防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1050号 (2021年5月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第76回>

後藤新平の仕事

 後藤新平(1857-1929)は旧仙台藩水沢に生まれた。苦学して須賀川医学校を卒業し、医師としてキャリアを歩み始める。ドイツ留学を経て、1892年内務省衛生局長となる。1898年台湾総督府の民生長官となって植民地台湾の経営に手腕を発揮。1906年50歳のとき初代の満鉄総裁となった。1908年第二次桂内閣の逓信大臣兼鉄道院総裁。1920年には東京市長に就任。関東大震災(1923年)後、第二次山本内閣の内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の復興に尽力。晩年は政治の倫理化運動を展開し、73歳で没した。
 日本および世界は今、新型コロナウィルスの疫病に苦しんでいる。後藤新平の生きた時代も疫病との戦いがあった。後藤は1895年、日清戦争の終結で、コレラなど伝染病の蔓延する中国から船で帰還する23万人の兵士に対する検疫事業の責任者に任命された。任命の2日後には、北里柴三郎ら医学や衛生学の権威を集めて検疫の大方針を決定。国内の3か所に大規模な検疫所を建設し、3ヶ月で687隻23万2,346人の検疫を完遂した。半分近くの258隻から369人のコレラ罹患者を発見し、これを隔離。国内での感染拡大を防いだ。この検疫事業は欧米諸国にも知られ、賞賛された。
 1898年台湾総督となった陸軍の児玉源太郎は、検疫事業で発揮された後藤の卓越した行政手腕を認め、総督の補佐役である民生長官に抜擢した。児玉はその後台湾総督を兼任しながら、陸軍大臣、内務大臣となり、日露戦争勃発後は総参謀長となって満州に赴いたので、台湾の9年近い児玉総督時代、5年半は実質後藤民政長官による統治だった。
 公衆衛生を重んじる後藤は上下水道を整備し、マラリアをはじめとする伝染病を激減させた。本国政府から巨額の予算を引き出し、上下水道の他、道路、鉄道、築港等のインフラ整備を積極的に進めた。滞米中の農学者新渡戸稲造を招き、産業振興を図り、砂糖産業を台湾の主力産業に成長させた。後藤の台湾統治は成功で、百年以上たった今もなお、台湾で後藤は近代化の父と評価されている。
 後藤新平は「大風呂敷」と言われた。常に大きな構想で、事業をデザインした。関東大震災のとき、内務大臣兼帝都復興院総裁の後藤は、当時の国家予算に匹敵する13億円の首都復興計画を立案した。復興予算は議会で5億7,500万円に減額されたが、計画の相当部分は実行された。現在の東京の都市骨格、環状道路等の幹線道路網、公園や橋など多くの公共施設は、当時の復興計画に負うところが大きい。
 「大風呂敷」といわれた後藤の構想は、実は地道な調査にもとづいていた。後藤ほど調査を重視した指導者はまれである。後藤の思考は科学的で、対処療法よりも衛生と予防を重んじ、常に先を見ていた。その先見性のゆえ、計画が大風呂敷に見えた。
 後藤の仕事の根底には徹底した「公共の精神」があった。「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」と説き、生涯そのように生きた。また、「一に人、二に人、三に人」と言うのが口癖で、人材の登用と育成に情熱を注いだ。後藤は死の直前、「金を残して死ぬのは下だ。仕事を残して死ぬのは中だ。人を残して死ぬのは上だ」との言葉を残している。
 令和の今、後藤新平が生きていたらどのような仕事をするだろうか。
(令和3年5月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


防衛省・自衛隊 地方協力本部
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本部庁舎看板除幕式・募集案内所新装開所式
<函館>
 函館地方協力本部(本部長・久保健昭1海佐)は4月10日、本部庁舎及び募集案内所において除幕式及び募集案内所移転開所式を行った。
 除幕式は、部内外関係諸団体の代表が参加し、陸海空自衛隊共同のラッパ吹奏者により、陸海空自衛隊の共同機関である地方協力本部の新たな門出の祝賀をファンファーレによって晴れやかに演出した。
 また、募集案内所移転開所式では、来賓に函館市副市長及び自衛官志願推進協議会長を迎え、地域の高校と協力して制作したオリジナルマスクの発表、来賓者によるテープカットが行われ、地域への理解と協力を促進することが出来た。
 函館地本は、これらの新たな取り組みを機に、募集業務のさらなる発展と地域との一体化を図り、募集基盤の拡充に努めていく所存である。
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国防を志ざす3兄妹誕生
夢に向けて防医大入学

<長野>
 長野地方協力本部松本地域事務所(所長・鈴木正人1陸尉)から防衛医科大学校看護学科の採用試験を受験した高谷紫乃さんが、今春、看護官になるという夢に向け晴れて同校に入校することになり、国防を志す「高谷3兄妹」が誕生した。
 平成31年一般幹部候補生として入校し、現在は航空自衛隊第13飛行教育団(芦屋)でパイロットを養成するための教育を受けている長男(兄)の龍太郎さんと平成31年防衛大学校に入校し、現在3学年生(令和3年4月1日現在)として日々勉強や訓練に励んでいる次男(兄)の慶太郎さんに続き、紫乃さんは国防への道を一歩踏み出した。
 小さい頃から看護師を目指していた紫乃さんは、兄2人の影響もあり高校1年頃から自衛隊の活動に興味を持ち始め、その後、兄や広報官などから話を聞き「私が求めている仕事はこれしかない」と決意したことからこの度受験し、見事合格を果たした。紫乃さんは将来、災害派遣や国際平和協力活動などの多岐にわたる分野において、日本や世界の平和のために活躍したいとの夢があり、そのためにも防衛医科大学校で勉学に励み「どんな状況でも人を助けられる看護官になりたい」と話している。
 家族も紫乃さんが入校することをとても喜んでおり「防衛医科大学校の素晴らしい環境でしっかり学んで立派な看護官になってほしい」と期待している。
 長野地本は、志願者が入隊・入校後も連絡をとりフォローしていくことで人的基盤の醸成を図るとともに、リクルーター制度を活用して募集基盤の拡充を図り募集広報を行っていく。
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おきなわ自衛隊グルメ試食会
食べ物の力で自衛隊広める

