私は平成28年12月に日本生命に入社し、5年が経過しました。
日本生命は平成14年から防衛省共済組合事業である団体保険の幹事会社を務めており、現在、日本生命では防衛省・自衛隊を退職した総勢32名の元自衛隊員が顧問、自衛隊担当マネージャー、主任という役職で様々な部署に配置され、勤務しています。
『国民を守るのは自衛隊、その隊員と家族を守るのは日本生命』
歴代社長の申し送り事項となっているこの言葉をモットーとして、本社、地方営業本部、支社を巻き込んだ『Team防衛省』という全社横断的な取り組みを通じて、全国各地に所在する約280の駐屯地等に約390名の常駐員を配置し、団体保険の各種手続きのみならず、ライフプランセミナーの開催など分屯基地、通信所等全ての部隊で勤務する隊員とその家族のため保険事業を支援しています。
私は現役時代に航空大事故で2名、病気で1名の同期生を、また病気で2名の部下を失いました。私と同様に日本生命で勤務する元自衛隊員もそのような経験を持っています。部下や仲間を失うということほど悲しく、辛いことはありません。何かしてやれることは無かったのかと自責の念にかられ、その思いがその後の事故防止や健康管理の動機付けとなったと考えています。
部下や仲間を失ったことだけでも辛いことですが、辛さが増すことは保険に加入していない、あるいは加入口数が少ない場合です。更には、結婚しているにもかかわらず、保険金の受取人を配偶者にしていなかったような場合、子供をかかえた奥様の将来を考えると辛さが倍増します。そして多くの場合、この問題は亡くなった本人が予期もしていない遺族間の争いに発展するのです。本当に悲しいことです。
このように悲しく、また辛い事案を経験しているが故に、日本生命で勤務する我々元自衛隊員は保険の重要性を肌身に感じており、保険の勧誘や見直し、解約・脱退防止に真剣さが表に出てしまうのかもしれません。
防衛省共済組合の団体保険は歴史と伝統があります。団体生命保険は自衛隊創設以前の警察予備隊の時代に創設されています。保険会社の常識からすれば、リスクに応じて掛け金が決まるのですが、防衛省共済組合の団体生命保険は年齢、性別、階級、職種に関係なく1口が100円の保険です。創設以来67年目を迎える防衛省では昨年、殉職者が2000名を超えました。自衛隊の任務は常に危険と隣り合わせであり、相互扶助の精神に則り、この制度が現在に至るまで堅持されています。
平成14年に成人病で入院、手術する隊員や家族が増加してきたことに鑑み、新たに団体医療保険が創設されました。そして成人病の中でも3大疾病による支払い事由が増加したことに鑑み、平成28年から3大疾病の補償を手厚くした特約が団体医療保険に付加されました。平成31年からは退職前に2年間以上団体医療保険に加入していれば、退職後に無審査で同等の個人医療保険に移行できるなど、隊員を取り巻く環境の変化と隊員からの要望を基礎として団体保険は充実、発展を遂げてきています。
平成17年春、自衛隊入隊直後に訓練中の学生が亡くなる事案がありました。その隊員は団体生命保険への加入申込を済ませていましたが、死亡保険金は支払われませんでした。保険は掛け金が支払われた日を責任開始日とし、その日以降に発効します。自衛隊の場合、保険料は源泉控除されるため18日が責任開始日となりますが、その学生は給料日前に亡くなったため、保険料が引き落とされていなかったので、保険金は支払われなかったのです。この事件を契機として、隊員が保険加入申込を済ませた段階で保険が発効する即時保障という自衛隊独自の制度が創設されました。(即時保障の場合は、申し込みを行った月の掛け金が後日請求される)保険は商品であり、自分にあったものを選んで買うものだと思っていましたが、この事案を契機に保険はニーズに応じて創り上げていくものと認識を新たにしました。団体医療保険の退職後無審査での個人保険移行についても、隊員からの要望が多かったので、引受会社である日本生命が2年の歳月をかけて制度化したのです。
これまでは事故や病気で亡くなる、あるいは入院や手術等の経済的負担を軽減することに備えることが保険の役割でしたが、寿命の延伸に伴う老後資金不足に備える保険商品も出現しており、保険会社で勤務する我々の役割も大きく変化してきているように感じます。我々は防衛省・自衛隊での経験を活かして、長年に亘り築きあげられた共済組合団体保険を通じて、隊員が職務に後顧の憂いなく専念できる環境整備のお手伝いを行うとともに、団体保険では保証できないその他のリスクの存在と、それに対する個人保険による補完の必要性を訴えることにより、防衛省・自衛隊への恩返しができればと日々願いつつ、東奔西走しています。
(著者略歴)
防衛大学校25期生卒、在ロシア防衛駐在武官、第5航空団司令(新田原)、統幕首席後方補給官、空幕技術部長、幹部学校長、航空総隊副司令官、補給本部長を歴任し平成28年に退官。現在、日本生命顧問 |