防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2013年8月1日号
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寄せ書き
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チームの本当の一員に
第17普通科連隊(山口)2陸曹 宮添 勇

 私は第17普通科連隊Aチームの大将として、第56回全国銃剣道能美大会に出場し、見事「優勝」することができました。
 私は今年の4月に大分県別府市に駐屯する第41普通科連隊から転属してきて、当初1ヵ月間は第1中隊で勤務し、5月に入り連隊の銃剣道訓練隊に入りました。41連隊では約2年間、手首の怪我で満足のいく訓練ができず、各種大会にも参加できない状態で、昨年の10月頃にやっと怪我の状態も良くなり、訓練を再開することができるようになりました。その中で17連隊への転属が決まり、約2年間の穴をこの部隊で埋めるには、まず結果を出して信頼を得る必要があると思っていた矢先、教官から「いきなりだけど大将で使う」と言われ、不安はありましたが「チャンスだ!」と思い、「約2年間溜め込んだ力を爆発させてやろう」と今大会に臨みました。
 正直、優勝できるとは思ってはいませんでした。試合前の自分の中での目標は「まずはベスト8以上に入賞すること」と思っていましたが試合が進むにつれ、チームのみんなが大将の自分に負担をかけないよう頑張ってくれ全て、すごく楽しい試合ができ、途中から「このチームは負けない!」という何とも言えない安心感がありました。
 結果、優勝という最高の成績を収めることができ、その喜びを味わうことができましたが、それよりも、このチームの本当の一員となれた気がして、その方が私にとってとてもうれしく安心でき、これからの自分への大きな一歩となった大会でした。
 連隊の皆さんはFTC(富士トレーニングセンター)など多忙な訓練の中、我々銃剣道訓練隊が大会に集中できる環境を作っていただけたことに感謝し、これからも自分を高めつつ後輩を鍛え、日々の訓練に励んでいきたいと思います。

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中隊の任務達成のために
第6施設群(豊川)2陸曹 藤原吉博

 自分は陸曹になり、今回初めて中隊訓練検閲の地雷原構成に任ずる分隊長を務めました。まだ経験は浅いですが中隊の任務達成のため円滑な分隊指揮、不測事態への対処要領、そしてそのために常に腹案を持つことを意識して挑みました。その中でも分隊の地雷原構成の行動について話したいと思います。
 当初、関係部隊との調整で、予定されていた地域と違う場所で地雷原構成を要望されました。事前に自分の中で練っていた作業要領から、迅速な作業要領への変更の判断を求められました。また地雷敷設装置を使用した地雷原構成作業を予定していましたが、現地の土質は非常に硬く地雷敷設装置の使用が非常に困難であることも判明しました。
 私は事前に準備していた腹案を踏まえ小隊長に、地雷敷設装置を諦め、ドーザのリッパーを活用した地雷原構成を具申しました。この要領は中隊でもやったことは少なく、ドーザ操縦手との連携要領も含め、良い経験になりました。
 リッパーによる堀開後の土は軟らかく、人力作業による地雷敷設は逐次順調に実施させることができました。しかし、その反面、地雷設置底面の踏み固めが通常以上に必要となり、夜間における個々の隊員への点検・指導の所要が増えてしまったのは、この要領での地雷埋設を訓練していなかったためであり分隊長としての反省点の一つです。
 今回の中隊訓練検閲を通じ、私自身の経験の少なさを痛感しました。これを補うために今後、上司や先輩方の教えを積極的にいただき、その上で分隊の練度向上を追求しなければならないと思いました。
 12月には群訓練検閲を控えています。それまでに今回得た経験を活かした練成を実施して、もっと強くなった分隊を率いて群訓練検閲に臨みたいと思います。

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初めての演習場整備
第307ダンプ車両中隊(大久保)陸士長 太田拓也

 今年の3月末に自動車教習所の教育を終え、中隊での初仕事はまず特大型ダンプについての知識の習得でした。教習所の大型トラックより操作するものが多く、覚えなくてはならないことが数多くありました。
 そのような中、操縦手として初めて演習場整備に参加を命ぜられた時は、とても不安を感じました。なぜなら演習場において自分はダンプ車両中隊の操縦手として見られるので、車両部隊の一員としてしっかりとした運転ができるか、まだ自信がなかったからです。
 その不安は的中し、いざ演習場整備が始まると自分が考えていたことを実行することが難しく、自分の力不足を痛感しました。操縦手として大切なことは安全確認はもちろん、周囲への気配り、路面に対しても気をつかうことであり、誰しも着意すればできることだと教えてもらいましたが運土作業、慣れない不整地での走行に苦戦して、とても悔しい思いをしました。
 そんな自分に、操縦する機会を多く与えてもらい、多くの場所で状況に応じた車両操縦を経験することができ、日が経つにつれ落ち着いた操縦ができるようになり、周囲に対する気遣いもできるようになっていきました。ただし周囲に対する気遣いは、どれだけ早く気づいて判断できるかが必要なので「しっかりとした技術を身につけて、落ち着いた操縦をすることが重要」だと感じました。
 まだまだ操縦手としてはかけだしですが、車両を大切にすることは技術不足の私にも十分にできることです。少しでも時間を見つけて車両の手入れをし、ダンプ車両中隊の一員であることを自覚し、愛車精神をしっかりと持ち続け、さらに操縦手として頑張っていきたいと思います。

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阪神病院看護官の講話
高知中央高校(高知地本投稿)看護学科2年 中川 梢

