5月1日、天皇陛下がご即位され、令和の時代が始まってちょうど1年。
天皇陛下と皇后陛下は、常に私たち国民に寄り添われて来られました。そして今、新型コロナウイルス禍の真っ只中にある国民を心配され、その克服に向けてともに歩み続けていらっしゃいます。
5月1日に報じられたフジテレビ宮内庁担当・宮崎千歳記者のレポートです。
「側近によりますと、本当は最前線で感染症に立ち向かっている人たちのもとに足を運んで直接感謝やねぎらいの気持ち伝えたいと。
ただそれは今かなわないので、現時点では対応にあたっている現場の生の声を聞くことで状況を正しく理解することがご自分にとって必要であり大事だと、そういうふうなお気持ちでいらっしゃるというふうに伺っています」
4月10日に尾身茂新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長からご進講を受けられた際の、天皇陛下のお言葉が宮内庁ホームページに掲載されています。(筆者抜粋)
「・・・これまで、日夜、現場で医療などに携わってこられている多くの関係者のご努力を深く多とします。
・・・この度の感染症の拡大は、人類にとって大きな試練であり、我が国でも数多くの命が危険にさらされたり、多くの人々が様々な困難に直面したりしていることを深く案じています。今後、私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えて行くことを心から願っています。」
5月4日には、緊急事態宣言を今月末まで延長せざるを得ませんでした。39の県については、その後14日に解除されましたが、油断大敵。一層心を一つに力を合わせて行かなければ元の木阿弥になってしまうことは必定です。私たちには、誰一人として傍観者や評論家はおりません。みんなが、感染防止のための責任と愛情を持って行動する主人公です。
ステイホームを続けている中、沖縄の青い海をジンベイザメがダイナミックに泳いでいる封書が届きました。差出人は、沖縄県伊江島出身で「関東伊江島城(ぐすく)会」前会長の福原和美さん。
「おはようございます。4月27日の沖縄タイムスの記事、思わず切り抜きました。ヤーグマイの最中、新聞届くのが何より楽しみになりました。それと、マスク作り」との手紙。沖縄タイムス紙「地球日記380」が添えられています。沖縄発JICAボランティア(青年海外協力隊員)として、2019年7月から東ティモールの飛び地オエクシの県立病院で病院栄養業務に取り組んでいる沖縄県那覇市出身の中今美音さんの手記です。
思えば5月は、今から48年前(1972年)の5月15日は、沖縄が本土に復帰した日。そして18年前(2002年)の5月20日は、東ティモールがアジアで一番新しい国として独立を回復した日です。しかもオエクシは、「かつての日本の沖縄」と称されるように、東ティモール国内にあっても、社会インフラの整備を始め住民の生活水準等が一番厳しい状況下にあります。住民の実質的な交通手段は、週2回首都ディリから来るフェリーのみ。他県と比較して様々な面で大きなハンディを負っています。沖縄県生まれの中今美音さんは、そのオエクシにて、次代を担う子供達や妊産婦の健康を守るために尽力されています。
「・・・沖縄のいちゃりばちょ-でーのような空気を感じる。・・・赴任して2週目に、年齢8歳、体重8キロ、飲食不可、座ることも出来ない女の子が緊急入院したが、3日後に亡くなった。これが現実だという気持ちと喪失感が襲った。約2か月後、同じような状況の女の子が運ばれてきた。・・・関わる回数が増える度に家族とも打ち解けることが出来た。・・・その子の回復を周りの人たちと喜びあった。言葉が通じず失敗も多かったが、思いやりの心は通じるのだと実感できた。」
遥か彼方の東ティモールにて、一人の女の子の命を救うことが出来ました。心を一つに力を合わせて。
沖縄の基地問題等に全力で取り組んで来られた岡本行夫さんが、新型コロナウイルスのため急逝されました。政府は勿論、沖縄の基地所在市町村の皆さんからの信頼は厚く、その死を悼む悲しみの声が聞かれます。伊江島を心から愛された岡本さんは、最初の名誉村民でもありました。今回も本年2月に伊江村を訪問され、島の将来を担う子供たちと交流、激励し、図書の購入支援をされて来たばかりです。心からご冥福をお祈り申し上げます。
(注)1.「ヤーグマイ」とは、伊江島の言葉で家に閉じこもるといった意味。
2.「いちゃりばちょ-でー」とは、沖縄の言葉で一度会えば兄弟といった意味。
3.新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、JICAでは、全途上国に派遣している青年海外協力隊員を一時帰国させる措置を取っています。中今さんも一時帰国され現在充電中です。
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事 |