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   2002年11月1日号
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童謡歌唱コンクール東北決勝大会
奥平1曹の家族、最優秀賞に輝く (三沢基地)
 空自三沢基地検査隊の奥平1曹一家は9月16日、仙台市で開催された第17回全国童謡歌唱コンクール東北決勝大会に青森県代表として出場、ファミリー部門で見事最優秀賞を獲得し全国大会出場を決めた。この大会は日本童謡協会、及びテレビ局23社の主催で、全国大会には、名誉大会委員長に皇族「寛仁親王妃信子殿下」が出席される由緒ある大会。

 東北決勝大会は、「子ども」「大人」「ファミリー」の3部門に東北6県から約250組の応募があり、そのうちテープ審査を通過した21組が歌声を披露した。

 ファミリー部門での奥平ファミリーは、親子と祖父母の計6人で出場し息の合った歌声を披露し満員の会場を和ませ、3世代の大人数と大会史上初の最高年齢(祖父75・祖母70歳)ということも他を圧倒し聴衆に感動を与えた。

 最優秀賞の3組は11月3日東京で行われる全国大会に出場するが、何と大人部門も青森県で、更に子供部門の坂下良太君(岩手)は、奥平音楽教室(妻・純代さん)の生徒で大会でも純代さんの伴奏で歌声を披露し最優秀賞を獲得、青森県の音楽レベルの高さを示す大会となった。

 全国グランプリ大会の熱戦の模様は12月7日BS朝日でテレビ放送される。

山林火災で災害派遣
陸、空から消火活動 2混団
 第2混成団は、8月20日から24日にかけて、香川県丸亀市沖の本島町における山林火災に伴う災害派遣を実施した。

 地上からは、第15普通科連隊基幹の部隊が、空からは中部方面航空隊(八尾)、航空学校(明野)、第1ヘリ団(木更津)並びに海上自衛隊徳島教育航空群(徳島)が5日間にわたって消火活動を行ったが、島の4分の1にあたる160ヘクタールを焼失する火災となった。

 20日午後0時半から2時頃にかけ、丸亀市本島町大浦地区と生ノ浜地区の山林2ヶ所から立て続けに出火、折からの強風に煽られて一気に燃え上がった。

 午後3時6分香川県知事からの災害派遣要請を受けた第2混成団長(関口泰一陸将補)は直ちに第15普通科連隊に災害派遣を命じた。

 第15普通科連隊は、第1中隊長(立野3佐)を現地派遣隊長として約100名(後方支援中隊衛生5名含む)からなる隊員を本島に向かわせると同時に空中消火基地設営のために約20名の隊員を香川県坂出市の番の州に派遣した。

 午後6時過ぎには中部方面航空隊(八尾)のUH1多用途ヘリ3機、OH6観測ヘリ1機が到着し防災ヘリと連携し空中から消火活動を行なうとともに、15連隊第2次派遣隊及び中部方面通信群がヘリ映像伝送を準備するなど支援態勢を整えた。

 21日には航空学校のCH47輸送ヘリや海上自衛隊徳島教育航空群の救難機UH60Jの増援を受け空中消火に全力をあげるとともに陸上では15連隊隊員が幅約25メートル、長さ約220メートルにわたって防火帯を作るなどして陸・空からの懸命の消火活動を行ったが消し止める事が出来ずこの日も日没を迎えた。

 現場は急な斜面で夜間の消火が困難なうえ、積もった枯れ葉に火が残り強風に煽られて延焼を続けた。

 翌22日には新たに第1ヘリ団(木更津)のCH472機が到着、各県の防災ヘリと自衛隊機で空中消火を行うとともに地上では、第15普通科連隊長らが現地に到着、指揮所を開設し現地対策本部と連携を図りながらの消火となった。

 しかし連日の晴天と異状乾燥注意報が発令されるなどの気象条件に阻まれ消火活動は困難を極め、一旦小康状態になった火災も夜間に再燃するという状況が続き翌23日も鎮圧には至らなかった。

 5日目となる24日も朝から空中消火活動を実施、午後6時まで懸命な空中消火を行った結果下火に向かい、同日6時10分、県知事からの災害派遣撤収要請により派遣部隊は、整斉と撤収した。

 今回の火災における派遣人員は延べ982名、航空機は延べ45機が出動、空中消火回数も1373回で投下した海水・消火薬剤等は3589.7トンでドラム缶に換算すると約17940本分の海水及び薬剤が使用された。

