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   2004年10月1日号
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富士地区で即応予備自訓練を見学
企業主12名参加
イラク装備品も研修
<東京地連>
 東京地連は、今年で3度目となる富士地区即応予備自衛官招集訓練見学を8月7日・8日の両日に実施した。
 参加した企業主は、9社12名で澤田副部長以下が案内し、1日目は滝ヶ原駐屯地内の資料館で普通科教導連隊の広報担当者により滝ヶ原駐屯地全般の概況説明があり、その後、同駐屯地で体験喫食した。
 午後からは、普通科教導連隊の支援による普通科装備品展示を行い、各装備品の機能等の説明を受けた。特に、イラク復興支援で活用している軽装甲機動車の5.56mm機関銃MINIMIについては各企業主は非常に興味を示し、その説明に聞き入っていた。
 その後、96式装輪装甲車に体験搭乗、駐屯地内を走行した。普段は写真等でしか見られない装備品を直に見たり試乗もでき、感動を隠しきれぬ面持ちだった。午前中に見学予定の第1特科隊第4中隊の訓練風景については、午後3時からに予定を変更、北富士駐屯地内に移動して155mm榴弾砲(FH70)による実弾射撃後の整備訓練状況を見学した。この際、雇用企業主代表(第一貨物株式会社 東雲支店長・粟野氏)より陣中見舞いを即応予備自衛官の代表に手渡した。
 また、その日の夕方には懇談会を実施し、部隊側からは第31普通科連隊長(尾崎1陸佐)と第1特科隊第1科長(甲部3陸佐)が参加し、充実した意見交換が行われた。
 2日目は、直接北富士演習場に移動した後、高機動車で訓練場所まで移動、同連隊の市街地戦闘訓練や爆破訓練を見学した。各企業主からは、即応予備自衛官が炎天下の中、小銃を携行しフル装備で機敏な訓練を実施している姿に接し「これほど厳しく鋭敏な動作を必要とする訓練とは思わなかった。新たな部下の一面を認識できた」との感想があった。
 その後、北富士駐屯地に戻り、連隊長主催による会食を実施し、即応予備自衛官や連隊側幕僚等との交流を深めた。午後からは、板妻駐屯地に移動し、第31普通科連隊長の引率の元64式対戦車誘導弾(64ATM)のシミュレーターと64ATMの発射訓練を交互に見学した後、雇用企業主代表より陣中見舞いを即応予備自衛官の代表に手渡した。また、最後に部隊からは「企業側のご理解なくしては、訓練出頭や制度の維持が困難であり、今後も引き続きご尽力の程よろしくお願いいたします」との御礼があった。
 2日間の見学を通じ、富士地区独特な天候の急激な変化も体験し、各関係者との一体感が高まる雰囲気の中、非常に有意義に訓練見学を終了した。

<論陣>
米大統領選を注目しよう
ホワイトハウスの歴史も
 第44代アメリカ合衆国大統領を決める選挙が、いよいよ、11月2日に行われる。アメリカ合衆国の憲法によると「大統領選挙は、4年に1度、大統領の任期が切れる前年の11月第1月曜日の次の火曜日」と決められているから、2001年にクリントン氏(第42代、民主党)を継いだ現ブッシュ大統領(第43代、共和党)の任期(4年間)が切れる前年の11月の第1月曜日の次の火曜日である11月2日が選挙日になるわけである。
 ブッシュ大統領が属する共和党も、ケリー大統領候補の民主党も、すでに華々しく党大会を終え、いまは全国遊説、マスメディアを駆使しての選挙戦を展開中である。アメリカの大統領の場合、全国民が選挙(投票)に参加できるわけではない。11月の一般投票で、各州で最も多くの票を獲得した候補者が、その州の選挙人のすべてを獲得し、全米538人の選挙人のうち過半数、即ち270人以上を得た候補者が当選する仕組みになっている。だから、ブッシュ、ケリー両陣営ともキャンペーンに熱を入れるのである。とくにマスコミを通しての世論が"人気"を左右するアメリカでは、マスコミを100%使って相手をけ散らし、じぶんを持ち上げさせようとするのである。
 こんどの大統領選挙では"テロ対策"についてや、景気問題については、目を見張るほどの大差はない。イラク戦争も極端な争点は見当らない。となると目立つのは相手を攻撃する「ネガティブ・キャンペーン」である。
 ケリー側は「ブッシュは兵役義務を果したと言っているが単なる州兵。工作をしてベトナム戦から逃れた」。一方、ブッシュ側は「ケリーはベトナム戦で5つの勲章をもらい"ベトナム戦の英雄"と言っているが、あれは戦歴をいつわってもらったものだ」と攻撃している。典型的なネガティブキャンペーンである。11月の選挙当日までに、どんなスキャンダルが流されるか?ところでアメリカ合衆国大統領が政務をとり、私生活を送っている「ホワイトハウス」は、文字どおりアメリカ大統領の地位の象徴である。
 場所はテレビでしばしば放映されているので世界中で知らない人はいない。アメリカの首都ワシントンにある。3階建てで132室(居住区は8室〜15室)。このほかにホワイトハウス内や近くのビルに「大統領府」があり、約6,000人の官僚が内外の政治、行政、司法、立法問題に取り組んでいるといわれている。
 「ホワイトハウス」は、1800年に新築され、第2代のジョン・アダムス大統領が初めて居を構えたときには「ホワイト」ではなかった。
 アメリカが独立して間もない1810年からヨーロッパでナポレオン戦争が始まった。経済的確立を狙うアメリカは"兄貴分"の英国を応援せず、一切、中立を守った。「ナポレオンに味方した」と怒った英国は、1812年、アメリカに戦いをいどんだ。米英戦争である。当時、7つの海を制覇する勢いの大英帝国は、大軍隊をアメリカ本土に侵攻させた。英軍は破竹の進撃を続け、遂に首都ワシントンに突入、市街戦となった。攻防は激しさを加え、大統領官邸も戦火に包まれた。2年間の戦いの末、1814年、和平が成立した。この戦いで官邸は真っ黒な廃墟になった。
 1815年、第4代、マディゾン大統領(共和党)は、大統領官邸の大改築を命じた。「火災で焼けこげた跡を隠せ」。大統領の命令は、建物全体を真っ白なペンキで塗ることで実現した。以来、誰言うとなく、アメリカ合衆国大統領官邸を「ホワイトハウス」と呼ぶようになった。ただ、いまのように「ホワイトハウス」が正式の呼称になったのは、第26代ルーズベルト大統領が、官用の便せんに「ホワイトハウス」の名前を入れてからである。
 ブッシュ氏か、ケリー氏か。どちらが次のアメリカ合衆国大統領に選ばれても、米国の対日政策には、大きな変化はないと思われる。しかし、日米安保体制も、いつまでも、いままでどおりでいいという訳にはいかない。改めるべきは改めるべきである。ことを改むるに、はばかることはない。

富士本屋写真部
東富士を撮り続けて…
シリーズ(6)
佐藤欣一氏(写真提供)
ルノー戦車
防毒面
学生の休憩風景

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