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   2004年12月15日号
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クウェートでボランティア活動
空自イラク派遣輸送隊准曹会20名
 11月26日、イラク復興支援派遣輸送航空隊支部准曹会20名は、クウェートで日本人会が主催するボランティア活動『海岸清掃"亀作戦"』に参加した。=写真
 この海岸清掃は、日本人会が日本とクウェートの友好親善の観点から行われているもので、日本文化の紹介を行うとともに地元社会とのコミュニケーションを図っている。毎年秋の休日に行っており、今年で4回目。
 清掃活動を行う海岸は、スレイビハット湾に面した干潟で、トビハゼ、カニ、巻貝といった水生の小動物が棲息している。また、それを餌にするフラミンゴをはじめとする多くの渡り鳥が集まるバード・サンクチユュアリ(鳥獣保護区)でもある。そのため、来年からこの海岸清掃は、環境保全活動の一環として日本政府に正式に認められることになった。
 今回は、大木正充在クウェート日本国大使をはじめ日本人会会員、その家族、イラク支部准曹会会員そしてクウェート人のボランティア等合わせて約100人が奉仕活動を通じて、クウェートの自然を楽しみながら環境保護の意識を高めた。

自殺予防 Q&A
カウンセリングマインド
(一見簡単な相談の背後に深刻な問題が)
防衛医学研究センター  高橋 祥友
〈第9回〉
 Q:部下が相談に乗ってほしいとやってきて、「人間関係がうまくいかない。退職したい」と打ち明けられた。若いうちにはよくあることだと言い聞かせて、その場は済んだ。しかし、数日後に自殺を図った。幸い命は助かったものの、そこまで思いつめていたとはわからなかった。どう対応すればよかったのだろうか?
 A:以前にもこのコラムで取り上げたが、自殺まで思いつめている人というのは、ある特定の人を選び出して、絶望的な気持ちを打ち明けていることが多い。この人ならば、きっと真剣に話を聞いてくるはずだと考えて、ある特定の人を選び出しているのだ。
 とはいっても、最初から自殺のような深刻な問題を切り出すことができる人は稀である。最初はごくありきたりの話から始めることが多い。「相談に乗ってほしい」と言ってきたのだから、深刻なことだろうと身構えていると、打ち明けられたほうが肩透かしをくらうような内容だったりすることもある。
 しかし、そこであまり性急に「こうしろ」「ああしろ」と返事をしないことが大事だ。まずは、聞き役に徹することがカウンセリングマインドの第一歩になる。これは、カウンセリングの専門家だけに要求される態度ではなく、むしろ、職場でごく当たり前に身に着けておいてほしい態度である。
 本当はもっと深刻な相談をしたいと考えていても、なかなかすぐには本題に入れない。当たり障りのない、あえて誰かに尋ねなくても、自分でも答のわかっているようなことについて最初は話し出すかもしれない。そのようにして、相手の反応を見ている。
 「真剣に聞いてくれている」と感じると、自殺にまで追いつめられているといった、より深刻な内容について話し始めるのだ。
 したがって、相談を持ちかけられた人は、最初のありきたりの相談がひとまず片付いたと感じたら、それで終わりとするのではなく、「ほかに何か困っていることはないのかい?」の一言を付け加えてほしい。その一言がしばしば、背景に潜んでいる、より深刻な悩みを聞き出すきっかけとなる。その悩みとは、家族の問題、借財、あるいは自殺にまで追い込まれた心理的な危機かもしれない。

