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   2004年10月1日号
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切磋琢磨
少工校の二人息子
群馬地連・援護課 3陸尉  高橋 一行
 2人の息子が夏期休暇で帰郷してきた。共に日焼けした顔、引き締まった体がより一段と逞しさを増した様子である。
 平成14年に長男が少年工料学校に入校し、2年後に次男が兄の後を追った。現在長男が3年生、次男が1年生で、部活動も共に銃剣道部に所属している。
 長男が少工校に興味を持つようになったのは私の影響が大きいようである。小学校高学年になった頃、今後の具体的な目標になればと思い少工校を勧めた。以来長男は少工校を目標に、勉強・運動に彼なりに励んでいた。少工校に入校し、1年生の間はいろいろと厳しい事も多く「大変だ」とよく口にしたが、その後に必ず「大変だけれど自分のためだから頑張るよ」と付け加えた。この一言に家族全員が安心すると共に励まされた。また、この一言が兄に絶大な信頼感を持つ次男にとっては大きな影響となったようである。1年生
の次男も同じ言葉を口にする。2人の兄弟の下に2人の妹がいる。兄たちの言動がどのように影響するかが、私たち夫婦の楽しみである。
 さて、厳しい生活環境の中で、区隊長・教官・班長から親身の指導・教育をして頂いている様子や同期に支えられている様子が息子たちの会話の端々から伺える。大変感謝している。お陰様で入校以前と比べて、言語・態度・動作・人に対する思いやり等、大きく成長したように思える。今、2人を目の当たりにして、今後いろいろと困難な事も多々あろうかと思われるが、互いに励ましあい、助け合って必ず乗り越えていってくれるものと信じている。

武器、制服の変遷3世代
7普連4中隊 陸曹長  細見 穂
 私も今年で自衛隊生活36年目を迎えます。
 入隊した頃の制服は、冬服1種制服上下が濃紺で夏服1種はグレーの上下、制帽も濃紺色でした。
 この制服は昭和44年から昭和46年まで着用し、JRの駅にいるとよく職員と間違われたものでした。
 次の制服は、冬服1種上下が茶色、夏服1種も同様の茶色でした。前回の制服
よりだいぶ明るくなり格好も良くなったと感じました。
 そして時は流れ20年後、平成2年になり現在の制服となりましたが当然の事ながら、帽子も帽章も変わっています。制服を3代着て自分では、入隊した頃の制服が一番思い出があり、制服自体も重みが感じられ愛着があります。
 次に小銃についてですが、最初の武器授与式で手にした小銃は、M1ライフルであり、アメリカ軍が第2次世界大戦時に使用していたもので銃も丈夫で命中精度も大変良い小銃でした。
 その後、第7普通科連隊に配置となり、その時に初めて例式小銃と出会いましたが、M1ライフルより当然の如く性能が向上しており、形状も格好良く重さも少しですが軽量化されており、良い銃と思いました。
 その次に出会った小銃が、現在使用している89式小銃であり、64式小銃より一段と性能が高まり、3発制限点射機能が装備されており、現代の戦いにマッチしたものと思います。
 これで小銃も3代使用しましたが、やっぱりM1ライフルが一番、銃らしいと感じています。
 次に、「自衛官も3世代」こればかりは時間的に無理ですが、私の父親が、旧軍の軍曹で終戦を迎えており私が現役自衛官、長男が3陸曹、これで何とか3世代と思ってくれたら幸いです。

第10師団演習を終えて
第6施設群第370施設中 3陸尉 赤木堅太郎
 施設群にいてはなかなか参加できない師団演習に、幹部初級課程を修了して間もない時期に参加することができ大変幸運であった。
 日頃の仮設敵とは比べ物にならない戦闘団規模の対抗部隊が作った障害は、ある意味、想像を絶する物であったし、通常の訓練では味わうことの出来ない緊張感をもった訓練になった。
 また、普通科・特科及び機甲科等と調整しながらの攻撃支援であったが、これら協同部隊に関しても、それぞれの職種特有の意見や考え方、視点など通常我々施設科部隊だけではなかなか解らないものだと思った。
 戦術的な面でも、主陣地攻撃で、普通科と同時に戦闘展開し、LDを通過、陣前障害に到達してから改めて調整し、障害処理する等、今までにやったことがないパターンの攻撃参加は大変勉強になった。
 今後は今回の演習で学んだこと、特に調整等の実施要領や戦闘状況の把握要領などを防御に応用して訓練に生かしていこうと思う。

