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   2007年12月1日号
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地域女子親善バレーボール大会開催
市民と交流深める
《北千歳曹友会》
 北千歳駐屯地曹友会(百田雅友会長)は11月10日、北千歳駐屯地体育館で「地域女子親善バレーボール大会」を開催した。この大会は、駐屯地バレーボール同好会と地区町内会のバレーボールチームとの親善試合を通して地域住民との交流を促進するもので、毎年の恒例行事となっている。
 当日は、近傍町内会の2コチーム(新富南、桂木町内会チーム)が参加し、曹友会長あいさつの後、昨年度優勝した新富南町内会チームの優勝旗返還が行われ、いよいよ試合開始の運びとなった。
 試合開始直後は、緊張でなかなか日頃の練習成果を発揮できないチームもあったが、中盤になると本来のプレーが炸裂し、どのチームも白熱した試合を繰り広げた。
 試合結果は、昨年は準優勝で涙(?)をのんだ駐屯地同好会チームが接戦を制し見事優勝を果たした。
 試合後はお互いの健闘をたたえあい、また大会を通じて普段なかなか接することのない近傍町内会の人達と交流を深めていた。

と列部隊が皇太子、同妃両殿下を送迎
《徳教空群》
2007国民文化祭で阿波躍りも披露
 徳島教育航空群は、11月26日と28日の両日、皇太子同妃両殿下の徳島ご訪問に際し、と列を実施した。
 両殿下は、徳島県で開催された第22回国民文化祭・とくしま2007(おどる国文祭)にご臨席、併せて同県ご視察のため行啓されたものである。と列部隊は、両殿下ご到着時、ご出発時の両日、それぞれ50名で編成し、徳島空港前道路に整列して両殿下を送迎した。
 国民文化祭は、国内最大の文化の祭典で「文化の国体」ともいわれており、昭和61年に第1回が東京都で開催されて以来、各県が持ち回りで開いている。おどる国文祭の開催期間は、10月27日から11月4日までの9日間。徳島教育航空群が所在する松茂町では、10月27日・28日の両日、まつしげ人形劇フェスティバルが行われ、全国から54の人形劇団が来訪して、町内10会場で公演した。徳島教育航空群「かもめ連」(連長 黒木真人准尉)は、これらの人形劇団が一同に集合した松茂町主催の歓迎交流会に友情出演し、徳島の文化の魅力を余すことなく盛り込んだ阿波踊りの演舞を披露して各々の文化の交流を図るとともに、徳島の伝統文化を全国に発信した。

《論陣》
上海蟹は いかがですか
庶民は本物に手届かず
 今は上海蟹の季節である。たまたま上海の同済大学でのシンポジウムに参加したおかげで、このおいしい蟹と出会う機会ができた。
 ひところの日本には、秋から冬にかけて上海蟹が飛行機便で輸送されてきた、と聞かされたものである。東京の銀座や赤坂といった高級のレストランや料亭で食べた日本人が多かったに違いない。バブル経済という博打経済のもとで、金融・不動産・商社などバブル経済に踊りまくった大手企業による官僚や政治家の接待に、この上海蟹が活躍したという。
 湖水で採取された小ぶりの蟹の肉は「なかなかの美味なのであろう」と断定できないのが残念だが、それを太湖の蟹が代わりに今回の上海旅行で証明してくれた。この蟹を最初に食べたのは、郊外にある水郷観光の名所の一つ・朱家角を劉・楊・梁といった友人らが案内してくれた時である。
 9月にマスコミ関係者と一緒に周荘を旅したが、こちらも見事な水郷地帯で、清代と思われる商人の豪邸が水路脇に沢山立ち並んでいて、昔の豊かな人たちの存在と美しい豊富な自然に思いを馳せることができた。ここも周荘に劣らず規模の大きな金持ちの白壁の木造2階建て住宅群が、今も誇らしげに観光客を迎えてくれていた。
 その一つの2階の食堂で食事をするという贅沢を日本で味わうとなると、これはなかなか大変である。第一、昔のままの住居など残っていない日本である。しかし、上海近郊の水郷地帯は過去をそっくり今に留めてくれているものだから、もう形容する言葉もないほど風情満点である。階下の水路を小舟を行き交う様を眺めながらの食事は、それもたっぷりと時間をかけてだから至福の瞬間である。
 そこへと願ってもいなかった蟹が登場したのである。しばし、楽しい語らいは消えてしまった。おいしい。これがかの上海蟹なのか。過去に何度か蟹を食べたことがあるものの、あえて「この蟹は?」と尋ねたことがない。しかし、季節柄と味の良さに食堂の主人に聞いてもらった。
 すると、それは太湖蟹であるという明快な回答が返ってきた。上海蟹ではなかったのだが、それでも筆者は大いに満足した。翌日、上海外語大学の武教授とその学生らと懇談したあと、近くの食堂に入った。そこに「陽澄湖の蟹」という大きな宣伝文が目に止まった。以前、中国国家観光局の友人が証明してくれたことを思い出した。この蟹こそが上海蟹なのである。一匹100元はするという。庶民にとって高嶺の花である。むろん、この場で食べることは出来なかった。
 同済大学では二度食べたが、どうやらこれも太湖蟹のようだった。岩手大学の学長や早稲田の有名な歴史学者も一緒だったが、皆さん食べ方を知らずに口を汚しながら、それでも美味な蟹に食らいついていた。上海交通大学でもそうだった。王教授は「南京路の王宝和ホテルの蟹は上海蟹しか出していない」と言明した。
 シンポジウムで偶然、隣り合わせた東洋大学の梁教授は観光学の大家として有名であるが、彼女に確かめてみることにした。
 「陽澄湖は名前の通り澄んだ湖水で、しかも湖底が岩盤になっていて硬い。蟹の足も強いのが特徴。今の季節は産卵の季節で雌の蟹がおいしい」と教えてくれた。澄み切った湖水の蟹が上海蟹なのである。数が少ない。高価な理由である。庶民の手には届かない。一部の特権層の胃袋に入る運命なのだ。
 余談だが、蟹の食べ方のNo1は、カンボジアのシアヌーク殿下だという。中国の亡命中、よく食べていたらしい。「食べ終わると、殻が元の蟹の姿になっている」というのである。これも大衆には縁のない話ではある。

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