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自衛隊ニュース   996号 (2019年2月1日発行)
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各種競技会を実施
<15旅団>
 第15旅団(団長・原田智総陸将補=那覇)では、部隊の練度を向上させるとともに、団結・規律・士気を高揚させるため、様々な競技会を行っている。
 第51普通科連隊は、12月6日・7日、沖縄県内の訓練場等において、射撃競技会及び炊事競技会を行った。射撃競技会は機関銃及び狙撃銃の部門に分かれて競った。また、炊事競技会では、豚の生姜焼き、ポテトサラダ、ジューシー(沖縄風炊き込みご飯)を課題メニューとして、各中隊の料理人たちが熱い戦いを繰り広げた。
 第15偵察隊は、12月13日、那覇訓練場において、オートバイ競技会を行った。本競技会は、第51普通科連隊情報小隊も参加して、ぬかるんだ悪路や障害物を設置したコースの周回を競う20分間耐久レースで、偵察隊員として必要な操縦技術を競い合った。
 2連覇を果たした第15偵察隊・後藤2陸曹は「日頃の訓練の成果を十分に発揮でき、今年も優勝することができました。しかし、若い後輩隊員もメキメキ実力をつけてきているので、負けないように更に鍛えていきます」と述べた。

大韓民国合同軍事大学留学
矢野3空佐、総長賞を受賞
 平成29年12月から30年12月まで、大韓民国合同軍事大学指揮幕僚課程へ留学派遣されていた矢野裕樹3空佐は、成績優秀賞にあたる合同軍事大学総長賞を受賞するなど優秀な成績を収めた。
 大韓民国合同軍事大学は、自衛隊の幹部学校に相当するもので、日本では防衛省にあたる韓国国防部の直轄部隊機関。2011年にこれまでの陸・海・空軍大学を統廃合し創設されたもので、「合同」は自衛隊の「統合」と同意。矢野3空佐が卒業した「合同基本正規課程」は将来の軍事専門家として、佐官を対象に、合同及び合同・連合作戦遂行と軍事力建設を先導する職務遂行能力の涵養を図ることを目的とするもので、幹部学校の「指揮幕僚課程」に相当するものだ。
 矢野3空佐は本課程において空軍留学生12カ国13名中トップで卒業し、合同軍事大学総長賞を受賞した他、卒業論文として提出した研究論文が最優秀賞を受賞、TOPIK(韓国語能力検定試験)で最上級の6級を取得するなどの輝かしい成果を残すとともに、韓国及び、各国留学生との親睦を図ることで信頼の醸成に寄与した。
 帰国後、矢野3空佐は統合幕僚監部運用部運用第1課に所属。今後は、日韓の架け橋となるような活躍が期待される。

米国高等空輸戦術訓練センターにおける訓練に参加
航空自衛隊

 航空自衛隊は、12月6日から12月25日の間、米国高等空輸戦術訓練センター(AATTC)での訓練に参加し、輸送機の任務遂行能力の向上を図った。
 本訓練へは平成19年度から参加し、今回で11回目。今回参加したのは、航空支援集団第1輸送航空隊(小牧)の水野将貴3空佐を訓練指揮官とした第1輸送航空隊第401飛行隊所属のC-130H輸送機1機、人員約30名。訓練参加部隊は、低高度航法、物料投下及び不整地離着陸等の訓練を実施。前段の基本訓練をアメリカ合衆国ミズーリ州ローズ・クランズ州空軍基地で、後段の応用戦技訓練をアリゾナ州リビー陸軍飛行場に移動して行った。
 本訓練によって、実相に即した環境のもと実践的な訓練を実施するとともに、飛行計画の作成から飛行実技、飛行後の評価に至る一連の活動について、AATTCの教官から評価を受けることで、効果的に各搭乗員の技量の向上を図ることができた。

