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   2006年6月1日号
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静岡県指揮官会議を開催
自衛隊との連携強化図る
 5月11日、浜松基地航空教育集団司令部特別会議室で静岡県指揮官会議が開かれた。
 会議には、静岡県から石川嘉延(いしかわ・よしのぶ)県知事をはじめ副知事、県内各地域の防災局長らが、陸上自衛隊から直海富士学校長、牧富士教導団長、井上滝ヶ原駐屯地司令、米村駒門駐屯地司令が、航空自衛隊からは新野航空集団司令官、山地航空集団幕僚長、滝脇浜松基地司令ら総勢20名が出席した。
 会議では、それぞれの取り組みの発表や意見交換を行い、東海地震などの際の防災・救助活動でより綿密な連携態勢をとることを確認した。
 会議後の記者会見で石川知事は、「定期的に会議を開くことで連携がスムーズになる。静岡県は受援計画を作り演習を行ったが、運用の習熟が課題とも云える」と述べた。
 また、航空教育集団司令官は、「4月からの統合幕僚態勢により効果的な人命救助、災害復旧が行えるようになる。浜松には飛行場があるので効果的に活用したい」と述べた。
 静岡県指揮官会議は、2003年3月から設置され、今回で4回目となる。

中病職能補導所で入所式
 自衛隊中央病院職能補導所(寺岡憲吾所長)第51期入所式が4月5日、三宿駐屯地内の同所運動療法室で行われた。
 午前10時、開式の辞に続いて全員で国歌を斉唱。次いで、渡邉千之・中央病院長が登壇、今期入所生9名を任命したあと、入所生代表が渡邉病院長に対して力強く申告した。
 渡邉病院長は式辞の中で「希望を持ち、努力を継続するよう」「仲間意識を持つよう」など要望するとともに「これからの1年間を有意義に過ごし、所期の目的を達成するよう」激励した。
 来賓祝辞に続いて祝電が披露され、式を終了した。
 今期入所者9名は、▽パソコン電子▽木工▽一般事務▽建築設計の各科を一人ひとりが選択し、それぞれの科目を1年間にわたって履修していくことになる。

<論陣>
"第2の冷戦到来"を心配する
=ロシア、イラン、米国の動きに注目=
 第2次世界大戦直後にできたアメリカを中核とした自由主義国家群と旧ソ連を中心にした社会主義諸国との“冷戦"が、また米国の間で再燃しようとしている―との情報がささやかれ始めている。かつての米ソ対立の中での暗い事件の数々を知っているわれわれにとっては、本当にいやな、そして空恐ろしい話題である。自由主義対共産主義との間で「武器を使わない戦争」は、再び地球上に起きてはならない現象である。しかし、いまの若い人たちの間では“冷戦とは何か。鉄のカーテンとは何か"を理解している人は意外に少ないかも知れない。
 冷たい戦争は第2次大戦が終った直後に起きた。思想的には自由対共産である。旧ソ連側は「近い将来、自由主義経済は行き詰まり崩壊する。そのあとに世界経済を制するのは社会主義経済である」との主張を掲げ、自由主義国家群に対抗する経済圏を作り上げ、それに呼応する国々との安全保障体制を編成した。この戦略がワルシャワ条約機構だった。ソ連一党独裁体制は、いわゆる東欧諸国に中央計画経済を強いて、それまで西側との間で行ってきた細々とした経済交流も断ち切らせ“ソ連の天下"を作り出した。
 対して米国は西側諸国のリーダーとして完全な市場経済の道を歩き、ヨーロッパでは軍事的結束のためのNATO(北大西洋条約機構)を発足させた。1949年、ブリュッセルに本部を置き、緊急対処に備えた。一方、日本、韓国などとは、米国との間に「安全保障条約」を締結し、広く西側の“安全"を固めてきた。
 米ソ対立のことを“ソ連は鉄のカーテンを下ろして世界を仕切っている"と言ったのは、ほかならぬかつて英国首相だった故ウィンストン・チャーチル氏だった。チャーチル首相(当時)は、1941年3月1日、盟友米国を訪問しフルトンで大演説を行った。そのときの演説は「今日、バルト海からアドリア海まで大陸を横切って鉄のカーテンがおりている」と力説。ソ連の閉鎖性、秘密主義、自由の抑制などについて強く批判した。このときの言葉が“鉄のカーテン"の語源なのである。
 1945年まで英米仏ソなどの西側連合国は日独伊の3国を相手に、「武器を使った熱い戦争」をくり広げた。そして終戦。戦勝国はそれぞれ新しい国家活動に入ったが、1947年頃から米ソの対立が極端に激しくなった。米ソ両国とも「核増強による戦争抑止論」を振りかざして軍拡に力を入れ続けた。しかし、対立する米ソ2大国は、実際に兵器を使うことはなかった。心理戦、宣伝戦を展開する両国の対立は、いつからとなく“冷たい戦争"“コールド・ウォー"といわれるようになった。
 この冷戦構造がはっきり消え去ったのは、1991年のソ連の崩壊であった。長い間続いたソ連の共産主義は国際政治の上から姿を消した。そして経済組織も、統制経済から西側と同じ市場経済、すなわち自由主義経済化の道を歩き出したのである。
 しかし、ロシアを始めとする旧東欧の国ぐにの経済は相当苦しいものであり、新経済体制への移行は、なかなか困難な面もあるようだ。
 ところが、このところ“世界と融和"一点張りだったロシアの態度が、ちょっと変化しはじめたのである。協調から対立への道を歩くのではないかとの心配が見られる。イランの核をめぐる問題で、ことごとに米国と対決する兆しが見え始めたのである。
 米国は以前から主張しているように「イランが、諸国に隠れて核開発をしている。これは許しがたいものである。イランが、こんごも核開発を続けるならば、米国は武力を使っても、これを阻止する用意がある」と強硬である。対するイランは「米国の横暴である。イランは国益のために核開発を中止することはない」と“開発続行"を世界に宣言している。
 こうした動きに対してロシアは、中国とともに「イラン寄り」である。特にプーチン政権は、米国と対決しても、ロシアの主張を通す態度である。ロシアは石油大国である。ロシアとイランの原油産出量を合わせると世界の約3分の1、天然ガスでは50パーセントを超すことは明白である。ロシアは、あえてイランと手を結んで“世界の石油覇権"を手にしようとしているようだ。これまで世界はOPEC(石油輸出国機構)の動向に振り回されてきた。米国とイランが対立すると世界の原油価格がはね上がる。ロシアはイランと手を結んで“第2のOPEC"を作り、再び世界を牛耳ろうとしているのではないか―が有識者たちの心配なのである。石油消費大国の中国と結べば「国連決議も左右できる」。再び暗い時代には戻ってもらいたくないものである。

