7月25日、練馬駐屯地納涼盆踊り大会が行われ、自衛官として最後の太鼓を打つことができました。
小学3年(9歳)の時に地元の町会で太鼓を習い始め、昭和43年から盆踊りのやぐらに上がり昭和53年3月、第1普通科連隊に入隊し練馬駐屯地で自衛隊デビュー! 今年で延べ45年間盆踊りの太鼓を打ち続けています。
今でも懐かしいのが新隊員の時の話で、当時の練馬駐屯地にはあまり太鼓を打てる方がいなく、希望者が集まったところで「新隊員が太鼓打てるのか!」と、いきなり一喝、「はい、打てます」と二つ返事で返し、おきまりのリズム打ちから三つ打ち、連打など披露し最後は借りたバチを折ってしまい周囲の方々を驚かしたことです。
身分は2士でも太鼓の知識と技術は入隊前から仕込まれており、陸士から幹部まで多くの方々の技術指導もさせていただきました。
盆踊りでは、打ち手が大勢いる時はやぐらの上も大変賑やかで、かけ声も出てとても楽しいものですが、打ち手が少ない時は大変で私一人しかいなかった時は2時間打ちっぱなしの時もありました。打ち続けて握力が無くなりバチが握れなくなった両手をテーピングでバチを巻き付け固定し最後まで打ち切った年もありました。
入校先でもその駐屯地で盆踊りがあればマイ・バチを持って太鼓を打たせてもらいましたが、自衛隊体育学校に剣道課程の学生として入校していた年は、さすがに体力的にも時間的にも無理と思っていましたが、練馬駐屯地からSOSが入り、剣道課程の教官から「みんなおまえを頼りにしているんだろ、なら行って来い!」その一言でその年もやぐらに立つことができました。
平成2年、東京地方連絡部(市ヶ谷)に転属しても練馬駐屯地の太鼓支援は続き、陸上自衛隊曹友会が発足し本部役員に上番してからは活動の幅も広がり、司会進行も手がけるようになりました。盆踊りで司会進行をしながら太鼓を打つ、二役を演じバチさばきに加えマイクパフォーマンスが口こみで広がり来場者が倍以上になり、当時の駐屯地司令から感謝状をいただいたこともありました。
また平成12年、防衛庁が市ヶ谷へ移転し初めての納涼盆踊り大会では、みんなが手探りで心配する中、そんな心配事など一気に吹き飛ばす勢いで会場を盛り上げ太鼓を打ち続けたことなどつい昨日のように思い出されます。
今年の11月に制服を脱ぎますが地域のため、みんなのためにアクセル全開でまだまだ頑張りたいと思います。 |