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1015号 (2019年11月15日発行) |
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読史随感
神田淳
<第41回>
すばらしい日本の儒学者 |
江戸時代前期の儒学者伊藤仁斎(1627‐1705)をご存じだろうか。当時の儒教の本流である朱子学を批判し、『論語』、『孟子』に孔子の教えの本来の意義を見いだす「古義学」を提唱した。生涯市井の儒者として、京にあって『論語古義』などの著述につとめ、塾「古義堂」において多くの門弟教育にあたった。
儒教は中国に生まれ、日本を含むアジアの周辺国に広がったが、本場中国および韓国における儒教と、日本の儒教とは違っていると私は以前から感じている。
孔子を開祖とする儒教は、秩序ある社会を実現するため、仁、孝、義、礼、信、修己といった道徳を重んじる実践的な教えであるが、これが宋の時代に哲学的に深められ、南宋の朱子によって壮大な形而上学体系として集大成された。中国では、この形而上学の体系(朱子学)が、国教としての儒教の正統の地位を獲得し、国家の体制教学となった。
日本では江戸幕府を開き、統治の安定を望む徳川家康が林羅山を登用して儒教を導入し、広めさせた。しかし、羅山が導入した朱子学主体の儒教は、幕府公認の地位を獲得したものの、日本の儒教は中国・朝鮮と異なり、決して朱子学一辺倒になることはなかった。朱子学を批判する者、あるいは否定する学者が多数現れた。その代表的存在が伊藤仁斎である。
形而上学としての朱子学の根本は、世界の普遍的な原理、宇宙万物の存在根拠として「理」を立て、「理」は客観的な自然法則であるだけでなく、人間の本然的な秩序感覚にもとづく倫理的な当為法則も「理」であるとする。そして「理」は人間に内在し、人間の内奥に善の原型として潜む(これを「性」という)。従って朱子学では、人は心を静かにして、欲望と感情を律し、精神を集中させ、内奥にある「理」を実現することを理想とする。
仁斎はこうした朱子学の「理」を認めない。人間の内奥にあるとされる「理」を実現する実践は、必然的に公式主義、厳格主義、教条主義となり、「理」は「残忍酷薄」を生むと批判する。
仁斎は孔子の「仁」が儒教の根本であり、「仁」は「愛」以外の何ものでもなく、すべての善の基本であると強く主張する。仁斎は若い頃朱子学に傾倒したが、実践して疑問に感じ、30代後半以降孔子に回帰して愁眉を開いた。仁斎は『論語』を「最上至極宇宙第一の書」という。『論語』は孔子の卑近な日常の言行録にすぎないが、仁斎は、日常の卑近で平明な教えこそ真実の教えであり、朱子学のような高遠で思弁的な形而上学は、かえって道徳の退廃を招くという。
伊藤仁斎は京都の裕福な町人の出である。私は、この時代に仁斎のような町人の学者が出現したことに、日本近世の近代性、多様性、および豊富な可能性をみる。また、朱子学の「理」を否定し、「愛」と卑近な日常の中に道があるとする仁斎に、大陸とは異なる、多元的で情緒性豊かな日本の精神風土を感じている。
倫理学者相良亨は、仁斎の思想を、日本人の伝統的な倫理感覚を踏まえつつ、儒教的教養によってこれを高めたものと評価しているが、深く同感する。
(令和元年11月15日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。 |
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