「草木国土悉皆成仏」という世界観が、日本仏教の中心思想であり、日本文化の本質をなすと昨年93歳で死去した哲学者・日本学研究者梅原猛は言う。
「草木国土悉皆成仏」とは、人間や動物はもちろん、草木や国土も仏性をもち、成仏できる(仏になる)という思想である。梅原猛は、日本思想の原理について50年近く考え続け、80歳近くになって、それは鎌倉新仏教以来の「禅」ではなく、平安時代末期に完成した「天台本覚思想」と、その端的な表現の「草木国土悉皆成仏」であると思うに至ったという。そして梅原は、この思想が西洋哲学の限界を超えて、人類哲学の根本となりうると説く。
「天台本覚思想」とは、天台宗が密教を取り入れて完成させた思想で、人は本来悟っており(仏であり)、現実のありのままの現象世界がそのまま仏の顕現した世界であると見る。これを一歩進めると、全ての有情(人や動物)、非情(木石など)が仏になるという「草木国土悉皆成仏」思想となる。
「草木国土悉皆成仏」思想はインドの仏教にはない。中国で生まれ、日本で深化した。インドの本来の仏教は、草木に仏性の存在を認めない。しかし、中国天台宗の湛然は、『摩訶止観』にある「一色一香中道でないものはない」の解釈をめぐり、中道に仏性を読み込んで、非情(木石など)にも仏性があるとした。
最澄によって日本天台宗が開かれたが、最澄の後継者たちは、非情(木石など)にも仏性がある思想を発展させ、「山川草木悉有仏性」、「草木国土悉皆成仏」といった天台本覚思想を発展させた。天台座主を務めた忠尋(1056-1138)は、「草木国土悉皆成仏」について、(1)草木は仏智の相分として、そのままで清浄、当体常住であり、仏そのものである、(2)自己の心身と国土(環境、自然)は不二一体であり、切り離せない(つながっている)。ゆえに仏身を生じれば(自己が仏となれば)、仏国土も生じて(国土が成仏)、そこに草木も成仏する、と説いている。
「草木国土悉皆成仏」思想は、日本人にはきわめてすなおに肯定された。室町時代に始まる能や謡曲に「草木国土悉皆成仏」という言葉は頻繁に出てくる。この思想は日本の風土と日本人の感覚によく合い、日本文化の基層となってきた。
梅原猛は、「草木国土悉皆成仏」は日本の縄文文化の伝統の上に成立したという。縄文文化は日本の豊かな自然の中で発達した高度の漁労採集文化で、なお日本文化の基調にあるという。私は日本の神道も縄文由来で、「草木国土悉皆成仏」思想も、自然を畏敬し自然を神とする神道の影響下にある思想ではないかと思っている。神道は自然道であり、起きてくる全ての現象を自然(〓神)の顕現としてそのまま肯定する。
「草木国土悉皆成仏」の根底に地上の万物、すなわち人間を含む動物、植物、さらに山、川、海、石などの自然物もすべて生きている(生命すなわち霊性をもつ)存在と見る思想が横たわっている。この伝統的な日本人の感覚の上に、自己は万物とつながって存在している、すなわち自己と環境は不二一体であるという仏教思想が加わって、「草木国土悉皆成仏」思想が深化した。
人類が深刻な地球環境問題に直面する現在、環境(自然)は生きており人間と一体であるとする「草木国土悉皆成仏」思想は、人類のもつべき良き哲学たりうると考える。
(令和2年7月1日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |