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   2006年7月15日号
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創隊53周年を祝う
榊枝隊長「新たな警務隊創造へ」
戦技競技会、中方が総合優勝
<警務隊>
 警務隊は6月16日、17日の両日、朝霞駐屯地で平成18年度警務隊戦技競技会を実施した。戦技競技会は3年に1回実施しており、各方面警務隊の代表選手が、鑑識、逮捕術、持続走の3種目において熱戦を繰り広げ、中部方面警務隊が総合優勝した。
 また、翌18日には、歴代警務隊長等を招待して、創隊53周年記念式典と記念講演を開催。記念式典で、警務隊長の榊枝宗男将補は、全国警務隊代表者約150人を前に「警務官として『誇りの堅持』、『良識の堅持』、『信義の貫徹』を信条として、警務隊の伝統を継承しつつ、運用の時代において、真に行動する集団として新たな警務隊の創造に向け努力を傾注してもらいたい」と述べた。
 式典に引き続いての記念講演においては、小山正紀弁護士の講演を警務隊長以下全員が熱心に聴講した。

山口2海曹、人命救助で感謝状受賞
 海自第21航空群館山航空基地隊所属の山口浩一2曹は6月10日午後3時頃、鴨川市太海海岸で発生した海難事故に遭遇し、現場に居合わせた地元の漁師達と協力して人命救助を行い、その功績により、鴨川消防署長から感謝状が授与された。
 山口2曹の実家は、太海海岸でペンションを営んでおり、当日実家に来ていたところ、「助けて!」という子供達の叫び声が聞こえたので、外に飛び出し海岸に目を向けると、子供達の母親と思われる2人の女性が沖の方へ流される光景が目に飛び込んできた。山口2曹は、上着を脱ぎ捨てると、躊躇することなく高波の打ち寄せる海に飛び込み、溺れかけていた1名を無事救助、残りの1名は付近にいた地元の漁師達により救助された。
 この善行は、基地内で隊員に紹介、称賛されたが、山口2曹は「海上自衛官として当然の行動をしたまでです。無事に救助できたことが、何よりも良かった」と、冷静に当時の状況を振り返っていた。

むし歯予防デーにボランティア参加
 佐世保病院(院長・妻鳥元太郎1佐)歯科診療部の歯科衛生士である半澤佳子・大塚善美両技官は6月4日、佐世保市島瀬公園で開催されたデンタルフェスティバル(主催:佐世保市歯科医師会・歯科衛生士会・歯科技工士会、佐世保市)にスタッフの一員としてボランティアで参加し、訪れた市民に口腔保健指導を実施した。
 当日は、家族連れの来訪者も多く、むし歯予防や歯磨きについて、保護者も子供達も、ツボを心得た両技官の巧みな指導に引きこまれていた。参加した市民は、「診療室と違い、リラックスした楽しい雰囲気のなかで、相談にのってもらうことができて大変良かった」と感想を語っていた。
 半澤・大塚両技官は「幅広い年齢層の市民の皆様に対しての保健指導は、歯科衛生士として、大変勉強になります。これからも、地域の活動に参加して、自己の研鑽に努め、佐病受診者のニーズに応えられるように頑張っていきます」と今後の抱負を語った。

