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自衛隊ニュース   1018号 (2020年1月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第44回>

八田與一のこと

 台湾の教科書に載り、台湾で非常に尊敬されている日本人・八田與一については、司馬遼太郎の『街道を行く』で紹介され、古川勝三の『台湾を愛した日本人』などで、だいぶ知られるようになったが、戦前の日本人が立派であり、我々はそれをよく知る必要があると強く思う私も、八田與一についてここに一文を記す。
 八田與一(1886-1942)は東京帝大土木工学科を卒業して台湾総督府に奉職、技術者として台湾の開発と近代化に生涯を捧げた。八田は不毛の地・嘉南平原15万ヘクタール(香川県の面積)を耕作地にする大規模な灌漑工事計画を立案。総督府の容れるところとなり、数多くの困難を克服し、着工以来10年の歳月を経て、1930年これを竣工させた。
 事業はまず、嘉南平原の北を流れる濁水渓から取水して5万ヘクタールを灌漑する。次に、官田渓の上流「烏山頭」にフィルダムを築き、ここに官田渓の水に加えて流量豊富な曽文渓の水を流域変更(そのための隧道工事を行う)して導き、烏山頭の1億6680万トンの人造湖(珊瑚潭)に貯め、平原の残りの10万ヘクタールを灌漑する。烏山頭フィルダムは高さ56メートル、堰堤長1273メートルの規模(東洋一)で、嘉南平原を灌漑する給排水路の総延長は、1万6000キロメートル(万里長城の6倍)にも達した。総工事費は7500万円(現在換算6千億円)を超える大事業であった。
 灌漑開始後、不毛の地・嘉南平原(嘉南大セン(土編に川))は台湾最大の穀倉地帯に変貌した。農家の収入は増え、農民の生活は大きく向上した。天然湖と見まがうばかりに美しい珊瑚潭に貯められた水は、今なお嘉南大セン(土編に川)を潤し続けている。
 台湾の人々は今もなお、5月8日の八田の命日に、烏山頭にある八田與一・外代樹夫妻の墓の前に何百名も集まり、八田の恩を偲び、感謝する墓前祭を毎年行っている。
 八田には最初に工事ありきではなく、水不足、洪水、塩害に苦しむ農民のためという思いがあった。烏山頭に置かれた事業主体である嘉南大セン(土編に川)組合の烏山頭所長として、八田は日本の統治下にある台湾で、日本人と台湾人の区別を一切せず平等にあつかった。八田は日本人台湾人の全従業員から尊敬された。
 1930年、工事完了後八田は総督府に復帰した。1942年八田は陸軍省より南方開発派遣要員の命を受け、フィリピンに向かうが、乗船した大洋丸が5月8日アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈み、死亡した(56歳)。絶望した八田の妻・外代樹は、日本の敗戦後1946年、烏山頭ダムの放水口に身を投げた。
 戦前の日本を全否定する傾向の続いた戦後社会の中で、立派だった戦前の日本人の生き方が忘れられてきた。1980年から3年間台湾に住んだ古川勝三は、「あなたは日本人だから日本精神をもっていますよね」と台湾人に聞かれ、「日本精神?それはどういうことですか」と聞き返すと、「日本精神はね、『嘘をつかない』『不正なお金は受け取らない』『失敗しても他人のせいにしない』『与えられた仕事に最善を尽くす』の四つです。今日の台湾の発展はこの日本精神のおかげです」と語るのを聞いて、返す言葉を失ったという。そして、今日の日本人に求められる資質は、八田與一の考え方や生き方の中にあるように思えると述べている。
(令和2年1月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


開庁60周年記念・令和元年度
小牧基地オープンベース特集
(その1)
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準備・実行委員長 第1輸送航空隊副司令 1等空佐 大石 徹郎

 澄み渡る青空となった11月9日(土)、今年2度目となる小牧基地オープンベースを開催し、計6万人を超えるご来場者をお迎えしました。多くの皆様とともに基地開庁60周年を祝うため、例年にも増してた部隊や陸海自衛隊のほか民間航空会社、エアレース王者・室屋義秀氏らの航空機を招いた盛大かつ賑やかなイベントを実現し、大いに楽しんで頂けたものと自負しています。また、地域からのブース出展・企画も充実したものとなり、相互理解や防災といった開催テーマの目的を十分に果たすことができました。今般、特別に制作した2種類のロゴマークやフラッグは当面使用していきますので、今後も各種行事などを通じて引き続きご注目ください。
 ご来場者及び開催に関った全ての皆さんに厚く御礼申し上げます。

 総合案内アナウンスを担当しました東島さんです。卓越な英語はもちろんのこと小牧の青空に透き通る美声で会場を楽しませ盛り上げてくれました。
 窓から顔を覗かせると手を振って応援してくれた皆さんに感謝!

