物事の道理を考える能力、道理に従って判断し行動する能力のことを「理性」という。人は感情的になって理性を失ってはならないなどという。
西洋において「理性」はギリシア以来重視されてきたが、西欧社会が中世から近代に脱皮する過程でその傾向が強まった。理性に従い、説得力ある理由・根拠にもとづいて事柄に対処する行動・思考様式を「合理主義」というが、ルネッサンス、科学革命、社会革命を経て近代社会を生み出した西欧の原動力に「近代合理主義」があった。
欧米の理性重視の精神は現在なお健在で、欧米社会の良識となっている。それは、説得性のある論理的主張、科学的判断、原理原則の希求と、同時に存在するプラクティカルな判断などに見られる。
日本はどうだろうか。日本人の心(大和魂、和魂)は理よりも美と情緒に傾斜し、「理性」に欠落するゆえ日本は真に近代化していないといった粗雑な日本論がかつてみられたが、日本史をよくみると日本も十分理性尊重の歴史をもつことがわかる。
鎌倉時代(1185-1333)、武士による統治で最も重んじられたのは「道理」だった。鎌倉幕府第3代執権・北条泰時は、1232年武家社会の法典「関東御成敗式目(貞永式目)」を定めた。この法典は、武家社会の慣習を根拠としつつ、御家人同士や御家人と荘園領主間の土地紛争を公平に裁くよりどころなどを明らかにしたものであるが、この法典の制定と運用の理念が「道理」であった。
泰時は、貞永式目について「式目の立法上の根拠などはなく、ただ評定衆13人の多数決で理非を決断し、道理のあるところを記したに過ぎない」と言う。執権を含む13人の評定衆(幕府の最高議決機関)は、貞永式目の運用にあたって、「およそ評定の間、理非においては親疎あるべからず、好悪あるべからず、ただ道理の押すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞(ことば)をだすべきなり」という起請文を神に捧げた。
幕府の評定衆には、自分や一族の利害、権門との関係などの雑念を一切絶ち、道理によって理非を決断するのは容易ならざる業務であるとの自覚があった。そのゆえ彼らは神に誓ってこれを行おうとしたのである。
泰時は、裁判の際には「道理、道理」と繰り返し、道理に適った話を聞けば、「道理ほどに面白きものはない」と言って感動し涙まで流したと伝えられる。その「道理」とは武家の慣習を基本としつつ、欲心をなくして見いだす道徳法則であり、自然的秩序であった。仏教では「正しきということは無欲なり」、「よきというのも無欲なり」と教える。華厳宗の高僧・明恵上人に私淑する泰時は、私心・私欲を去って真摯に「理非」を決断しようとした。
貞永式目は、日本人の手になる最初の日本人の法であった。その法を支配する理念が「道理」だったことの意義は大きい。武家法として定められた貞永式目が、その後日本の基本法または道徳律のようになって庶民まで深く浸透し、以後数百年常識の基準となった。江戸時代寺子屋の教科書としても用いられ、日本文化の形成に重要な役割を担い続けたのである。
(令和2年1月15日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。 |