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   2006年3月15日号
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「冬の下北食の祭典2006」で大好評
「海軍コロッケ」を出品
<大湊海曹会>
バンド演奏支援も
 1月28日、29日の両日、下北半島の美味しいものを一堂に集めた「冬の下北食の祭典2006」(むつ商工会議所主催)が開催され、大湊海曹会(会長・小松和美曹長)は「海軍コロッケ」を出品した。
 このイベントには2年前から参加しており、旧海軍大湊要港部時代の艦艇乗組員が食べていた「海軍コロッケ」を、海軍四等集計兵厨業教科書(大正7年・海軍省教育局発布)のレシピに基づき作製し、「ポテト、フィッシュ、ビーフ」の3種類を出品している。
 会場のむつグランドホテルには、地元の海産物、牛肉、地酒、銘菓など特産品が所狭しと並べられ、市内外から大勢の家族連れが訪れ、お気に入りの品を買い求めていた。その中でもひときわ人気が高い「海軍コロッケ」の販売ブースの前には長蛇の列ができ、1日約300パック(900個)用意したコロッケは、両日とも販売開始から約1時間足らずで完売した。揚げたてのコロッケを頬張るお客さんの「すごく美味しいね」「毎年楽しみにしてるの」の声に、作業に当たった隊員の顔には汗とともに笑顔が溢れていた。
 また、会場ステージでは、大間産の本マグロ解体ショーや歌謡ショー、バンド演奏なども行われ、大湊海友会軽音楽部「フェア・セーリング」も出演し、「恋のバカンス」や「愛があれば大丈夫」、「め組のひと」など7曲を披露し、イベントを大いに盛り上げた。
 このイベントの模様は、地元のテレビ・ラジオ・新聞で報道され、「海軍コロッケ」は大湊の名物として浸透しつつある。大湊海曹会は、これからも「旧海軍大湊要港部時代の伝統の味」を後世に伝えるため頑張って行きたいとしている。
 なお売上は、養護施設等に寄付された。

阪神基地隊に東灘区から感謝状贈呈
 阪神基地隊(司令・志賀洋介海将補)は1月31日、神戸市東灘区の社会福祉協議会より、感謝状の贈呈を受けた。
 阪神基地隊では、震災から10年を迎えた昨年から、社会福祉事業への協力として始めたチャリティーバザー及びチャリティー募金等を神友会が推進し、阪基本部、第42掃海隊、由基分、仮磁所等が一致協力し募金活動等を推進した結果、この度第1回目の寄付となったものである。
 今回の贈呈は、昨年末に阪神基地隊友の会(神友会)会長で先任伍長の森下佳男海曹長と本部営内先任海曹の原田尚修海曹長が部隊所在地である神戸市東灘区の社会福祉協議会へ寄付を行ったことに対して、同協議会理事長の志井修治氏が感謝の意を表したもので、志井氏が贈呈式で「あたたかい善意のこもった寄付を寄せてくださいまして、誠に有り難うございました。東灘区内の社会福祉の充実のために友好に活用させていただきます」と重ねて感謝の言葉を述べた。
 阪神基地隊友の会。(神友会)では、今後も継続して募金活動などを実施するとともに社会福祉活動を推進し、地域住民と友好協力に努めることを誓っている。

<彰古館 往来>
陸自三宿駐屯地・衛生学校
〈シリーズ 50〉
日露戦争の記録(6)
 戦場で治療を行う場所としては包帯所や野戦病院などがありますが、日露戦争での実体は、一般にはあまり知られておりません。
 貴重品のカメラを最前線まで持ち込めたとしても、フィルムとなるガラス乾板は重くかさばり破損し易いことと、撮影自体が危険行為でした。それでも軍医たちは、日露戦争という大舞台で、どんな些細なことも記録に残しました。もちろん医学情報としての戦傷の症例やX線写真は、膨大な数量が現存しています。
 それとは別に、患者後送、仮包帯所、包帯所、野戦病院、兵站病院などの情景も記録されていたのです。
 戦場写真といえば、戦闘シーンそのものが思い浮かびますが、実際には待機場所での撮影が多くを占め、最前線まで出向き、部隊と行動をともにして撮影に専念するのは大変なことでした。ましてや、華々しい場面とは言い難い後方任務の衛生部隊の行動を記録した写真班には頭が下がります。
 これらの写真を見れば一目瞭然ですが、任務上は「後方」と呼ばれる衛生部隊の活躍の場は、距離的には最前線に最も近いのです。
 暫定的な仮包帯所や、天幕利用の急設の手術室に対して兵站病院には、なんと温泉が設置されているものすらあります。
 「重傷者は速やかに設備の整った兵站に後送しなければいけない」。この当然のことが当然の様に行われていた事実に驚かされます。彰古館の文献・写真史料によって100年前の陸軍衛生の考え方、行動を克明に再現することが出来るのです。

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