「明治維新は江戸の否定か、それとも江戸の達成か」、という日本史の論点がある。近年の歴史学は、明治維新を江戸の否定ではなく、江戸の達成とみる見方が主流になっている。この見方は私が学校で日本史を学んだ昭和30年代頃の見方と真逆である。その頃、江戸時代は古い封建時代であり、身分制度の固定した自由のない貧しい時代であって、明治維新によって江戸が否定され、日本は近代社会になったという見方が主流であった。
歴史学は総じて江戸時代を肯定的に見直す方向に進んだ。江戸時代は近代の始め、250年という世界史上希有な長期にわたる平和な社会を実現していた。これを比較文学者芳賀徹は「パックス・トクガワナ(徳川の平和)」と呼び、江戸時代の文明的、文化的豊穣さを説いている。江戸時代、北から南まで列島全体が均質化、平衡してナショナリズムと同胞意識が育っていた。社会は成熟し、一押しすれば近代社会となる状況だった。徳川幕府は倒されたが、榎本武揚を始めとする優秀な幕臣が維新政府で活躍した。後に総理大臣となった大隈重信は、「明治の近代化はほとんど幕臣小栗上野介の構想の模倣にすぎない」との言葉を残している。江戸と明治は連続している。
江戸時代、民衆は豊かに暮らしていたという観察記録がある一方、貧困な時代だったとする見解も根強い。実際はどうだったのだろうか。アンガス・マディソン『世界経済概観』によると、各国(各地域)の一人当たりGDPは、1700年(江戸前期)で日本570ドル、中国600ドル、韓国600ドル、インド550ドル、西ヨーロッパ997ドル、1820年(江戸後期)で日本669ドル、中国600ドル、韓国600ドル、インド533ドル、西ヨーロッパ1,202ドル、1950年(戦後間もない昭和期)で日本1,921ドル、中国448ドル、韓国600ドル、インド619ドル、西ヨーロッパ4,578ドルとなっている。日本はずっと西ヨーロッパより貧しいが、近代になっても中国、韓国、インドが貧しいままなのに対して、日本は江戸時代から少しずつ豊かになっていることがわかる。
近年の江戸時代の見直しと評価は、近代文明に対する現代人の疑念と無関係でない。それは平和と持続可能性の観点からの疑念である。近現代文明は明らかに平和と持続可能性の達成に失敗している。一方江戸文明はこれを実現していた。平和で持続可能な文明をつくりあげた江戸時代の日本人の智慧は、現代学ぶべきものがあるかもしれない。
江戸文明はどのような文明だったのか。江戸時代は平和で、世界との交流がほとんど閉ざされていたため、日本人の特質、能力が純粋に発達し、成熟した。経済的にそれほど豊かではないが、文化的に豊穣な文明社会だったのではないだろうか。絵画に俵屋宗達、葛飾北斎や浮世絵など、世界レベルのものを生み出した。また、俳句という独特の文学を生み出した。芭蕉は現在、日本の代表的な詩人との世界的評価が得られている。
日本文化の世界的評価は、明治以降より圧倒的に江戸時代の方が高い。江戸時代の文化は高度に成熟し、洗練された精神がみられるゆえである。「風流」を表わす英語はないと漱石がどこかで言っていた。「いき(粋)」や「すい(粋)」なども江戸時代に発達した非常に洗練された精神である。
江戸時代、倫理や道徳にかかわる精神も、繊細な恥と美の倫理など、現代なお日本に生きているすぐれたものがあったのではなかろうか。
(令和5年12月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著書に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |