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   2007年1月15日号
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1ヘリ団で初飛行
 第1ヘリコプター団(団長・福盛裕一陸将補)は1月5日、恒例行事のひとつである年頭編隊飛行を実施した。
 飛行前のブリーフィングでは飛行要領についての説明をはじめ、日頃の訓練通り連携を取り合い、正確に行う事などを確認しあった。続いて団長が「最高の条件のもと、実力を発揮して堂々と編隊飛行を実施してほしい」と訓示を述べた。
 その後21機編隊は定刻どおり木更津飛行場を離陸。富津岬と次の目的地である幕張間の東京湾上空で、訓練に合流した森勉陸幕長からの訓示を受け、木更津飛行場に帰還した。約1時間の編隊飛行で見事な訓練の成果を表した。

《論陣》
ロシア情報官の毒殺は現実にある
=きみの周辺にも諜報の耳が=
 国家の最高機密を扱っていたロシア連邦保安局(FSB)の元幹部が、強力な放射線物質で毒殺されたとされる事件が注目を浴びている。FSBの元幹部が、なぜ、ロンドンで奇怪なできごとに逢ったかは、いまのところ不明だが、ロンドンのレストランで友人2人と面会し、コーヒーを飲んだ直後から“死への直線ルート"を歩きだしたことだけははっきりしている。アレクサンドル・リトビネンコ氏の体内から放射性物質ポロニウム210が検知されたほか、同氏のホテル、利用した航空機などからもポロニウム210が確認されている。放射能による毒性(殺人性)は、ものすごく強烈で、さる11月23日、同氏が死亡するまでには「僅かな照射で死を与えるほどの魔性がある」と報道されているほどである。
 こうした事件がテロか殺人かは、これからの捜査を待たなければならないが、情報・諜報機関の裏側では、こうした「スパイ攻防戦」が陰に陽にくりひろげられているのは間違いない。
 最近、テレビには、さも“諜報"の裏の裏を知り抜いた顔の「情報通」が出演しているが、話は、また聞きだったり、推測だったりが多い。かつて統幕議長をやった渡部敬太郎陸将(故人)が、一佐当時、ソビエト・モスクワの駐在武官をしていた。たまたま、カナダの大佐が新任武官として着任。2人でブドウ酒の美味しい旧ソ連南部を旅する機会があった。楽しい汽車の旅でカナダの大佐は、さかんに車窓から写真を撮り、メモをした。
 その夜、2人がホテルのバーに立ち寄ると1人のロシア人が、さも親しげに近づき、カナダの武官に盛んに酒をすすめた。そして1時間、うとうとしていた渡部一佐の視界からカナダの大佐の姿が消えた。「トイレかな」と捜したが、わからなかった。そこで自室に帰ると、件の大佐が意識不明で全裸でベッドで寝ていた。手荷物は荒され、カメラもメモも消えていた。そのほか大使館内で盗聴があるというので、小会議室内にプラスチックの小部屋を作って“機密"が外部に洩れないようにするのに「懸命だった」と語っていた。
 北朝鮮が行なった拉致事件も、あってはならない事件である。いたいけな女子高校生を下校途中、工作員が待ち伏せして“さらう"など、いまの世の中では、絶対にあってはならないことだし、許せない行為である。それを何十人も「かどわかし」一部は生死不明にしてしまっていることは「人道以前」の問題である。
 “論陣子"も、一度だけ、当時のソ連の情報員と接触したことがある。あとから警視庁が調べたところ、防衛関係の日報誌のYという記者が、長い間、防衛庁の「日報」(調達)をソ連の情報機関員に手渡していた。酒や女で、どうにも抜けられなくて「助けてくれ」と警視庁に泣きついた。もちろん、ソ連はそれでYとは切れた。つぎに“論陣子"にアプローチしてきたのだ。手は打った。まず、警視庁記者クラブのキャップから同庁のお偉いさんへ、ことのいきさつを伝え、逆監視をたのんだ。相手は大物だった。当時のソ連国営航空アエロフロートの東京支社長だった。警視庁と連絡をとりながら“適当な情報"を流した。数か月後、帰国することになった。「次の友人を紹介する」と言ってきたが、断った。これで終り。警視庁は最初のアプローチからどこで会って、なにを取受しているかを知りたかったのだという。
 北京での話。友人(新聞記者)が「今夜自宅でパーティをやろう」と10人ぐらいに声をかけた。すると、その日の午後4時から黒塗りのセダンがピタリと友人のアパート前に張り付いていた。「どこから情報が洩れたのか?」
 いまひとつ、北京の支局で雇っていたボーイ。Yシャツやズボンをあげて可愛がっていた。彼が帰国して数か月して「ボーイ」が東京の本社に訪ねてきた。「どうして日本に?」いぶかる彼に、ボーイが差し出した名刺は『二等書記官・孫某』だった。中国で政府系の人材あっ旋機関に“人"を頼むと、「この種の忍者を差し向けるのか」を、初めて知ったという。自爆テロ、毒殺、誘拐、拉致…現代には、まだ、この手の犯罪が横行していることをわれわれは知らない。あえて危機感をあおるわけではないが、友人たちの経験、論陣子の体験からみると、そうした“網"は意外に身近なところに張られているようだ。近づく“怪人?"にはご注意を―。

雪月花
 半世紀の悲願がかなって1月9日防衛省が発進した。式典に来賓で出席した中曽根康弘元総理は、隊員諸官が隠忍自重し精進した結果の防衛省昇格だ、自衛隊もやっと成年式を迎えたと喜びの挨拶をし、統帥権の否定やシビリアンスプレマシー(文民優先)の採用などについては昭和28年に遡って語った。防衛庁長官には志願して就いたというだけに防衛省昇格には感慨を覚えていたようだ。私ごとだが、ことしの年賀状には学生時代の友人や遊び友達からも「防衛省おめでとう」との添え書きがかなりあった。中には遅すぎた春が来たとか、肝心要の武器使用の問題はこのままにしておいていいのですか、などと書いているのもあった。平素そのようなことを話した事のない連中だけにびっくりしながらも素直に嬉しかった。一方、正月の帰省中には親戚の者に「これから自衛隊は強くなるの?」「陸軍や海軍、空軍と言うの?」などと聞かれたのには驚いた。中曽根さんの「自衛隊の最高責任者は選挙で選ばれた総理大臣だから国民の意思が優先する」との話を聞いていれば簡単に納得してもらえただろうが、筆者の説明でどの程度理解してくれたか。退官を3月に控えた知り合いの事務官は、これで孫たちにお爺ちゃんは防衛省に勤務していたんだと後々話して聞かせられる、防衛庁ではわかってくれないだろうから退官に間に合ってよかったと面白い喜び方をしている、防衛省には人それぞれに想いがあるようだ。アルミ合金の仮看板だが正門に掛かった久間章生・初代防衛大臣の書いた「防衛省」の文字はやっぱり躍動している。(所谷)

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