<沖縄>
 沖縄地方協力本部(本部長・坂田裕樹陸将補)は、3月29日、那覇市の飲食店において、「おきなわ自衛隊グルメ」試食会を実施した。「おきなわ自衛隊グルメ」とは、陸海空自衛隊のオリジナルメニューのレシピを協力店舗に提供し、多くの沖縄県民の皆様に自衛隊の食事メニューを味わっていただくことにより、自衛隊をより知ってもらい身近に感じてもらうという狙いの企画。試食会には報道機関4社、4名の記者が参加し、航空自衛隊那覇基地考案の「那覇基地空上げ」をメニューとして提供している記念すべき第1号店で試食会を行った。
 当初、参加した記者に対して坂田本部長から「今回のグルメは自衛隊を知ってもらうために企画しました。食べ物の力は大きく、自衛隊では「同じ飯を食べる」ということで一体感が生まれ、人と人との間にコミュニケーションがとれ、お互いを知ることができます。食べ物が一つのツールとして自衛隊を知って頂く機会になって欲しい」と挨拶を行った。
 グルメの紹介では、沖縄地本広報室長(津村3陸佐)が自衛隊グルメの紹介、グルメに至った経緯を説明し、記者達は真剣に耳を傾けていた。空自空上げでは、航空自衛隊那覇基地広報班長(田中2空尉)が空自は「より上を目指す」という意味を込めて空上げ(からあげ)と名付けた唐揚げを各基地の隊員食堂で提供しているという経緯説明を行った。
 試食では、航空自衛隊那覇基地司令の高石空将補、沖縄地本長の坂田陸将補や参加した記者達が那覇基地考案の空上げを試食し感想を述べた。那覇基地の空上げはシークワーサーの果汁に漬け込み、ガーリックパウダーをまぶすご当地仕様。記者達には「甘塩っぱいシークワーサー風味の味が美味しい」などと大好評であった。共に同じものを食することで、様々な話題で盛り上がり、親交を深めることができた。試食会の様子は、読売新聞社で掲載され全国に知れ渡った。
 今回の試食会を通じて、参加した記者達には自衛隊を身近に感じていただけたことは大変うれしく思う。沖縄地本は今後も県民の理解と信頼を獲得するための様々な企画・実行に努めていく。
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県に対し自衛官募集を推進依頼文書を副知事に手交
<福岡>
 福岡地方協力本部(本部長・深草貴信1陸佐)は、3月26日、福岡県庁において、自衛官募集等の推進に係る防衛大臣及び本部長からの依頼文書を江口勝福岡県副知事に手交した。
 手交後の懇談において本部長は、江口副知事に対し、日頃の自衛隊の活動・地本の募集活動等に対する理解と協力、自衛官OBの防災担当官への採用について感謝の意を伝達するとともに、今後益々の自衛官募集などへの協力を依頼した。
 これに対し江口副知事からは、平成29年から4年連続した豪雨災害への災害派遣活動に対する謝意などが述べられ、今後も自衛隊と県が緊密に連携し、良好な関係を継続していくことで認識を共有した。
 また、長期化する新型コロナウィルス感染症の影響を踏まえ、県・地本相互における今後の見通しや対策等について意見を交わした。
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奄美大島で防災教室を初開催
<鹿児島>

 鹿児島地方協力本部奄美大島駐在員事務所(所長・森田正2海尉)は、4月5日、大島支庁奄美会館において、奄美市内の中高校生等を対象に防災教室「学ぼう防災in自衛隊」を初開催した。
 この防災教室は、自然災害の多い離島において、地域住民の防災意識の向上を図るとともに、自衛隊の災害派遣活動を周知してもらうことを目的に陸上自衛隊奄美警備隊と海上自衛隊奄美基地分遣隊の支援を得て開催された。
 当日は新型コロナウイルス感染防止対策のため、時間帯毎にグループ分けを実施し、災害派遣活動写真展や災害派遣現場で実際に使用する救命ボート、油圧式カッターなどの装備品見学、AEDを使用した心肺蘇生法やロープワークなどを体験した。参加した中高生は各コーナーでの隊員の説明に一様に真剣な表情で熱心に学んでいた。またこの日は奄美基地分遣隊隊長の土井3海佐による救難ヘリコプター(UH-60J)での救助活動の体験談を映像を交えて紹介すると、参加者は人命救助の大変さと自衛隊の任務の重要性について理解を深めていた。
 最後に奄美大島駐在員事務所長による防災講話では自分自身や家族を守る『自助』と地域や近隣の人を守る『共助』が最も重要であることを説明すると「地域の避難場所すら知らなかった」「いざという時は近所の高齢者を助けたい」などの感想が聞かれ、防災意識の向上が図られたことを確認できた。
 さらに災害派遣活動の写真を熱心に見学していた高校生は「僕も将来は自衛官として人の命を守る仕事がしたいです」と語るなど今回の防災教室は職業意識の高揚にも繋がった。
 同事務所では、今後も近傍部隊と連携した防災教室を積極的に実施し、自衛隊の活動に対する理解と関心を高めていきたいとしている。


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