 また、訓練参加部隊は12月7日、往路でマーシャル諸島共和国へ寄航した際に、日本国内の公益財団法人等が寄付した、車いす、文房具、スポーツ用品等を輸送した。これは外務省からの依頼に基づき実施したもので、航空自衛隊が、訓練実施時に外務省の事業に対してこのような協力を行うのは初めてのこと。引渡し式は、防衛省・航空自衛隊有志が提供した日本酒で鏡開きが行われる等、和やかな雰囲気の中で行われ、日-マーシャル外交関係樹立30周年にあたり、今回の物資輸送が良好な2国間関係に寄与するものとなった。また、帰路時の同国寄航の際は、東太平洋戦没者の碑への献花を実施した。


読史随感
第22回
神田 淳
鎖国考 秀吉、家康の安全保障政策

 江戸時代の鎖国は、和辻哲郎の『鎖国日本の悲劇』に代表されるように、これを否定的にみる歴史的評価が大勢ではないだろうか。和辻は、鎖国がキリスト教と西洋の世界的視野を締め出し、そのため特に科学精神の欠如に代表される日本の文化が形成されたと嘆じている。
 しかし、鎖国に至る状況を知ると、当時の為政者の判断を簡単には否定できない。最大の問題は、キリスト教という一神教の広まりが、国の安全を脅かす危険性があったことである。
 1587年、豊臣秀吉は九州一円の征服後に、主として西九州の有馬・大村領において、また長崎において、イエズス会の勢力が、まさに日本の国家主権を侵すがごとき強堅のレベルに達しているのを実見し、衝撃を受けた。キリスト教の広まりが日本の統治に深刻な問題をもたらすことを直感した秀吉は、同年6月19日、バテレンの国外追放令を発した。
 一日前の6月18日、秀吉は以下の詰問状をイエズス会支部長コエリヨに突き付けた。1.彼および彼の仲間は、いかなる権威に基いて秀吉の臣下をキリシタンになるよう強制するのか。2.なにゆえに宣教師はその門弟と教徒に神社仏閣を破壊させたのか。3.なにゆえに仏教の僧侶を迫害するのか。4.なにゆえに彼らおよびポルトガル人は、耕作に必要な牛を屠殺して食用にするのか。5.なにゆえイエズス会支部長は、日本人を奴隷としてインドに輸出するポルトガル人の行動を容認しているのか。
 この詰問状に、他宗教と共存しないキリスト教が日本社会の安全を損なうという秀吉の為政者としての懸念と、奴隷貿易するようなヨーロッパ文明に対する嫌悪感が現れている。日本ではこの時代、奴隷制度はなく、これを合法とみる伝統もなかった。当時のヨーロッパは、異教徒や有色人種を奴隷として売買することを悪と考えていなかった。
 秀吉のバテレン追放令は徹底しなかった。キリスト教が実質的に禁じられるのは、1614年の幕府によるキリスト教禁止令以降になる。徳川家康はキリシタンが国法に従い、公序良俗を乱さぬ限りこれを容認していたが、ついに禁止に踏み切ったのは、ひとえに日本の国の安全保障のためである。
 当時スペイン、ポルトガルの力はなお大きく、世界で両国による植民地獲得競争は続いていた。そしてスペイン、ポルトガルの宣教師が、世界の植民地化の先兵となってきたことを、家康はよく知っていた。
 家康はオランダ国王から「ーーーバイテル(イエズス会の神父)は、日本の者を次第々々に我が宗になし、他宗を嫌い、後は少々宗論仕り、大なる取り合い(戦争)もこれあるべく候。そのときはバイテルの存分次第にて候ーーー」という警告の手紙をもらっていた。
 キリスト教を禁止し、これをもたらす諸外国との交際を絶った当時の為政者の決断を、日本の国家理性として擁護する意見がイエズス会側にもあったことは知っていてよい。「ーーー日本人は太閤も将軍も日本の国家的理性に従ってキリシタンの反国家的言動に対処している。スペイン国王は、日本をまず内部工作により、続いて武力発動によって侵略する意図の決してないことを、行動と事実によって証明してみせるべきであるーーー」という手紙を、日本にいる複数のイエズス会神父が本国に書き送っている。
(2019年1月23日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


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