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   2006年8月1日号
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スポーツよもやま話
根岸直樹
王監督の手術成功に感涙!!
脳裏に浮かぶ様々な思い出
あとは1日も早く現場復帰を
 王監督、手術成功(胃の全摘出)、よかったですね。涙が出るほどうれしくて、その夜はなかなか寝つけませんでした。小生の友人の尾道市会議員(広島県)にも、胃を全摘出した男がいますが「胃は全部取ってしまっても、またふくらんで元の形になる。不思議な臓器なんだ」と話していたのを思い出しました。一日も早い現場復帰を願ってやみません。
 ところで王監督、寺原(隼人、日南学園、ドラフト1位、5年目)がやってくれましたね、5年前のドラフトで巨人、横浜、中日と競合、王監督が引き当てた未完の大器。投手の話を聞くたびに「寺原がなあ…」といい続けてきたあの寺原が、日本ハムを相手にプロ初の完封勝ち(7月16日)。「入院中の監督から試合後、直接電話をいただきました。これ以上の喜びはありません。一日も早く帰ってきて下さい」と、本当にうれしそうに話していました。監督の復帰を願っての今後の力投が楽しみです。
 王監督、王さんと呼ばせて下さい。王さんはただ単に野球人というだけでなく、すごい人です。進路は違っていても、ああいう生き方をしたい、一歩でも半歩でもいいから近づきたいと思いながら、小生も人生を歩いています。
 いま、王さんのことを思うと、際限もなくいろいろな思い出が脳裏に浮かんできます。半世紀も前の話ですが、元毎日(現ロッテ)に荒川博さん(後巨人打撃コーチ、ヤクルト監督)という大先輩がいました。「オイ、超大物がいるんだよ」と会うたびに自慢していたのが王さん(早実-巨人)だったのです。
 当時、高田馬場(新宿区)の早実の真ん前にあった荒川邸に、王さんは足繁く通いつめていました。二階の和室で真剣を振るってのバッティング練習に、タタミがすり切れてしまっていました。あれが世界の一本足打法の原点だったのです。
 故恭子夫人と結ばれたときも知っています。まだ新人の王さんは連日、多摩川の巨人練習場で汗を流していましたが、恭子さんは一ファンとして、温かく見守り続けていたのです。
 練習終了後、渋谷でデートしていたある日、デスクから「結婚スクープだぞ」と尻を引っぱたかれて、カメラマンとおっ取り刀でかけつけたときの話です。ちょうど国鉄の根本捕手(あの金田正一投手の女房役)が居合わせて「裏でメシ食ってるけど、そっとしておいてやれや」とクギをさされ、スクープをフイにしたこともありました。
 現役を退き、巨人監督も辞め、福岡(ダイエー、現ソフトバンク)に移ったのが95年。それまで万年最下位だったチームを、5年で日本一に育て上げた努力、才腕は、かつて巨人を追われて九州に都落ち後、西鉄王国を築いたあの故三原脩監督をほうふつさせるものがあります。
 今季は三月のWBC(第1回世界ワールドベースボール・クラシック)で日本チームを率いて世界一に。04、05年と連続プレーオフで敗れた悔やしさを「絶対に晴らしてみせる」と約束していた矢先の戦線離脱。胃が潰れてしまうほど心身ともに疲れ切っていたのでしょうか。お兄さんの医師・鉄城さんにさえ事前に予知できないほどの心労は、察するに余りあるものがあります。
 こうなったら、何としても秋までには帰ってきてリーグV、日本一の座について下さい。選手会では「気持ちを一つにして勝ち続けたい」と、左腕に監督の背番号89をプリントした練習用Tシャツを着用、頑張っています。
 いま、王さんの「気力」と書き添えた色紙の前でこの文をしたためています。王さん、王貞治監督。グラウンドでお会いできる日が一日も早くくることを楽しみにしています。
 頑張って下さい。

HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
IT'S THE WISDOM OF AGE
(イッツ ザ ウィズダム オブ エイジ)
年の功だね
 Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。 先週は市ヶ谷駐屯地でも、盆踊り大会が開催され、多くの人が梅雨の晴れ間、愉しい宵を楽しみました。焼きそばのソースの香り、焼き鳥の煙、金魚すくい等、日本の夏祭りの情緒がありました。関東はこれで梅雨明けに向かいます。
 今回の表現は“It's the wisdom of age"「年の功だね。」です。Ageは、「年齢、寿命、世代」といった名詞のほかに、「年をとる、ふける」という動詞の意味もあります。Wisdomは、「賢明、分別、知恵、叡智」といった意味。商売のコツをcommercial wisdom(コマーシャル・ウイズダム)といいます。知恵がつくことは、I get wisdom(アイ・ゲッ・ウイズダム)で表現できます。入れ知恵は、get(自分で積極的に入手する)ではなく、borrow(バラウ:借りる)を使って、borrowed wisdom(バラウド・ウイズダム:入れ知恵)となります。面白いですね。今の時代、情報が氾濫する中で、一番安心して利用できるのは、そういう経験則から来る情報のような気がします。先輩の持っている知恵を大いに利用させていただきたいものです。人生が豊かになります。
 台風の影響による集中豪雨が各地を襲っています。気象情報もしっかりgetし、安全対策を年の功で抜かりないよう、万全を期したいですね。
 それでは、みなさん。See ya!

