防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2006年4月1日号
1面 3面 6面 7面 8面 9面 10面 12面

<論陣>
言葉の意味を知っておこう
 =日銀の量的緩和政策解除から=
 「日銀が5年ぶりに金融政策“量的緩和”の解除を決定した」。こんなむずかしい言葉が毎日のようにマスコミで報道された。一般庶民は、その意味が理解できず、堅苦しい文字だらけのニュースは敬遠してしまった人がほとんどだった。ところが、このニュースはこれから市民の生活に大きくかかわってくるものなのである。それだけに量的緩和など、こむずかしい言葉の意味を一応、理解しておく必要がある。
 日銀の政策委員会が金融政策決定会合をさる3月に開いて決定したのは(1)量的金融緩和策を解除し、金利政策に復帰する(2)解除後は当面ゼロ金利を継続する(3)そのごも極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持するなど、これからの政策を「量」から「金利」に戻すというものだった。
 実に役人的表現なので、「なにが、どう変わるのか」素人には見当がつかないのである。そこで、一応、分かり易く「日銀の金融政策」を説明しておこう。
 まず、われわれが毎日買い物などで使っている一万円札や千円札をよく見直してみよう。一万円札も千円札も左側に漢字で壱万円、千円の太文字がある。さらによく見ると壱万円、千円のすぐ上に「日本銀行券」の大文字と下には「日本銀行」の小文字が印刷されている。○い透かしの中は一万円札が福沢諭吉。千円札は野口英世。左側は福沢、野口両氏の肖像である。どこにも「日本政府」の文字はないのである。すなわち日銀は、世界中で流通している日本のお金の発行機関なのである。日銀が発行しているお金の量は、その日、その月の景気を見ながら多くしたり、少なくしたりしているのである。こうしたことを一般には「景気の調整」と言っている。調整しながら、国の経済や国民の生活の安定を図っているのが、日銀の最も大きな役目なのである。
 いまから5年以上前、バブル景気にわいていた日本の経済は、土地の売買規制などの政府の政策が影響して、いっぺんにバブルがはじけ、不況になってしまった。デフレの到来であった。工場は製品を作り続けるが、物が売れない。在庫が増えて、景気は冷え切り、銀行など金融筋も企業に資金を貸し出すのを押さえてしまった。人件費も払えない会社はもちろん、破産する企業が増え続けた。
 そこで日銀が実行した政策が「量的緩和」だった。貸し渋りなどで市中に回らなくなった“金の量を増やして”、その金を低い利子で銀行に回し、銀行から企業が資金を借り易くしようというのである。2003年、日銀は当初30兆円を増額して市中に流した。銀行には「日本の景気を立て直すためだ。貸し渋りは駄目」ときつく指導した。借り易くするため、利子もゼロに近いものにした。金融機関は、それまでの預貯金の利子が、6%〜8%だったものを、一斉に“限りなくゼロに近いもの”にした。100万円を1年間預けても利子が100円になった。0,001%利子である年金生活者など「利子を頼りに暮らしている人」たちの生活は一度に苦しくなったし、失業者(リストラ)も増えた。そして5年間、この超低金利、量的緩和政策は続いた。
 その結果もあろうが、わが国の景気は暗黒の不況から、少しずつ脱却し、昨年あたりから、少し景気が持ち直す傾向が見えてきた。自動車、鉄鋼産業などはバブル時以来の収益をあげ、春闘でもベースアップなどの朗報が労働者にも届きはじめた。「不況から脱した」。そう分析した日銀は、5年間、ゆるめ続けていた財布の口を少し締め「これまでのようにお金は増刷しません。市中に出回っているお金の量で充分です」として、量的に開け続けてきた資金の量を普通の量にしたのである。ただし、金利はゼロ政策を続けます--とした。
 ところが、日銀の金融正常化政策の実施に当たっては政府部内では「景気はまだ本物ではない。緩和解除は早すぎる」との声も強かった。しかし、日銀はあえて緩和解除に踏み切った。解除と同時に“金利”が動きはじめた。住宅ローンの金利は高まっている。「いまのうちに固定ローンに切り替える」人も多い。予定金利も1年ものが倍に上がった。日銀の思惑の逆である。
 新政策、果して吉とでるか凶とでるかである。

6面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2008 Boueihome Shinbun Inc