<彰古館往来>
シリーズ(53)
陸自三宿駐屯地・衛生学校
100年目にして蘇る日本人の善行
日露戦争の記録(9)
ロシア軍事歴史資料館で一般公開 習志野写真帖
 彰古館の所蔵史料は、日露戦争関係の史料が特に充実しております。国家の存亡を賭けた戦いの貴重な記録です。公文書としては、戦役終了後の明治44年に編纂された「明治37・8年戦役衛生史」は大作です。
 ほかにも、第二軍第五師団第二野戦病院ほか、名古屋、金沢、広島、姫路などの各予備病院で撮影された膨大な戦傷者の写真、X線写真を含む記録写真が現存しております。
 これらの史料は、当時作成された、ほかでは得がたい一次史料です。衛生・医療の面から見た日露戦争は、これまでの研究には見られなかった新しい切り口で、一昨年から継続的に調査を実施、新資料もいくつか確認されています。
 その中でも「習志野捕虜収容所写真帖」は、日露戦争を「捕虜」生活という特異な一面から捉えた第一級の史料集と言えます。
 日露戦争を一介の口腔外科医の立場で記録した岡谷米三郎一等軍医。彼の残した一冊のアルバムの貴重さは、遠くロシアにも伝わりました。サンケイ新聞の報道から、このアルバムの存在を知ったイタルタス通信社は、イズベスチァ紙に発表し、ロシア国内でも大きな波紋を呼んだのです。
 特にモスクワのロシア国立軍事歴史資料館ガルクシャ館長は大きな興味を示し「日本とロシアの共通の民族の歴史を、日本が大切に記録し、現在まで大切に保存していてくれたことを高く評価」したのです。
 こうして平成18年7月5日、ロシア大使館で「習志野捕虜収容所写真帖」のレプリカが、衛生学校総務部長からロシア駐日公使に贈呈されたのです。
 ガルージン公使は「日露戦争の際に、日本が国際法を遵守し、ロシア捕虜に対して親切にしたことは歴史上の事実です。この崇高な行為を、後世に伝えてゆき、より良い露日関係を形成するために、この写真は重要な役目を担うでしょう」と語りました。日本人ですら忘れていた100年前の日本人の善行が、今また、再評価されようとしているのです。
 写真帖のレプリカは、写真の電子ファイルとともにロシア国営軍事歴史資料館で研究者、ジャーナリスト、一般の歴史愛好家などに公開・展示される予定です。これらの写真は、撮影されてから100年目に、同胞の元に帰国を果たしたのです。

活躍するOB シリーズ
「頑張っています」 新しい職場
(株)カーネル・レンタ沖縄 金井豊
会社の考え方に共感
金井氏は平成16年11月、海自第5航空群第9航空隊(那覇)を2尉で定年退職。56歳
 平成16年11月の海自の定年退官まで、機上整備員として長年勤務してきましたが、妻の郷里である沖縄での第二の人生を選択し、定年後1年ほどを別の会社で再就職した後、レンタカー、自動車リース、中古車販売などを業務とする「カーネル・レンタ沖縄」に転職しました。
 援護室から紹介された当時は、会社設立の準備中(起業は空自OB)であり、車両整備経験者を求めていることのほかは、会社概要の説明を受けただけで、採用までの数ヶ月の日々を一日千秋の思いで待ちました。車両整備に関しては、入隊以前の整備士免許の取得や入隊後の航空機エンジン整備の経験もあって、不安はありませんでしたが、何分、設立中の会社であり、予定どおり就職に至るかが大きな問題でした。
 入社の動機は、「今までに得た人間関係を大切に」、「防衛関係の仲間達の役に立つ仕事を」、「人や社会と関わり合い、汗と努力によって報われる仕事を」という会社の考え方に共感したためですが、最後は「面白そうだから、好きなことをやればよい」との妻の一言が不安を払拭し、入社を決意しました。
 今年1月に入社後、営業開始までの諸準備にも携わりましたが、全国の企業関係者や自衛隊の友人・知人多数の励ましをいただき、4月には無事開業の運びとなりました。さて、問題は何といっても今後の営業次第と言えます。沖縄は、観光客などの来訪者も5百数十万人に達し、レンタカー台数も、今ではタクシー以上の1万数千台となり業界は盛況ですが、当社のような地域的で小さな会社は、増車もままならず過当競争のあおりを受けて、なかなか経営が大変なようです。これから、最も忙しい夏季シーズンを迎えるため、営業に力を入れ、車両台数も増加する予定です。
 整備管理者の私は、にこやかな笑顔で店頭サービスに努めるとともに、お客様が沖縄を満喫し、円滑に目的を達成できるように、安全、快適な車両を準備して、一層社業の発展・充実に協力していきます。ご声援をお願いいたします。

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