警務隊長のゴラン高原初視察に随行して
警務隊本部 1陸尉 小 澤 英 男
 本年4月、警務隊長榊枝宗男陸将補がイスラエル及びシリア両国に展開するUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)第21次ゴラン高原派遣警務班を視察しました。陸上自衛隊がゴラン高原へ部隊を派遣して10年が経過していますが、この間、警務隊長が直接現地に赴き派遣警務班を視察・激励されたのは今回が初めてのことでした。私は幸運にも本視察に随行することを許され、5年前に第10次ゴラン高原派遣警務班長として勤務して以来の2回目となるゴラン高原の訪問でした。
 警務班は、イスラエル側のキャンプ「ジウアニ」に班長以下2名と極めて小さな部隊で派遣されていますが、派遣輸送隊の秩序維持のため積極的な警務支援をしつつ輸送隊本部において情報、訓練幹部・陸曹として頑張っている姿を、当時の自分に重ね見て感慨深くかつ感激した気持ちは今でも忘れられません。
 今回訪れてイスラエル及びシリア両国の国家間に存する問題とは別に、両国国民のバイタリティに溢れかつ我々に接する雰囲気が、5年前にも増して更にフレンドリーな姿を見るにつけ、これは代々派遣された日本隊が黙々とそして真摯に、この地の安寧を祈り平和を維持するために任務を遂行し続けている。その証左であると深く感じずにはいられませんでした。
 また、視察間特に印象深く思ったことは、我が警務隊長は過去に在エジプト防衛駐在官の経験がありますが、UNDOF司令官及び兵站大隊長等への表敬訪問をした際に、通訳を一切介さない流暢な英語による会話と堂々とした口上とその態度に圧倒され、今更ながら誇らしく感じたことです。更に、日本国警務隊長としてUNDOF憲兵隊司令部を訪問した際の、ウイコスキー憲兵司令官(ポーランド陸軍出身)以下の全隊員が、自国の憲兵隊長が訪問しているがごとく感激をし、その安全確保に我が警務班と連携をとり万全な態勢で臨んでいた姿です。これは、警務隊長が車両にて移動する時に必要の都度サイレンを鳴らし先導警護をする等、視察間の終始を通じて積極的な支援を頂いたことで感じ取ることができました。これに加えて、ポーランド・インド・オーストリア・スロバキア各国から派遣されている彼らは「憲兵に国境は無い、我らは憲兵ファミリーだ!我々憲兵の父親と同じだ!」と言っていたことが深く心に残りました。
 最後に本視察にあたって、統合幕僚監部国際協力室、陸上幕僚監部関係者及び在シリア防衛駐在官石橋淳弘1陸佐、第21次ゴラン高原派遣輸送隊長上野和士3佐はじめ数多くの方々にサポートを頂いたことに関し、本紙面をお借りして心より厚く御礼を申し上げ私の随行記と致します。

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