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スペーサー
自衛隊ニュース   1108号 (2023年10月1日発行)
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ノーサイド
北原巖男
古着屋さんアレコレ

 連日の、てぃーだかんかん。
 全く容赦のない今年の酷暑。
 全国の自衛隊員の皆さん・ご家族の皆さん、そして本紙読者の皆さんも、大変な思いをされ、暑さと戦って来られたことと思います。
 後期(輝)高齢者の僕にとってもかなりきつく、意識が薄れていくほどでした。・・・そして気が付いたのです。この長いズボンが汗で脚にまとわりついて不快なことが原因だ。
 そこで、近所の商店街に近頃できた古着店に直行。半ズボン(短パン)を購入することにしました。古着店と言っても店内は明るく広く、老若男女様々な人たちが試着しながら買い物を楽しんでいます。
 後ろと左右に大きなポケットが付いている若者向けのカッコイイ短パンを見つけました。陸上自衛隊の作業服のような色合いと材質。気に入りました。しかも通常価格の半額500円。試着。自分でも直視するには勇気がいる日焼け度ゼロの脚は気になりましたが、ピッタリでした。即、購入。
 早速、炎天下の中、5キロ離れた世田谷区用賀のリサイクルセンターまで歩いて行きました。何故か足はリサイクルセンターに向いていました。本当に快適です。子供のころの悪ガキに戻ったような気がしてきました。大汗をかきながらも水分補給、大きくなった歩幅で速度は上がります。
 実のところ、僕は今まで半ズボンを毛嫌いしていました。それは子供のころの苦い思い出があったからでした。
 僕たち田舎の子どもは「ツギ」の当たった長ズボンに親のお下がりの古いベルトを締め、ベルトの端は膝の上でブラブラしていました。それでもそれは普通のことで、メンコやビー玉、釘差し陣地取り、布毬三角ベースでそれなりに充実した楽しい時間を過ごしていたのでした。
 それなのにそれなのに、毎年夏休みになると東京から都会の子ども達が親と一緒に帰省して来て、僕ら田舎の子どもはバカにされたような感じがしました。それが東京の子の半ズボン姿なのです。東京の子で「ツギ」の当たった服を着ている子はいません。さっぱりしたシャツに半ズボン、都会の子は綺麗でキラキラ輝いて、とてもまぶしく見えました。マウントを取られたような一種の敗北感を感じていました。もちろん一方的な被害者意識です。その気持ちがずっと尾を引いて、半ズボンには抵抗感がありました。怨念と言っていいかもしれません。
 が、今年、その呪縛からやっと解放されたのでした。六十数年かかったことになります。購入した半ズボンと同じ色のTシャツを着用すると、自分でも予期しないほどの元気が湧いて来ます。
 僕は、以前東ティモールというアジアで一番新しい、小さな国に住んでいたことがあります。首都といっても小さな町。しかし、そこには数え切れないほどの古着屋さんが青空市場に店を広げていました。覗いてみると、体育着でしょうか「3年1組田中」「1年2組さとう」などと胸に大きく書かれた運動着が沢山売られていました。日本から贈られた寄付の品の一部かもしれません。東ティモールまで、どんな旅をして来たのでしょう。
 大人むけの衣類も充実しているようで、現地のNGOで活躍している日本女性の中には、青空市場の古着屋さんで「本物」の高級ブランド品をGETするのを得意としている方もいました。外に店を出しているので、服は埃だらけなところが難点だと思うのですが、「全然平気、洗えば済む話」と、ドヤ顔で戦果品を広げて見せてくれました。
 衣類だけでなく、様々な運動靴(スニーカー)も青空市場に並んでいました。あの世界的に有名な人気スポーツ用品の会社製かな、と思うような馴染みの商標を付けた運動靴もあります。
 東ティモールには、こんな知り合いの韓国の方がいました。朝鮮戦争当時幼かった彼は、戦火から逃れるため家族と必死に南に向かって歩き続けたそうです。そんなとき、靴の有難さを身にしみて感じたとのこと。この体験を語ってくれた彼は、型番を変更したことからこのままでは廃棄処分扱いとなってしまう未使用の運動靴を「もったいない!」と言って、韓国の靴メーカーに掛け合い、コンテナいっぱいの運動靴を寄付してもらいました。韓国から到着したこのコンテナは、しばらくの間、彼の住まいの前の路上に置かれていました。その後、東ティモールの子ども達にプレゼントされたそうです。型落ちした新品の中古品の有効活用です。青空市場に並んでいる靴はその一部かもしれません。
 短パン(半ズボン)生活7日目。唯一の弱点は、遺憾ながら加齢のためか、近づいてくる蚊の羽音が聞こえなくなり、安易に脚への大規模同時襲来を許してしまうことです。
 でも、今は、目覚めた少年の心を持って(?)、長かった六十数年を取り戻すことに専念しています。レッツ・ゴー
 *てぃーだかんかん
・・・沖縄の方言です。てぃーだは、太陽のこと。カンカン照り。

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


雪月花
 「子孫に美田を残さず」。西郷隆盛の詩の1節で財産を子孫に残すとそれを頼りにして真面目に働かなくなるから残すなと言う意味である。この「美田を残さず」が最近は違った意味を持ってきているようだ。
 1960年代ごろまでは日本中どこに行っても初夏の水田、秋の黄金の穂波など心が豊かになる風景が続いていた。そして今、地方に行くと人の背丈ほどに伸びた雑草が広い田んぼを占拠している。いわゆる耕作放棄地だ。日本農業の復活は放棄地の問題にたどり着くが収益性の低さに加え高齢化と就農人口の低下という難題がある。
 日本経済の元気な時代、地方の若者は大都会を目指した。進学する者、就職する者が出て行き地方からは活力がなくなる。安直で享楽な都会生活を味わうと二男三男はもちろん家の跡取りと言われていた長男さえも地元に帰らなくなった。
 両親がいなくなった後の農地はどうするか。兄弟、親類で話し合うがこれという名案はない、「中山間地域を活性化させます」と言う口先だけの政治を当てにすることも出来ない。親から受け継いだ時は結構な資産価値があったはずだが今は処分に困るお荷物 "負動産" になっている。
 手入れの行き渡らない山林も同様、こんな状況を抱えて悩んでいる人がなんと多いことか。個人の力では乗り切れない事態に陥っている。
 「美田を残さず」の意味が違ってきたと言えば西郷さんに叱られるかもしれない。

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