自動二輪養成集合訓練に参加して
第2偵察小隊 一陸士 太田雅也
 今回自動二輪養成集合訓練に参加しました。訓練の前段は普通自動二輪免許の取得で士別の自動車学校に通い、免許取得のための教習を受け、坂道発進やスラロームといった普通自動二輪の基本操縦を学びました。特に難しかったのは一本橋やS字等の狭い道の走行でした。
 当初はバイクにもあまり慣れていなかったので狭い道を通るのが難しかったです。特に一本橋は7秒以上かけて通過しなければならないのですが、遅い速度で走るとバランスをとるのが難しく、橋から落ちてしまうことも多かったです。訓練の後段は免許取得後の応用操縦で演習場や一般道路での操縦を教わりました。演習場では不整地の走行やブレーキターン、アクセルターンなどを練習したのですが、思った以上に難しく何度も転倒してしまいました。また、不整地ではバイクも滑りやすく一般道の操縦よりも難しく感じました。
 操縦技術を向上させ、頑張りたいと思います。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
(株)松本鐵工所秋田事業所  渡部 文男
平成13年7月、秋田地連を3陸尉で定年退職。57歳
 私は援護センターのお世話で、「安全・労務担当者」として定年と同時に勤務し3年になります。
 当会社は製紙機械のメンテナンスを主に、産業機械の設計・製作などを扱っており、本社は苫小牧で全国10事業所社員数約330名です。
 私の職務内容は、当事務所の社員の安全と健康そして快適な環境づくりを目的に、毎日の安全パトロールに加え、本社や客先・各行政機関との連絡調整、そのほか各種行事などの企画運営です。これらを遂行する上で、自分自身長年の自衛隊での経験が活かされていることは間違いないのですが、それ以外にこれまで担当者として学んだことは「安全の反対は危険と言うことではなく、無意識であるということ。危険を意識すれば安全が保たれる」という極論かも知れませんが、これらを意識して日常の業務に対応しています。
 また、行政機関も企業と一体となって、とかく利益のみに走りやすい企業体質に「安全・安心」の環境整備を推進する機運もあり、これらの各種行事に参加することで自分の職能を高めるのに役立っています。
 人をケガや事故から守るということは「言うは易く行うは難し」でどこの事業主も一番心配していることでもあり、永遠のテーマでもあるような気がします。全国的に各企業ではこうした安全担当者が不足しているとの報道もあります。誠実・真面目と言われる自衛隊出身者には適任の職責かとも思われますので関心のある方は希望してみてはいかがでしょうか。

お知らせ
 弊社販売の「自衛隊せんべい撃」のおまけCDに一部画像の乱れがありました。お詫びいたします。弊社では当商品の全品回収を行うと同時に原因調査を行っていまいりましたが、この度これらが完了いたしました。今後弊社販売商品には徹底した品質調査と厳格な検査を行って参ります。関係の皆様に謹んでお詫びを申し上げます。今後共変らぬお引立てをお願いいたします。

 株式会社防衛ホーム新聞社
平成16年10月1日


<部外者の声>
少工校ありがとう
京都地連発 斉藤利丸
 3年前の寒い2月、少年工科学校グランドの澄み切った空の向こうに、くっきりと見えた富土山。あまりの美しさに感動したことを今でも忘れません。入校前に学校を見ておきたく次男と訪問し広報官に学校や施設を案内して頂いた時のことです。その時、私は思いました。「次男は今の富士山のように美しく澄み切った心で自衛官を目指しているのだろうな。親として、誰よりも応援してやろう!」と。
 少工校は施設も整っていますが、何よりも印象に残っているのは生徒達の素晴らしさです。きびきびした態度、きっちりとした挨拶、はきはきした言葉遣い。何でもないことかも知れませんが生徒達の清々しい態度には心が洗われる思いでした。自分の子供、家族を愛せない人、ニュースを見るたびに眉を潜めたくなる事件ばかりで、どこかの会社の幹部や政治家が「申し訳ありません」と頭を下げている。天候も異常だが人間社会も少しおかしくなってきている。
 この迷える社会の中で人間形成の最も大事な3年間に故郷を離れ、忙しいスケジュールで毎日を過ごし頑張って卒業した次男に心から「おめでとう!中期校でも頑張れ!」と。素直に成長してくれたのも学校関係の皆様方のお陰と感謝しております。特に付陸曹の方には大変お世話になりました。1年時の付陸曹の方がわざわざ卒業式に駆け付けて頂いたのには感激しました。
 多くの方々に御指導を受け、温かく見守られて成長出来たこと、励まし合い助け合った同期の友情を忘れることなく「国を愛し、人間を愛する立派な自衛官」を目指して頑張ってほしい。
総火演を見学して
徳島地連発 立花賢治
 8月25日6時、徳島地連に集合、いざ富士総合火力演習見学へ出発。私が特別会員・白川さんより火力演習に誘われたのは1年前の事でした。昨年参加する予定でしたが、仕事の都合で参加出来ず今回初めて参加することとなりました。
 隊友会を中心とした16名でマイクロバスの旅、車中で会話をし気持ちもうち解けて来た時には浜松基地広報館に到着。航空自衛隊の任務・編成、本物の零戦、各展示品やシアターを2時間見学した後、沼津「はまゆう」に。程なく懇親会となり、和気あいあいと親睦を深め、宴は夜遅くまで続きました。
 8月26日8時30分に宿泊地出発、程なく東富士演習場へ到着しました。マイクロバスを降りてシート席までは軽い登山気分、各地より多くの見学者が来ており会場は大入り。来賓の到着後、君が代演奏、国旗掲揚、若い現役の自衛隊員の敬礼姿は一見の価値あり。
 演習が始まり、観客が度肝を抜かれる。私も話しに聞いていたが「百聞は一見に如かず」迫力に圧倒されっぱなし。2時間近くの演習は、天気の都合で若干の取りやめがあったものの実に有意義な初体験でした。再びマイクロバスにて徳島への帰路、さすがに車中は疲れて「うとうと」と、夜9時30分頃徳島地連に到着、実に充実した2日間でした。

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