<彰古館 往来>
陸自三宿駐屯地・衛生学校
〈シリーズ 35〉
レントゲン1号機再び
 我が国の放射線医療史において、臨床の現場で最初に使われたX線器械は、明治31年(1898)にドイツ駐在中だった芳賀榮次郎軍医が、私費で購入して軍医学校に寄贈したシーメンス社のものです。この装置は彰古館に現存しており、近年この装置で撮影された臨床最古のX線写真も彰古館から発見されています。
 彰古館の保有史料によって、これまで空白だった我が国の放射線医療の実際が解明されたのは、ここ数年のことなのです。
 国内に稼働する唯一のX線装置ということで、東京帝国大学第一外科、内務省管轄の永楽病院、千葉帝国大学など軍民問わずあらゆる医療機関から運ばれた多数の患者の貴重な臨床例を今でも彰古館で見ることが出来るのです。
 1号機の導入から、数年を経て、陸軍は多数のX線装置を輸入、各地の衛戊病院に設置、民間のX線装置設置も陸軍が指導します。
 1号機の電源はバッテリーを使用、理科大学に荷車で運搬して長時間充電する必要があり、電圧は僅かに32V!でした。当時のドイツの定格電圧ですが、手足を撮影するのに1分から1分30秒、大腿部で5分も掛かりました。
 明治33年(1900)の北清事変(義和団の乱)で、広島臨時病院長の芳賀軍医は、250例を超える銃創患者に対して、手足の切断することなく治療を終了しております。当時としては極めて異例の治療法ですが、X線装置の第3号機を活用し、リアルタイムで戦傷をX線診断した最初の例です。
 新型のX線装置が輸入され、一気に旧式化した1号機ですが、先見の明のある芳賀軍医は全く新しいX線装置の使用法を考えます。
 今から丁度100年前の明治37年(1904)、日露戦争が勃発します。第二軍第五師団軍医部長となった芳賀軍医は、小型で性能が低いと思われていた1号機を、小型で取り回しの便が良いポータブル機として戦地に携行したのです。実際四肢の撮影に関しては、何の遜色も無かったそうです。
 懸案の電源の確保は、手回し式の発電機を用意して発電しました。しかし30秒から1分以上は回すことが出来ないくらい回転が重く、少なくとも5人の若者が、回転を止めることなく片手ずつ交代して回し続けるという妙技が必要でした。
 電源の確保以外にも、梱包した器材を開梱して装置を組み立て、撮影後にまた分解して梱包する手間も大変だったようです。
 こうして苦労の末撮影されたX線写真は、彰古館に現存しており「明治37年6月14日、得利寺付近の戦闘にて負傷。患者5名を撮影。直後に撤収命令を受け、現像していないガラス乾板が豪雨に濡れ、ギブス越しの撮影のため鮮明さに欠けるが、X線装置を野戦で便用した第一着のものである」と1号機を運用した第三野戦病院長山田太良の添書が残されております。
 写真は「かかと」部分ですが、露軍榴散弾の丸い弾がはっきり写っています。
 旧式化した装備が、全く新しい運用法で第一線装備に蘇える。柔軟な頭脳による逆転の発想。我々も見習わなければなりません。

イラク派遣を終えて シリーズ
空自第8航空団
基地業務群管理隊 空士長 井上 昭彦
 私は、第3期イラク復興支援派遣輸送航空隊業務隊警備小隊員として6月15日から9月26日までの約3カ月間、クウェートのアリアル・サレム空軍基地において勤務しました。
 出発前の教育で、クウェートの夏は毎日40度を超える酷暑の中での勤務になるということや、宗教上お酒も飲めなければ豚肉も食べられないという、日本ではとても想像のできない生活をやっていかなければならないということだったので、一応自分なりには覚悟を決めていました。そして、一番の不安が8月に出産を控えていた妻を日本に残して行くということでした。しかし、私の気持を察してか、妻は気丈にも私に「頑張ってきてね」と言って逆に励まされて見送ってくれました。
 クウェートに到着し、飛行機から出た瞬間「暑っ!」これが最初に口から出た言葉でした。そして基地に着くと早速導入教育が始まり、それから約3ヵ月間の勤務がスタートしました。
 警備小隊は小隊長以下19名の隊員で編成されていました。任務はC-130H型輸送機が駐機されているエリアでの警備や空自施設等の巡察が主な任務でしたが、日本と違った警備状況や米軍と共同での勤務ということで初めはコミュニケーションが上手くとれず戸惑ったりもしましたが、なんとか辞書を片手に片言ながら会話もでき、いい緊張感の中で勤務をすることができました。一方、休日などはDVDや日本のテレビ番組も観ることができ、更に米軍地区にあるジムやプールに通ったり、ソフトボールやサッカーなどで体を動かし、リラックスできる時間を送ることもできました。
 派遣勤務も一月(ひとつき)ほど過ぎた7月のある日、自宅に電話をすると「もうきつい、産まれそう」と妻が電話で言ってきたのですが、予定日より1力月も早いので「もうちょっとだから、頑張れ」と言いました。ところが、今度は8月の予定日を過ぎてもなかなか産まれて来ず、不安な毎日を過ごすこととなってしまいました。クウェート時間の8月9日、私が夜勤に上番している最中、原隊の小隊長から「無事に生まれたよ。母子共に健康だよ」という事を聞かされ、本当に安心した気持ちと、早く家に帰って我が子を抱きたいと思う気持ちが一気に強くなった事を今でも忘れません。それからの日々は、厳しい暑さの中での勤務で疲れた身体もメール等で送られてきた子供の写真を見ることで疲れも忘れ、頑張ることができました。
 9月27日無事帰国し、九州の地に降り、基地の全隊員及び家族の出迎えを受けた時は本当に重要な使命を果たしたのだと痛感しました。そして、なにより妻と初対面の我が子を自分の手で抱いた時、初めてイラク復興支援の任務が終わったのだと実感しました。
 最後に、この任務を通じて非常にためになったことは、米軍の基地警備の状況を肌で感じたことです。彼らの銃の取り扱いや不測事態における素早い対処要領等は、全て実戦を意識したものであり、我々にとって見習うべきところが沢山ありました。クウェートにおける多くの経験を糧に一日でも早く3曹に昇任し、これからの部隊勤務に反映していきたいと思います。

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