防衛ホーム 俳句コーナー
黙祷す二十の夏の還る刻鮎瀬  汀
思ひ切り今日一日を阿波踊天本宏太郎
風鈴をやっとみつけし夜の風越後 小吹
佐渡の路地人恋しげな祭笛川端 初枝
あてもなく歩く蟻とも思はれず小向 青穂
横顔に花火の色の浮かびきし藤井 湖風
東京のネオンの上に花火咲く古谷 地良
背に重さのせ行商の汗光る山崎 明子
戦争の昔をぽつり夕端居青木 敏夫
よく通る廊下の風に昼寝かな大谷 水田
秋が好きと言ひしは若き故なるや渋谷乃里子
海の家尽きし浜辺に漁網干す長尾 花子
歳月に追はるるごとく虫の鳴く長谷川ハルエ
バス降りしわれを見守る盆の月本田すみ子
帰省子に話したきこと言へぬまま西田真由美
朝蝉に起されしより野良に出る渡辺 成典
石投げて君を思ひぬ水の秋鶴 たけし
杉涼し山を拓(ひら)きて一軒家今村 淑子
任終へて友退官す稲の秋坂本 順一
周航の歌に酔ひしれ秋深む貴志とおる
   選 者 吟
何か告げたく秋風となりて吹く保坂 伸秋
(「栃の芽」誌提供)

イラク派遣を終えて シリーズ
日本の美しさを再認識
空自航空警務隊 三沢地方警務隊 3空佐 杉田和信
 私が派遣されたのは、昨年の12月下旬でした。5カ月になる息子の成長を見ることが出来ないのが残念と思いつつ、名古屋(小牧)に移動しました。日本から出発する翌日、名古屋は記録的な大雪で出発が延期されるのではないかという心配もあったのですが、懸命な除雪作業により政府専用機は予定通り出発しました。
 中東クウェート国に到着して最初に感じたことは、何処を歩いても砂ばかりで、砂漠だなあ(あたりまえなのですが)ということでした。また、派遣前教育では、クウェートの冬は寒いので注意といった教育があったのですが、冬といっても中東なので昼は暑いのだろうと勝手に想像していました。ところが、事前教育のとおり寒く、非常にびっくりしました。この冬の最低気温は3℃、最高気温でも12℃という日もあり、防寒具は必需品でした。街中の衣料店では、ダウンジャケットを販売していました。
 私は、今回の派遣が初めての海外勤務でした。その勤務状況は、日本とかけ離れており、アラビア語及び英語が飛び交う毎日で、少し(かなり)苦労しました。日本以外の関係機関等との調整は全て英語(当然なのですが)で、英会話能力は必要不可欠でした。特に、警務隊の防犯活動及び要人警護を実施する上では、派遣輸送航空隊内での調整以上に部外との調整及び情報収集が必要不可欠であり、派遣期間中、調整内容を英語に翻訳する作業の方が、調整内容を検討するよりも苦労しました。さらに、電話での調整ともなると、ジェスチュアが使えないため、英語のヒアリング・スピーキング試験の心境でした。後で考えると不十分な面もありましたが、なんとかなったと思います。
 そんな勤務の中で、毎日のストレス解消が、食事と運動でした。特に日本人シェフの日本食は充実しておりました(伊藤さん、佐藤さんありがとうございました)。気がつくと、禁酒にもかかわらず、かなりの体重増加になり、今までの人生の中で最高体重を記録しました。その体重を落とすために、持続走及び筋トレを行うことが必要でした。帰国時には、なんとか派遣時の体重近くまで戻すことができました。
 本年4月に無事帰国できました。帰国後、悲しかったことは、自宅で9カ月になった息子に再会した際、大泣きされてしまったことです。泣かれた理由は、久しぶりの再会に涙したのではなく、「この人、誰?」ということで泣いたようです(妻談)。かなりショックでしたが、翌日以降はニコニコ笑って接してくれました。
 一方、良かったことは、派遣輸空隊で警務が取り扱う大きな事件がなかったことです。また、とりあえず英語を話そうという気持ちができたこと。そして、砂漠と正反対の緑や川のある日本の自然がいかに美しいのかということを認識することができたことです。そして何より、今回の派遣で様々な貴重な経験をすることができました。今後の資としていきたいと思います。

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