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   2006年1月15日号
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シリーズ イラク派遣を終えて
空自第1輸送航空隊衛生隊長 2空佐 藤田真敬
 私は第7期イラク復興支援派遣輸送航空隊衛生隊長として、クウェートのアリアルサレム飛行場において約4ヶ月間勤務しました。期間中、多少の病気やけがはあったものの全員無事に帰国できたことは大変うれしく思いました。
 7月中旬、小牧出発から起こったのはエアコンの効きすぎによる発熱。解熱剤をもらったはずが、バンコク行きの機内で無くなってしまった。深夜の空港内で解熱剤を購入して、クウェートまでつれていった。クウェートに到着すると気温50℃。のどの痛み、頭痛、腹痛、脱水症状と続け様に患者がでる。このまま続くのかと多少不安になる。
 協力体制の構築のために、他国の衛生部署に挨拶に回った。クウェート軍衛生隊長はシャジャーン先生、米軍衛生群司令はハイス大佐、パノシアン大佐、患者搬送隊司令はケネディ中佐、ワーデル中佐、ノーイー少佐がいた。韓国軍衛生隊長はソン大尉、ムーン大尉である。皆仲間という感じで親切であった。
 7月下旬には腹痛患者が発生した。胃の痛みから始まり発熱を伴っていた。様々な病気が考えられた。衛生隊で治るもの、部外病院での手術が必要なもの、虫垂炎、胃腸炎、憩室炎など。虫垂炎以外であれば衛生隊の点滴で治る。虫垂炎なら手術がいる。様々な可能性を悩んだ。他の医者がいても同じように悩むのであろう。
 入室2日目、腹痛の場所に変化が現れた。痛みの場所が虫垂のある右下腹部に移動してきた。虫垂炎に違い無い。在クウェート日本大使館医務官のホームページにあるクウェート市内のHadi Clinic外科の受診を決めた。大使館街の一流病院である。各部署から確認の電話が鳴り響く。電話の対応は他にまかせ、英文紹介状を準備して病院に急いだ。即日手術、3日後に無事退院、手術時間約1時間、日本と同等の医療レベルと思われた。お金の支払いや手続きには現状では日本大使館医務官のお力も必要だった。
 国立病院を見学に行くと、英語を話せる職員がいない。英語では受診が出来ない。アラビア語通訳の必要性を訴えた。ようやく、ボランティアによる通訳の確保が出来た。
 外国での未知の業務からか、細部の確認を行うと、問題は突然湧いて出てくる。所轄の狭間にある問題は、いまだ存在した。解決に導いた事、次期に引き継いだ事とあるものの、猛暑の時期を過ごして無事の帰国ができた。共に頑張った上司や仲間達とは、職種の壁を越えたつながりができたような気がする。またどこかで仕事ができればと思っている。
 今回の派遣では、日本で学べなかった多くを学ぶ事ができた。未知の環境で確実に医療を行うには、専門家が考えながらシステムや器材の確認準備を行う必要を痛感した。全ての職種に当てはまるのかもしれない。
 無事に帰国した今、次の派遣の皆様の力になれればと考えている。また、現地でご指導いただきました隊司令、副司令をはじめ自分を支えていただきました多くの皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます。

イラク復興支援に参加して
4施大1中 陸士長 濱田章太
 約3ヶ月間のイラクでの復興支援を終えて、11月5日、無事に日本の地を踏んだ。
 4月3日に編成完結を終え、導入教育、第1次・第2次・集中野営・FTC・D総合訓練等の準備訓練を重ねて、7月30日、第7次イラク復興支援群の一員として隊旗授与式に参加し、私自身は、8月14日の第3波として日本を出国しました。クウェートに到着し、飛行機から降りた時一番初めに暑いと感じました。こんなに暑いのは初めてで、これからの3ヶ月大丈夫かなと思いました。クウェートでの約1週間の慣熟訓練を終え、サマワ入りしたのが8月19日でした。
 イラクはとても暑く、湿気がないため知らない内に体の中の水分が失われ、水分補給を欠かす事が出来ず、こんなに水を飲んだのは初めてでした。宿営地では、施設小隊の分隊員として日々進化を目標に頑張って作業をする中で、先輩方の施設技術能力の高さに驚き、私自身成長することができました。また、宿営地外の浄水場・道路等の点検のため、施設車両のドライバーとして2回活動し頑張りました。
 この3ヶ月と言う短い派遣期間ではありましたが、皆様のご支援・ご協力のおかげでたくさんいい経験をさせてもらえる事が出来ました。この約3ヶ月と言わず準備訓練を合わせた約1年間で経験した事を糧にし、自信と誇りと情熱を持って、邁進していきたいと思います。約1年間、支えてくれた皆様に感謝します。

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