平成26年8月20日午前6時30分、前日から降り続いた大雨の影響により土砂災害が発生した広島県広島市の人命救助に係る災害派遣要請が、湯崎英彦広島県知事から掛川壽一13旅団長に出された。
待機していた部隊の初動は早かった。午前7時40分には第46普通科連隊(連隊長・一宮大介1陸佐)の人員約30名と車両約10両が海田市駐屯地を出発し、広島市安佐南区と安佐北区の行方不明者の捜索を始めた。9時03分には、八尾駐屯地にある中部方面航空隊(隊長・中尾国保1陸佐)のUH―1が離陸し、情報収集活動を実施した。以後、海田市駐屯地の第47普通科連隊(連隊長・齊藤肇夫1陸佐)・第13施設隊(隊長・伊藤康人2陸佐)・第13後方支援隊(隊長・渡辺浩二1陸佐)と防府分屯地の第13飛行隊(隊長・大島政之2陸佐)及び海上自衛隊呉造修補給所(所長・坂口好明1海佐)から続々と人員や車両が出発し行方不明者の捜索を始めた。この日16時までに派遣された人員は約600名・車両は約90両・航空機4機で、夜を徹して捜索活動を行った。翌21日には、三軒屋駐屯地の第305施設隊(隊長・小林公則2陸佐)・出雲駐屯地の第304施設隊(隊長・渡邊岳央2陸佐)・山口駐屯地の第17普通科連隊(連隊長・山口真司1陸佐)の人員や車両も加わり情報収集活動や行方不明者捜索活動を行った。24日、入浴支援を開始。25日からは米子駐屯地の第8普通科連隊(連隊長・小見明之1陸佐)と海田市駐屯地の第13特殊武器防護隊(隊長・安部昌勝3陸佐)からも人員等を派遣、依然として夜間も行方不明者の捜索活動を実施した。27日に日本原駐屯地の第13特科隊(隊長・村上賢治1陸佐)・第13戦車中隊(中隊長・杉田智紀3陸佐)・第13高射特科中隊(中隊長・竹下友也3陸佐)、28日には千僧駐屯地の第3後方支援連隊(連隊長・吉岡正孝1陸佐)、9月2日以降、海田市駐屯地の第13旅団司令部付隊(隊長・永井博3陸佐)・第13音楽隊(隊長・今井裕樹2陸尉)、出雲駐屯地の第13偵察隊(隊長・伊達俊之2陸佐)からも人員等が派遣され順次部隊交代しながら夜を徹した行方不明者捜索活動や入浴支援が9月10日現在も1400人体制で続けられている。また、第13通信隊(隊長・清遠高令2陸佐)は、派遣当初から広範囲に展開し捜索活動等に関する指揮連絡の任務にあたっている。
西村内閣府副大臣を本部長とした国の現地対策本部(9月9日より現地連絡調整室)には、自衛隊・警察・消防等の連絡要員を配置して、被災情報等を共有し捜索活動を指揮した。
派遣活動間、大雨や雷雨により行方不明者捜索活動を一時中断することも余儀なくされ、歯がゆい思いをする各部隊・各隊員。そんな隊員達のヘルメットに貼ってある「百万一心」のステッカー、これは、13旅団が団結して任務を遂行するために伝承している訓えで、毛利元就が郡山城の築城の際に人柱に代えて鎮めた大石に刻まれたものと言われている言葉だ。「百万一心」の言葉の左に陸上自衛隊のマークを右に13旅団の部隊章を配したこのステッカーは、現地対策本部でも取り入れられ、現地対策本部では「百万一心」の左に広島県のマーク、右に広島市のマーク、中央に日の丸を配したステッカーを使用している。
「一日一日を一人一人が力を合わせて、心を一つに協同一致して事を行う」の訓えのとおり、13旅団の隊員たちは今日も任務に励んでいる。
派遣規模 (9月10日現在)人員:約1400名(延べ約14、900名) 車両:約205両(延べ約3、230両) 航空機:2機(延べ66機)
〈9月11日22時撤収要請〉 |