「中国に残された化学兵器をなぜ日本が処理しなくてはならないの?」
陸上幕僚監部運用支援課長時代の私の疑問です。
条約により、持ち込んだ国が処理する事と定められているからなのですが、再就職した神戸製鋼所で中国遺棄化学兵器処理事業のお手伝いをするとは、当時夢にも思っていませんでした。
神戸製鋼所は潜水艦や浄水セットなどで自衛隊と関係がありますが、実は、中国に旧日本軍が残した化学兵器の爆破処理も行っています。
中国で発見・保管された化学弾を、人が立って入ることができるくらい大きな鋼鉄製の密閉容器の中で爆破処理して安全化する事業です。
この事業には、幹部自衛官や隊員の退官者が百数十名かかわっています。
また、沖縄の関係機関などのニーズを受けて始められたものとして、中国での爆破処理のノウハウを活用し、トラックの荷台に乗るくらいの耐爆容器を開発して、沖縄の不発弾処理にも貢献しようとしています。
これは、耐爆容器という密閉した鋼鉄製のチャンバーの中で、不発弾の信管を物理的に破壊するもので、万が一、不発弾が誤爆しても耐爆容器の外は安全だという優れものです。
時折、地中深く穴を掘って自衛隊が不発弾の処理をするニュースが流れますが、あの作業を安全に行おうとするものです。
これにより、不発弾処理時の避難地域を十分の一以下にする事が期待できます。
このように、退官してからも社会貢献ができる仕事ができ、大変充実しています。
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この社会貢献を可能にしているのは、現役時代の知識や経験、またそこから広がった人脈によるところが大きいと考えています。
現役時代、機甲科であった私は、第12戦車大隊で61式戦車、第3戦車大隊で74式戦車、第72戦車連隊で90式戦車、第7師団で10式戦車と国産戦車すべてに乗ることが叶い、戦車乗りとして大変恵まれました。
また、イラク復興業務支援隊長や福島原発対処現地調整所長などの任務に就き、まさに知識や経験、そして貴重な人脈を得ることができました。
この宝ともいえる知識、経験、人脈が、中国遺棄化学兵器処理事業の内閣府への説明、退職自衛官のリクルート、沖縄の不発弾処理事業などのお手伝いに活かされていると考えています。
更に、この宝を授けていただいた自衛隊への恩返しとして、自衛隊家族会で家族支援のお手伝いをしています。
このようなボランティア活動は、永年自衛隊にお世話になった者の使命であるとも考えています。
お世話になった自衛隊のため、隊員とその家族を繋ぐ役目を果たしていければと思います。
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退官後、活き活きと遣り甲斐をもって働くためには、健康は勿論のこと、現役時代に一生懸命任務に邁進する事が大事であると思います。
端的に言えば、部隊を強くすることと、隊員を幸せにすることを念頭に、自ら考えて仕事をすれば、貴重な知識、経験を積むことができ、結果的に良い人脈を
形成できると考えています。
その際のキーワードは、「誇りと感謝」です。
自らの任務に誇りをもって邁進し、それを支えてくれる同僚、隊員、家族、応援団の皆さんに感謝することです。
私は今、神戸製鋼所で中国遺棄化学兵器処理事業や沖縄の耐爆容器提案により社会貢献できることを誇りに思うとともに、自衛隊や現役隊員に感謝の念をもってボランティア活動で恩返しを実践しています。
誇りと感謝の念をもって日々精進する事が、明るい未来に繋がっていると信じています。
(著者略歴)
防大28期・第3戦車大隊長(今津)・イラク復興業務支援隊長(サマーワ)・第72戦車連隊長(北恵庭)・福島原発対処現地調整所長(Jビレッジ)・幹部候補生学校長(前川原)・第7師団長(東千歳)・北部方面総監(札幌) |