瀬分屯地グランドで仲村正治衆議院議員をはじめとする数多くの来賓の参加を得て、盛大に記念式典を挙行した。
 また、式典終了後は八重瀬分屯地協力会及び6高群OB会主催の祝宴が行われ、上門琉舞道場による華やかな琉舞や、隊員による獅子舞と勇壮な6高エイサーなどの沖縄伝統芸能で祝宴は盛り上がった。

応募数7万8千通を超える人気ぶり
総火演抽選会
 8月26日に東富士演習場で行われる「平成19年度富士総合火力演習」の一般公募抽選会が7月17日午前、久納雄二陸幕監理部長、岸川公彦陸幕広報室長らが出席し、防衛省E1棟7階会議室で警務隊員立ち合いのもと厳正に行われた。
 約1ヵ月の募集期間中、はがきによる応募総数は7万8818通で、最高倍率は一般駐車場券つきで38・7倍、全平均では17・5倍。またインターネットによる応募総数は1万1118通で、昨年度より3638通の増加となった。
 はがきの場合は8月上旬に当選者・落選者に郵送で、インターネットの場合は当選者のみにメールでそれぞれ連絡される。

雪月花
 昨年日本に輸入された雨傘は1億3千万本にのぼった。国民一人に一本以上で日本中に傘が溢れていることになる。ここ数年前でも雨の予報が出れば朝は晴れていても必ず傘を持っていったものだった。最近は「降り出したらどこかで買えばいいや」の人が多くなっているが、99ショップとか100円ショップにも置いてあるので都内では困ることはない。逆に困るのがホテルや鉄道会社だそうだ。忘れ物だから、晴れてくればわざと忘れるのも含めて1年間は取り置きしておかなければならない、倉庫には傘が山積みされている。都内のあるホテルで傘を貸してほしいと言うと、返さなくていいですよと言われ遠慮なくいただいてきた。居酒屋、急な雨でも「傘たての手前は本人がまだ取りにくるかも分からないので奧のほうから好きなのを持ってって」と気前がいい。筆者のこどもの頃は新しい傘を買ってもらうのは一大事、その蛇の目傘には墨で名前を書いてもらい大切に大切にした。弁当忘れても傘忘れるなとはどこかの地方の教えだ、ひょうきんなお化けになった傘もあったし、高倉健や藤純子の傘を持っての立ち回りも絵になった。傘は日本の文化そのものだった。何もかも使い捨ての時代、近い将来必ず何十倍もの付けを払わされるのは目に見えている。いや、すでに地球温暖化という形で仕返しがきている。(所谷)

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