空自第2教育群(熊谷)
11月9日、航空自衛隊熊谷基地(司令・津曲明一空将補)に所在する第2教育群(司令・内康弘1空佐)において「英霊の思いを語り継ぐ〜声なき声、愛国の叫び〜」と題して講話が行われた。
これは、第307期新隊員課程・第25期自衛官候補生課程の学生を対象にした精神教育の一環として行ったもので、講師は、陸上自衛隊富士学校長や中央即応集団司令官等を歴任した山本洋氏。山本氏は、松江護國神社禰宜工藤智恵氏と知り合い、同氏の「祖国のために死力を尽くして戦われた英霊の声なき声を、現在日本をお護り下さっている自衛隊の皆様にお伝えすることも神職の役割の一端ではないかと思っている。戦争の記憶が風化されることに焦燥感を抱き、英霊たちの尊い御心を伝えるためにできる限り全てのことをしたい」という思いに共感し、「日本陸軍とりわけ陸軍航空の英霊の思いの中には空自が継承すべき陸軍航空の伝統と精神があるのではないか、それを継承するのは武人たる自衛官の役割といっても良いのではないか」との思いから、英霊の思いに耳を傾けることを通じ、今後の錬磨修養に資することを目的として講話を行っている。
特功隊若き7名最後の声
「耳と心を澄ませて聞いて下さい」と山本氏は言うと、英霊達(特攻隊指揮官5名を含む7名の若き航空将校)の最後の言葉を淡々と朗読した。熊谷基地に所縁のある第45振武隊隊長藤井一中尉の場面では、「隊長以下の気風は、選ばれた選手がこれからスポーツの試合にでも臨む時のチームの姿とでも言うような心境の半面が覗いていた」と沖縄目前で敵弾を受け海上に墜落した隊員の手記や「お先に行っております」と2人の子供に晴れ着を着せて荒川に消えていった奥様の遺書をも粛々と「愛する家族への思いを断ち切って澄んだ心境に至ることは一朝一夕になるものではない」と読み上げていった。
そして、その美しい心を育んだ武窓の教育とは、どのようなものだったか…。陸士56期進藤俊之氏の日記より死生観・人格陶治・統御・家族そして故郷などの各記述や他期卒業生の日記などから、どのように向き合ったかを探っていった。
これらの英霊は享年20歳過ぎ程度であったのを理解するために、陸上自衛隊と陸軍将校養成制度及び予科士官学校の比較を行った。また武窓における教育方針や学校長らの訓示と英霊が書き遺した日記を照らし合わせ、英霊の苦悩しながら真剣に歩んだ修養の道と澄み切った心情をも感じ取るように工夫されていた。
終わりに山本氏は「世界に誇る素晴らしい国、日本。愛する祖国日本のために若い命を散らした英霊の声に思いを馳せながら、自衛官の道を使命感を持って黙々と、そして堂々と歩んで頂きたい。そして英霊の思いを後世に伝えてもらいたい」と締めくくった。最後には英霊の崇高な愛の精神、その美しい精神を顕彰したいと元伊勢神宮禰宜河合真如氏が作詞された「護国の桜」が流れ、聴講者は皆下を向いて聞き入っていた。その中には肩を震わせている者もいた。
「英霊の思いを引き継ぎたい」
聴講後に学生らは「いかなる時でも命懸けで戦える状態であったか自問自答し、全てにおいての錬成不足を感じた。今後は今まで以上に自衛官である自覚を持ちどんな任務でも全力で取り組みたい」「英霊たちの精神の強さ、多大なる愛国心、人格の高さを前に自身のひ弱さを痛感した。今を平和に生きられる理由と喜びを知った」「英霊たちが書物にして残したこれからの国防の在り方等を紐解いていく過程で命の尊さと国防に対する各個の使命感を感じた」「得たものが2つある。1つ目は昔の戦争で戦った方々への敬意。2つ目は、今後の自衛隊生活を英霊の方々の想いを引き継ぎ意識の高いものにしていく姿勢である」「今回紹介された英霊の方々は私とほぼ同じ年でありながら、飛行隊長という重責を担っていた。彼らは何を想いこの国のために命を捧げたのか調べてみたい」などと感想を述べた。
また、今回の講話を企画した内司令は「英霊の同年代である本課程学生並びに熊谷基地司令及び基地所在部隊の隊員に山本様の講話を聞いていただき、それぞれの立場で英霊の思いを感じとっていただけたのではないかと思います。この機会を作れたことに何らかのお導きがあったように感じております」と述べている。 |