 総合案内に、来場者の女性が微笑みながら質問を投げかけてくれた。「凄く色々な飛行機があるのですね。あれは何の飛行機?」「あれは○○と言って…」現役管制官として、わかり易く丁寧な「おもてなし」を心がけた。「空中給油機って何なのですか?」これこれで…とご説明すると、「凄いですね、そんなことができるんですねー」益々興味津々と仰って、展示場に歩を進められた。オープンベースを楽しい1日にしていただければ幸甚と、過ぎゆく背中を見送った。
UH=60J模擬救護活動


我々の士気の高さ、団結の強さを見よ!
<出雲駐屯地>
 11月17日、出雲駐屯地(司令・中谷一雄2陸佐)開設66周年記念行事が冬晴れの青空の下多くの来賓を迎えて開催された。
 今年で15回目となる出雲駅前くにびき中央通りの市中パレードを見ようとパレード開始の1時間以上前から近隣住民や自衛隊ファンが集まっていた。パレードは第17普通科連隊(山口駐屯地)の徒歩部隊から始まり、第304施設隊・第104施設直接支援大隊・第13後方支援隊・第13偵察隊・電子偵察小隊・第13特殊武器防護隊(海田市駐屯地)から各車両が行進し、車両部隊の最後には、島根地本の旗を掲げた車両が行進し、「自衛官募集」を呼びかけていた。その後、Cー2輸送機を初めとする航空機の祝賀飛行が行われ、航空機に向かって手を振る人、シャッターを押す人と様々だった。
 中谷司令は式辞で災害派遣に従事した隊員らの功績を称え「国民の安全・安心のため、任務を全うした彼らに対し、深甚なる敬意を表したいと思います。ご来場の皆様、どうか彼らの勇姿に対し、ここ出雲から盛大なる拍手をお願いできればと思います」などと述べ、大きな拍手を隊員らに贈っていた。そして、隊員に向け「我々の士気の高さを見せよ!我々の団結の強さを見せよ!」などと訓示を述べた。市中パレードは、予行なしの一発勝負だとのこと。パレードに参加した160名の隊員だけでなく、市中パレードを統制する隊員、準備をする隊員、電気を引く隊員、祝賀会の準備をする隊員、人や物を運搬する隊員らの他、関わる全ての隊員の輝かしい自信に溢れた顔が印象的な記念行事だった。

第15旅団創隊9周年及び那覇駐屯地創立47周年記念行事
 第15旅団(旅団長・中村裕亮旅団長=那覇)は、11月23日及び24日、那覇駐屯地において、第15旅団創隊9周年及び那覇駐屯地創立47周年記念行事を開催した。これは、第15旅団及び那覇駐屯地が県民に対して真摯な姿を示し、陸上自衛隊及び第15旅団の活動を理解してもらうことを目的として行われた。今年は、「美ら島の護り15旅団〜新たな時代の幕開け〜」をテーマとし、約7500名が来場した。
 行事は23日、追悼式を行い、旅団の前身たる第1混成団創隊以来の殉職隊員の御霊に対して追悼の誠を捧げ、24日は、感謝状贈呈式、記念式典、観閲行進、祝賀会食、装備品展示等を行った。
 厳粛な雰囲気のもと行われた記念式典において、観閲官の第15旅団長・中村陸将補は、南西域の防衛・警備を担任する第15旅団として、日々の訓練に励み、海上・航空自衛隊及び在沖米軍との連携を密にして南西域における抑止力の要としての役割を果たすとともに、災害派遣のみならず、国家及び国民・県民が危機に直面した際、速やかに旅団の能力を発揮して、任務の完遂できるよう、日々努力する所存である旨、式辞を述べた。
 式典に引き続き、観閲行進、エイサー隊・らっぱ隊・音楽隊によるアトラクション、今回初となる格闘展示、そして例年大人気の訓練展示を行い、来場者に第15旅団の活動に対する理解を深めてもらった。
 この他、第15旅団が装備しているヘリコプターや装甲車等による体験試乗を用意するとともに、日米による装備品展示や、ちびっこ広場、美術展等、子供から大人までが楽しめる盛りだくさんのイベントにより、多くの来場者に楽しんでもらうことができた。
 また、祝賀行進として、自衛隊OBを会員とする沖縄県隊友会及び沖縄地方協力本部が、また祝賀飛行として海上自衛隊及び航空自衛隊が参加するとともに、観閲行進及び訓練展示に、米海兵隊第3海兵師団も参加し、陸海空自衛隊及び日米の絆を更に来場者に伝えることが出来た。
 第15旅団は今後も様々な隊務の運営を通じ、県民との絆を強めていきたい。

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