 なお、焼失面積160ヘクタールは平成9年に同県白鳥町で発生した山林火災(480ヘクタール)に続く平成になってから2番目の災害となった。

中央病院がダブル優勝
自衛消防訓練審査会
 10月3日、世田谷消防署主催の自衛消防訓練審査会が世田谷公園で行われ、操法の習熟度、行動の迅速・確実性等が審査された。

 病院・店舗の部(男子)は7隊が参加し、今回初出場の甲斐2曹、佐々木3曹、松廣3曹が3年連続優勝のプレッシャーをものともせず、優勝カップを手にした。

 女子の部では、約300名のナースから選ばれた、松坂2曹、白川2曹、棚谷3曹の3名が出場。昨年準優勝の悔しさをバネに、再挑戦し、男子に続いて優勝カップを手にした。

 日頃の訓練成果を存分に発揮し、男女ダブル優勝を飾った。

頑張っています 新しい職場
活躍するOBシリーズ
共栄火災海上保険相互会社 西口哲夫

 自衛隊生活35年を終え、現在は自動車保険会社で対人賠償の査定担当者として勤務しています。

 自衛隊を去るにあたり、誰もが再就職に対する不安はあるものと自分に言い聞かせ、援護センターにお世話になりました。昨今の就職難の状況から自分のやりたい仕事を選ぶのは難しい、今在る仕事にチャレンジをしようと考え損害補償の仕事を紹介していただきました。

 次に、付の期間を如何に過こそうか考え、家に居て粗大ゴミになるよりは少しでも次の仕事を覚えようと思い2ヵ月間研修目的で会社に通いました。この間仕事の概要を理解するとともに良好な人間関係を作ることに努めました。その甲斐もあって採用後の勤務にも違和感を感ずることなく自然に溶け込むことができました。

 現在入社して4カ月、交通事故の多さに驚きながら朝早くから夜遅くまで、電話の対応あるいは面談等に追われる毎日ですが、査定マンとしての誇りと真心をもって事故当事者の役に立てるよう孤軍奮闘中です。

 自衛隊の援護態勢の充実によって、このような就職難の時代に、貴重なる職業を紹介していただきあらためて自衛隊という組織のすばらしさを実感しています。

 今後とも自衛官出身としての誇りと不僥の精神を持って頑張りたいと考えます。

 これから定年を迎える皆さん方には今後も当分は厳しい就職難の状況が続くと思います。また再就職に対する不安感も大きいと思いますが、今までの自衛官としての実績を持って為せばどのような職業でも十分にやっていけると思います。新しい分野で仕事にチャレンジ出来る喜びと希望を持って第二の人生の準備を進めてください。


自衛隊史跡めぐりシリーズ
2混団本部庁舎(乃木館)善通寺駐屯地
 陸上自衛隊善通寺駐屯地が所在する番川県善通寺市は、弘法大姉(空海)生誕の地で、四国88カ所第75番札所(善通寺)として全国にその名をはせている。

 団本部庁舎を訪れるとまずはじめに日露戦争の戦勝を記念して植樹された「カイヅカイブキ」の並木が迎えてくれる。

 その並木を通り抜けると正面に明治31年に建造されたルネッサンス様式の団本部庁舎が姿を現す。

 この建物は、四国全域を管区とする旧陸軍第11師団の指令部として建造されたもので、軍神とあがめられた乃木希典中将が初代師団長として勤務したことから別名「乃木館」とも呼ばれ、終戦までに25人の師団長がその職を務めた。

 輝かしい伝統と由緒あるこの「乃木館」には、乃木将軍愛用の机・椅子、明治天皇より拝領の品々、自筆の書画等を展示した師団長室「乃木室」があり、この中には司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にも登場する歴史を動かした将軍らの写真も飾られており、乃木将軍ゆかりの数々の貴重な資料も展示されている。

 また、太平洋戦争末期の沖縄戦を指揮した牛島満中将や、高知県出身で、太平洋戦争・マレー半島攻略の立役者となった、山下奉文大将の遺品、その他多くの遺品等を展示した「旧軍資料室」がある。

 その他に団本部序舎北側には、小学校唱歌で知られるようになった「水師営の会見」の2番の歌詞に出てくる旅順水師営ゆかりの棗(ナツメ)の孫木が植樹されている。

 この、「乃木室」「旧軍資料室」等は一般にも公開されており、年間約1万2干名の見学者が訪れる。

 <お問い合わせ先>善通寺駐屯地広報班 0877・62・2311(内線217)

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