今はもう昔のこととなるが、日本の経済力が世界を席巻していた昭和の頃、欧米人から日本人は働きすぎだと非難された。外国からの批判に極端に弱い日本人は、その気になって、自国のすぐれた勤労文化に自信を失い、経済の沈滞を招いている。欧米人のこうした批判に対しては、日本の伝統文化の仕事の思想に自信をもち、しっかりと反論しておけばよい。
欧米には労働苦役思想が存在している。聖書によると、神の命に背いたアダムは、「一生苦しんで土より食物を得よ」と楽園から追放された。土から食物を得る労働は懲罰であった。欧米も宗教の近代化とともに、次第に労働観も進歩したが、なお労働苦役思想は根強い。スペインに「カスティガード」という言葉がある。これは「神に罰せられた人」という意味で、くそ真面目に働いている人を嘲笑した言葉である。
これに対して日本は働くことに非常に大きな価値を見出す文化を培ってきた。日本の伝統文化である神道には労働を苦役とする思想はない。神道では神々も働き、労働は神事である(労働神事説)。労働することは神に仕え、神と共に働くことである。ゆえに働くことは無条件に善である。
西洋のキリスト教と同様、日本も宗教(仏教)が労働観を深化させた。江戸時代の初期、鈴木正三(1579-1655)は「職分仏行説」を説いた。これは、人は日々の仕事に専念することがそのまま仏道修行になるという教えである。士農工商のいかなる人も職業に励めばそれが仏道修行となり、成仏できる、すなわち救済される。
現代日本を代表する経営者稲盛和夫の仕事の思想は、鈴木正三の延長にある。曰く、「ひたむきに自分の仕事にうちこみ、たゆまず努力をかさねていくこと、ーーーそれが修業となって人間を成長させてくれるのです。ーーー働くこと自体に試練を克服し、人生を好転させるすばらしい力があるのですーーー」。稲盛さんは、人は働くことによって救済されると説いている。
日本人の仕事の思想は日本の歴史の中で深められ、仕事が喜びであり、仕事の中に人間の尊厳を見出す高みに到達している。いい加減な仕事や、労働を切り売りするといった発想を日本人は好まない。満足のいく仕事、良い仕事は自己の尊厳そのものである。日本人のこうした仕事の思想は、日本に住んだ多くの外国人の目にとまっている。戦後日本を統治したGHQのマッカーサーは、極東政策をめぐる証言で、「日本人の労働力は質的にも量的にも優秀であるばかりか、遊んでいるときよりも働いているときの方が幸福であるという、いわば労働の尊厳を見出している」と述べている。
人が職を失うとしばしば自尊心も失うことは、世界的に認められている。従って仕事に自己の尊厳を見出すのは日本が特殊というわけではなく、世界共通だと思う。ただ日本では、尊厳といった難しい言葉以前に、国民一般に、良い仕事をしなければ人間として満足しない感覚があり、これが日本のすばらしさである。
途上国における国際協力プロジェクトにおいても、日本は必ず実行しやり遂げる、と評価されている。こうした日本人の姿勢は日本の仕事の思想が生んだものである。
日本に対するこうした評価は、平成の時代に少し落ちたような気もするが、先人が築きあげてきた仕事に対する姿勢はまだまだ健在だと思う。
(2019年6月1日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。 |