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   2006年8月1日号
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世界で最も権威高い「国際歯科学会」
大貫3海佐が研究発表
 海上自衛隊第21航空群館山航空基地隊所属の大貫佳鼓3海佐は6月30日、豪州ブリスベンで開催されたIADR(国際歯科)学会で「海上自衛隊における口腔内規格写真の活用について」というテーマで研究成果を発表した。
 この学会は、国際歯科学会で最も権威の高いもので、参加者数4000名、発表件数2600件にのぼり、世界中の歯科医師が参集し、歯科医療の最先端技術が討論される場でもある。
 大貫3佐は日頃から、口腔衛生の現状、特に口腔内を清潔に保つ技術を若い隊員へ教育実践することが、任務を円滑に遂行する上で極めて重要な要素になりうると感じ、研究・指導を実施していた。そこで、この学会参加に当たり、館山航空基地隊員の口腔内の状態について分析し、患者自身の口腔内の写真を撮影することにより治療の意識を高めることが有効な治療方法であるとの研究成果により、口腔内写真の有効活用について発表を行った。大貫3佐はその後、各国の出席者と活発な意見交換を行い、「他国の同じ現場で働く人々から貴重な意見を聞くことができた」と語っている。
 同基地では、インド洋方面派遣をはじめとして隊員の海外派遣活動が増加していることから、長時間の海外勤務を遂行する上で口腔内の健康維持は重要であり、最新の歯科医療情報を収集、そして啓蒙していくことは隊員の健康管理にも繋がるとしている。大貫3佐は、女性自衛官として家庭と職場の両立という厳しい環境の下、周囲の協力を得て今回の発表が実現できたことに対し感謝するとともに気持ちを新たに引き締めていた。

八戸航空基地で七夕コンサート
 海上自衛隊八戸航空基地(第2航空群司令・畑中裕生将補)は7月7日、文化芸能発表会(七夕コンサート)を基地体育館で開催、出演メンバーは日ごろの練習の成果を存分に披露し、約700人の隊員と家族を魅了した。
 このコンサートは、隊員の文化芸能を発表する場として隊員の融和団結と士気の高揚を図る目的で昨年から始められ、今回で3回目。夏の開催は初めてで、ゆかた姿で参加した子供たちもいつもと違った七夕の夜を過ごしていた。
 体育館入口には大きな笹竹を準備するなど、七夕の雰囲気をかもし出すとともに海曹会による焼きそば、焼き鳥、アイスクリーム、ジュースなどの販売も行われ、隊員と家族の交流を深めた。子供たちは「おとなになったらケーキ屋さんになりたい」「ボーケンジャーになりたい」「おこづかいがいっぱいもらえるように」など思い思いの願い事を短冊に書いていた。
 コンサートでは、2空隊員と家族のチェロ演奏による「サウンドオブミュージック」で幕を開け、ディズニー映画音楽などで子供たちのムードを盛り上げた。引き続き、福祉施設慰問や各種イベントに参加している基地隊隊員の「小林旭そっくりショー」や「居合道の演武」、群司令と整補隊隊員による三味線演奏、各隊混合のバンド演奏、そして最後は整補隊隊員と家族によるリズム感あるバンド演奏で幕を閉じた。

<論陣>
複雑化する中東情勢
=イスラエル・レバノン戦はどうなる=
 北朝鮮のミサイル、G8サミットなどに気をとられている間に、中東でレバノン・イスラム教シーア派民兵組織である「ヒズボラ」が7月14日、宿敵のイスラエルに宣戦布告。連日、激戦を展開、多数の死者が出るという異常事態が発生していた。戦闘は日を追って激化、民間人も1日100人を超す犠牲者が出ている。国連などの国際機関が早急に調停工作を行わない限り“新しい中東戦戦"に拡大しそうだ。
 まず「ヒズボラ」とは、どんな組織で、いつ結成され、どんな運動をしているかを知らなければならない。一般のマスコミは「イスラエル空軍機がヒズボラの拠点を空爆した」と報道しているが「ヒズボラ」についてのくわしい説明をしていない。
 ヒズボラはレバノンのシーア派系住民を中核としたイスラム復興運動組織のこと。1982年にイスラエル軍がレバノンを侵攻した直後に創設された。92年の総選挙では14議席を獲得、政党的存在として市民の公認を得ている。運動理念はイスラム法学者のフセイン・ファドラッカー師の著作“イスラムの力の論理"を元にした反ユダヤ教組織である。ヒズボラの名を世に知らせたのは、南レバノンでの反イスラエル闘争を展開、2000年5月にイスラエル軍を撤退させたことによる。スポンサーは反イスラエルのイランとシリア。
 レバノンは戦争、内戦を繰り返してきた。第1次大戦後、フランスの統治下に置かれたレバノンは1943年、独立を宣言した。イスラム教徒とキリスト教徒が話し合って政府を作ったが、キリスト教派が多数だったためイスラム教徒の不満が爆発、内戦になってしまった。キリスト教マロン派、アルメニア正教、イスラム教スンニ派、シーア派が、それぞれ軍隊(私兵)を作り、キリスト教派に対抗する一方で私兵集団が対立し、武力紛争をくり返した。82年には南部レバノンに親イスラエル組織が誕生。「南部に安全地帯を作る」との名目でイスラエル軍が首都ベイルートに侵攻した。その結果、レバノンはパレスチナのPLO(パレスチナ解放戦線)、イスラエルなどの集団、国家との対立を続けている。
 そうした複雑な情勢下で、さる7月10日すぎイスラエル軍は南部レバノン各市をミサイルで攻撃する一方、14、15、16日に空軍機を動員、首都ベイルートなどの主要都市を空爆した。死者が連日100人近く出るという最悪の状態である。イスラエルのレバノン空爆の理由は「レバノン南部にいるヒズボラ武装集団がイスラエル兵2人を拉致した。これをとり返すため」となっている。無差別爆撃に反発したレバノンのイスラム教シーア派の武装組織「ヒズボラ」は7月14日、「事実上、イスラエルのレバノン侵攻」としてイスラエルに対して宣戦布告した。
 長い間、レバノン南部にはパレスチナのPLOが拠点を置き、イスラエルを攻撃してきた。イスラエルにしてみればレバノン南部は“敵の出城"が点在している地域である。どんな理由をつけても南部レバノンを破壊しなければイスラエル国の確立と安全が保てないというのがイスラエルの考え方である。
 イスラエルとパレスチナの戦いは、正に“終りなき戦闘"の様相を呈している。
 1948年5月、国連がパレスチナ分割案をのんで“イスラエルの独立"を宣言した。それまでパレスチナだった国土の中はイスラエルとパレスチナというふたつの国家が誕生してしまった。パレスチナはヨルダン川西岸とガザ地区(南西部)に分散され、中央部はイスラエル国になった。西岸に61万人、ガザ地区に88万人がキャンプの内外に押し込まれ、その他の約200万人は、パレスチナ難民としてレバノン、シリア、ヨルダン、ギリシャなどに逃がれていった。「パレスチナをイスラエルから取り戻せ」。64年5月、PLOが創設され、武装闘争、対イスラエル外交などを行ってきたが、結局、両国の対立は治まる状態ではない。
 加えてこんどのイスラエル軍のレバノン攻撃である。ことは複雑化の一途をたどっている。アラブ連盟(21カ国)は「国連が調停に積極的になって中東和平を実現してほしい」と要求している。尊い人命を失う戦争が早く終結することを願って止まない。

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