『鯨一頭七浦賑わう」。本紙の鯨取りの読み物にこんな言葉があった。30数年前に訪れた和歌山県の太地町は鯨の町として活気があった、七浦どころか全県下が賑わっていた。熊野灘に面した太地港に数百頭の鯨・イルカを追い込んでいた、需要に応じてそこから鯨を出荷していたのだ。それから間もなく商業捕鯨の賛否を問う国際捕鯨委員会(IWC)が開かれ多数派工作は熾烈を極めた。賛成側の日本はインド洋に浮かぶセーシェルと言う小さな国の票にも手を伸ばした、筆者も資料造りの手伝いをさせられたことだった。それまでは捕鯨オリンピックと言われるようにマスコミも国威発揚よろしく囃し立てていた。結局1982年、商業捕鯨は禁止となり日本は調査捕鯨に限定された。しかしその調査捕鯨も国際世論に圧倒された形で国際司法裁判所から去る3月に中止命令が出された。関係者が落胆するのは当然だが、今回の判決は南極海の捕鯨に対するもので他の海域の鯨には及ばない。今すぐに鯨が日本の食卓から消えることにはならないが正直寂しく残念な気持ちになる、戦後の蛋白源として多くの人が親しんだことを憶えているのだ。禁止の旗振りをするオーストラリアではカンガルーを毎年なん十万頭も殺戮することは棚において鯨を食べることだけが残酷だと言うのかと反論しているが…。肉から骨、皮、髭まで全部有効活用する日本、捨てるところは何もない鯨のありがたみを一番知っている国民だ。 |