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自衛隊ニュース   895号 (2014年11月15日発行)
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遠洋練習航海部隊が帰国
海自練習艦隊
 今年は同行事の前に、練習艦隊司令官(湯浅秀樹海将補)、かしま艦長(森田哲哉1海佐)、あさぎり艦長(川内健治2海佐)、せとゆき艦長(東良子2海佐)及び各艦乗員並びに実習幹部169人(女性自衛官19人、タイ王国留学生1人を含む)、儀仗隊及び音楽隊の整列の中で、遺骨引渡式が行われ、太平洋戦争の激戦地であったソロモン諸島で収容された137柱の戦没者の遺骨を「かしま」乗員が胸に抱え、「海ゆかば」の演奏のもと入場した。遺骨は、海上自衛隊から厚生労働省に引き渡され、安置台に安置された。その後、来賓、参列者、遺族等から黙とう、献花がささげられ、儀仗隊による儀仗が行われた。
 本輸送は同省が防衛省に協力を依頼したもので、海外戦没者の遺骨を海自艦艇が輸送するのは初めて。

ソロモン諸島で収容
137柱の遺骨引渡式
 引き続き、帰国行事が行われ、国会議員、各省庁関係者、協力支援団体等及び乗組員家族らが参列する中、湯浅練習艦隊司令官が原田憲治防衛大臣政務官に対し、遠洋練習航海を終了し無事帰国したことを報告し、原田防衛大臣政務官が練習艦隊の長旅を労った。
 次に武居智久海上幕僚長が、乗組員の奮闘を称えるとともに「海上自衛隊の全ての活動の基本が海の上にあることを肝に銘じ、5カ月間の海上勤務における厳しさと楽しさを忘れることなく、いかなる配置にあろうとも海の上を基本とした物の見方、考え方を持ち続けてもらいたい」と激励した。
 その後は、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露が行われ、最後に練習艦隊司令官、各艦長及び実習幹部代表に花束が贈呈され、同行事は終了した。
 練習航海部隊は、5月22日に晴海埠頭を出港後、156日間にわたり、約31,000マイルを航海し、13カ国15寄港地を巡るとともに、各寄港地で親善交流を図った。

平成23年度潜水艦
じんりゅう
命名・進水式
 10月8日、三菱重工叶_戸造船所で「そうりゅう」型7番艦で平成23年度潜水艦(23SS/番号507)の命名・進水式が行われ、「仁愛の徳を持つ龍」の意味を持つ艦名「じんりゅう」が発表された。「そうりゅう」型は蓄電池・ディーゼル機関にスターリング機関を加えたAIP(非大気依存)推進システム等により、長時間安定した水中持続力を確保した潜水艦。
 伊藤俊幸呉地方総監を執行者とした式典は新潜水艦を祝福するかのような晴天に恵まれ、左藤章防衛副大臣ら防衛省・自衛隊関係者、来賓・関係者等約260人が出席し盛大に執り行われた。
 海自東京音楽隊の三宅由佳莉3海曹が「君が代」を独唱し、副大臣が江渡聡徳防衛大臣の命名書を読み上げ「じんりゅう」と命名すると安全装置取り外し等の進水作業が行われた。最後に副大臣が潜水艦を支える綱「支綱」を切断すると、自衛艦旗等で華やかに装飾された「じんりゅう」が呉音楽隊の「行進曲 軍艦」が鳴り響きスモークが焚かれる中、水しぶきを上げ進水、息を飲み見守っていた列席者から歓声が沸き起こった。同艦は今後、ぎ装工事、海上試験を実施し、2016年3月頃竣工予定。