 佐久間さん(自衛隊阪神病院看護官・3陸尉)のお話の中で一番印象に残ったのは「自分なりの根拠を大切にする」という言葉でした。実習で病院などへ行き、患者さんを受け持ちさせていただいたりもしますが、まだ臨床の現場における実戦経験がない私にとって、大変貴重なお話をうかがうことができたと思います。小学生の頃、JR福知山線脱線事故の写真を見た時に「自分は絶対に人を助ける職に就きたい」と、子供ながらに決意したことを思い出しました。
 自衛隊の看護師・医療チームと一般の医療チームとの違いは「適応でき、調達することができる器材と人材がある」ことだと感じました。佐久間さんが言われていた「最前線で働く人たちをサポートするのが仕事」というのは、患者さんのニーズに応えていくという看護師の理念にかなっていると思いました。
 「ずっと支援を続けていくことはできない」というのはボランティア活動で東北の震災復興支援に携わった人もぶつかった壁だと思います。大切な人を亡くした痛み、住む所もなくし、満足な食事も確保していくことが難しい状況で全部の人を、またその人の全部を助けていく、支えていくということはとても難しいけれど「少しでも何気ないことでも、その人にとって力になっているんじゃないか」という佐久間さんの言葉に勇気をいただきました。
 今回、講話を拝聴して自衛隊という組織にすごく魅力を感じました。大震災時に一番テレビに映し出されていたのは政治家なんかじゃなく、自衛隊の方々が必死に泥を除去するなどの支援にあたる姿だったように思います。「私もその中で活動してみたい」と心から思いました。
 高知県は南海地震による危険があり、私もその危険に備えて準備をし、看護師として頑張っていきます。

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「お前が部隊を強くしろ」
第37普通科連隊(信太山)3陸尉 廣辻英次

 このほど3等陸尉に任官しました。曹士時代の自分からは、幹部になる日が来るとは想像もできませんでした。振り返ると一昨年に上司の勧めで、当初は嫌々ながらも連隊で実施された合宿に参加し、勉学に励むこととなりました。今まで自分は学生時代から勉強が一番の苦手で、しかも幹部候補生の勉強となると、はじめから「無理だ」と諦めていました。
 そんな時、あの東日本大震災が発生しました。勉強中だった自分たちは大きな揺れを感じ「只事ではない揺れだ」と思い、すぐにテレビで状況を確認しました。そこには壮絶な光景が映し出されていました。信太山駐屯地から一部隊員が派遣されることとなり、部隊が災害派遣のために出動する準備をする中、自分たちは勉強をしていました。自分たちに今、与えられている任務は幹部になることだったからです。上司に「自分たちも現場に行かせてください」と意見具申をしました。しかし一蹴されました。
 今、改めて思い出すと当然だと理解します。この出来事がすべてのきっかけではないかもしれませんが、この頃から「幹部にならなければならない、幹部になるんだ」と強い意志を持ったと思います。
 試験は周りの方たちのたくさんのアドバイスや支援、家族の支えがあったおかげで合格することができ、幹部候補生となることができました。24年4月から幹部候補生学校に入校し、幹部として必要な6大資質を学びました。
 卒業し部隊に帰ってからはすぐに中隊検閲、戦闘団受閲と、小隊長としての実践の場があり、その後においても警察との協同訓練を主務者として経験させていただいたことで今、非常に幹部としてやりがいを感じています。
 過去、上司に「もっと部隊を強くしたい」と具申した時に、上司は「お前が幹部になって部隊を強くしろ」と指導をいただきました。自分は今、そのスタートラインに立ちました。これからは自分の理想の部隊を実現できるよう何事にも立ち向かい、前向きに挑戦していきたいと思います。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
防衛弘済会 杉田公士
志を繋ぐ福利厚生の仕事
杉田氏は平成24年11月、陸自関東補給処朝日燃料支処を陸曹長で定年退職。54歳

 私は定年退職を迎えるにあたり、第2の人生に元先任上級曹長としての経験を活かせる職場を探していました。そのような折、県南地区援護センターから「霞ヶ浦駐屯地内の防衛弘済会所長(馴染みの名前では隊員クラブのマスター等)が定年を迎えるため、後任に応募したらどうか」との連絡を受けました。
 防衛弘済会は自衛隊がその使命に応え活動できるように、自衛隊に対する国民の理解と認識を深めることや、隊員が安心して責務を果たせるよう、福祉の増進を図り防衛基盤の育成強化に寄与することを目的としており、隊員および隊員家族などに対して隊員クラブ、食堂、喫茶、酒売店などの運営をするなど福利厚生に努めているとのことから「この仕事こそ、私の志を繋ぐ職場」として考えました。
 しかしながら、再就職先では自衛隊の経験とは180度違う業務をすることとなり、見るも触るも困惑の毎日です。食堂やクラブでは品物の納品や仕入れ、調理をして営業する。また券売機やレジを打って精算をしたり、厨房やホールではその日の片づけと清掃、明日の準備など、その他の管理、食品衛生、金銭管理などをしています。
 現在、この職場では素人の私ですが、弘済会本部の部長・課長など諸先輩方の指導や助言をいただき、微力ながら仕事の能率や勤務環境の向上をしつつ、頑張っていきたいと思っております。また、今でもOBとして誇りを持ちながら、現役自衛隊員と同じ、志をひとつにしているつもりです。
 霞ヶ浦駐屯地食堂(クラブ)にお越しの際は、何時でも何処でもお声をおかけください。


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