〜中央即応集団〜
魁の風
Central Readiness Force
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国連施設エプロン工事竣工式
〈UNMISS〉
 南スーダン派遣施設隊第6次要員(隊長・野村昌二1陸佐)は、約4カ月間の工期を経てUNエプロン第2タクシーウェイ(誘導路)を10月13日に完成させ、翌14日に竣工式を実施した。このタクシーウェイ暗渠排水工事の整備は、ジュバ空港滑走路とUNのエプロン(航空機の駐留区域)を結ぶ航空機用の誘導路を確保するために実施したものであり、同滑走路と同エプロンを隔てる既存の水路を暗渠(カルバート方式)にするものであった。
 ボーイング767(約190t)級の大型航空機の荷重に耐えうる強度が必要であったため、鋼製コルゲート管と360度鉄筋コンクリート保護巻とした工法により、長さ約44m、幅約5m、深さ約2mの構造物を構築した。
 気温が40℃を超える酷暑、突然のスコールなど、コンクリート構造物を施工するには厳しい気象条件に加えて、生コンクリートの低品質及び納入数量の不安定なことを考慮し、通常よりも強度を落とす条件として装備施設本部に構造の検討を打診した。その間、コンクリート打設計画を幾度となく検討し、関係する機関等と協議を重ね、いくつもの問題点を解消し晴れて施工を開始する日を迎えた。(設計担当・企画補佐 森田技官・小山内技官)
 第1施設小隊(小隊長 大東1陸尉以下33人)が施工を実施したが、その活動は、気温40℃を超える猛暑日の連続、強烈な日差しにより鉄鋼排水管が素手では触れないほど熱くなる等の環境下でのものとなった。施工に必要な鉄筋3,000本以上を手作業により加工・配筋し、コンクリートについては約370立法メートルを打設した。竣工式で野村隊長は「第2タクシーウェイの完成がUNMISSの任務の円滑化と将来のジュバ空港の国際空港化のための一助となり得たこと及び構築のノウハウが今後のジュバ空港整備に生かされることは、誠に喜ばしく、そして光栄なことです」と英語で式辞を述べ、次いで大東小隊長が完成までの作業工程を英語と写真パネルで説明した。
 来賓のUNMISSミッション支援部サービス・デリバリー長 コフィ・ジョンソン(Kofi Johnson)氏は「日本隊のプロフェッショナリズムの賜物である」と述べ、UNMISSミッション支援部航空部門長サミュエル・アブロクワ(Samuel Abrokwa)氏は「ジュバ空港に多大な貢献をした」との称賛の祝辞を述べた。最後にテープカットと記念撮影により第2タクシーウェイの完成を祝った。
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中即連ジブチから帰国
 宇都宮駅で盛大に出迎え行事
 中央即応連隊(連隊長・阿部洋一1陸佐)から東アフリカのジブチ共和国に派遣されていた隊員約60人が、10月12日に無事帰国した。その帰国に際し、JR宇都宮駅において初めて栃木県防衛協会が主催した出迎え行事が行われ、派遣隊員らは家族や同僚、多くの県民の出迎えを受けた。
 この派遣は、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処のため、洋上監視を続ける海上自衛隊哨戒機P―3Cが駐機する、活動拠点の警備を担当するもの。『派遣海賊対処行動航空隊』の警衛隊として参加していたが、今年7月に改編され、部隊名称が『派遣海賊対処行動支援隊』となった。連隊は6月から派遣されジブチへの派遣は今回で8度目。これまでジブチ派遣の各行事は、宇都宮駐屯地内で実施されていた。
 今回の行事は、隊員の活躍を多くの県民に知ってもらいたいと栃木県防衛協会会長・青木勲氏が中心となって、県隊友会や県父兄会、県雇用協議会の協力団体の応援を得て、県民も気軽に出迎えられるようJR宇都宮駅構内で実施された。
 行事は宇都宮駅新幹線改札口前付近で行われ、県民の見守る中、東京駅から防暑服、砂漠用で到着した警衛隊長の松原3佐が連隊長へ帰国報告。連隊長は隊員らに労いの言葉をかけた後、出迎えた家族や見守る県民を前に「このような形で出迎えていただき、自衛隊と地域の関係の新しい1ページが開けた」と感謝を申し上げた。
 隊員は、長距離移動の疲れを見せず緊張した面持ちで帰国報告を行ったが、家族から"サムライ"という名のバラの花を受け取り「お帰りなさい」と声をかけられると、緊張から解き放たれ笑顔を見せていた。

雪月花
 前号につづいて'64東京オリンピック。あの時プラカードを持って選手団の先頭を歩いた人たち、今でもその人たちによく話を聞く。1番手のオリンピック発祥のギリシャ選手団を先導したのが元小平学校長だった佐山詔介さん、体型の揃った防大11期の2年生約120人に選抜された。夏休みを短縮して灼熱の防大グランドでも1時間微動だにせず起立のまま、そして行進訓練、プラカードの位置や持ち手など練習に練習を重ねていた。国立競技場でもリハーサルを行っている。しかし当日は場内を圧する国立競技場の空気にはやはり緊張と武者震いを意識した。天皇皇后両陛下ご臨席で自衛隊員によるファンファーレが吹かれた後の静寂。誰一人居ないグランドへオリンピック行進曲に合わせ一歩足を踏み入れた。誇らしい気持ちと責任感が押し寄せる。グランドの中心にギリシャ選手団と整列して後続の選手団を待つ。目線の真正面には天皇陛下が居られる。もちろん身動きすることは禁じられており眼球を動かすことも出来ない。そのなかで最後の日本選手団の通過時のタイミングに合わせ標旗隊員にも退場の合図を送るのだ、プラカードをほんの少しずらしたり上げ下げして。人生には何回もあるとは考えられない晴れの舞台である。その時の様子はこの秋には何回もテレビやユーチューブで流されていた。最近のオリンピックの先導は民族衣装の女性が多い、'20年オリンピックでも防大生の登板が見られるか…。

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