防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2008年11月1日号
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寄せ書き

パパだいすき
小1 伊藤楓良
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 ぼくは、パパがだいすきです。お休みの日に、やきゅうやサッカー、車で虫取りにつれていってくれます。
 パパはおしごとで、おとまりの日がおおいです。そらは、まいにち「あと、なんかいねたらかえってくる」ってかぞえています。パパがいないとさみしいです。でも、じえいたいのパパは、かっこいいので、がまんします。パパ、じえいたいのおしごとがんばってね。(第25普通科連隊第3中隊伊藤英二3曹長男)


後期教育終えて
第8施設大隊本部管理中隊=川内 2陸士 瀬戸口歩
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 WACしかいなかった前期教育と比べ、やはり一番不安だったこと、難しかったことは、男性の同期及び教官・助教とコミュニケーションをとれるかということでした。同じように、訓練でも男と女という違いで、足を引っ張ってしまうのではないか、と本当に最初は不安でした。しかし、そんなそんな不安も忘れてしまうほど、後期教育はあっという間に過ぎていきました。
 力仕事の多い施設課で、新しい課目もどんどん進んでいく中で、「男性隊員に負けていられない。負けたくない!」と必死について行きました。
 訓練、営内生活と、2ヶ月半怒られっぱなしで、トレーニングも多く、何度も嫌になりました。でもその分楽しいことも沢山あったし、同期や特に班員・班長・班付の支えがあり、無事に修了式を迎えることができました。
 本当にこの2ヶ月半は辛いこと、苦しいことが多かったです。でも、それを乗り越えてこれたからこそ、最後の最後まで多くの思い出を作ることができたし、同期や班長・班付との絆を深く感じることが出来たと思います。
 何よりも、施設科は自分に合ったやり甲斐のある職種だと実感できた濃い2ヶ月半でした。
 この期で教育を受けれたことは、自分の誇りです。教官始め、助教、支えてくださった全ての方々に感謝の気持ちで一杯です。
 これからは、早く一人前の施設隊員となれるよう、先輩方から色々学んでいこうと思います。

初の中隊検閲
第34普通科連隊第1中隊=板妻 1陸士 木戸翔太
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 9月21日の18時、第34普通科連隊第1中隊の平成20年度の中隊訓練検閲が始まった。新隊員教育課程を終えて僅か2週間足らずで挑んだ今回の中隊検閲「若鷹」は、私にとって学ぶことの多いものでした。84mm無反動砲の副砲手として小隊編成に参加した私は、背嚢と一緒に84mm無反動砲の弾の入ったファイバーケースを背負って夜間行軍に臨みました。歩く前は余裕綽綽(しゃくしゃく)だった私は、正直山(演習)をなめていました。歩き始めて数時間、不安な足場、狭い視界、降り続く大雨で私の体力はどんどん奪われ、終いには倒れてしまいました。結局背中の荷物を車両に預けて私は歩きました。夜明けまで続いたこの行軍で山(演習)の厳しさと己の体力不足を痛感しました。続いて行われた戦闘行動でも体力不足による体調不良で上官や同期など様々な方々に迷惑をかけてしまいました。
 この検閲を無駄にしないためにも、日々の心身鍛錬を怠らず、次回の中隊検閲、自分の将来のためにも弱音を吐かずに頑張ろうと思います。

学び、活かす
第7普通科連隊第2中隊=福知山 陸士長 石 繁嗣
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 私は、1小隊1分隊の小銃手として中隊検閲に参加しました。2中隊に配属されてから初めての検閲でした。私は新隊員後期教育隊の時に行われた検閲で防御陣地を工事するのに自分の行動が遅かったため、同期に迷惑をかけてしまった経験があるので中隊検閲は無事に出来るか心配でした。また私は、去年行った夜間行軍で完歩することはできたのですが終了した後に体調が悪くなった経験があるので、今回の夜間行軍にも不安がありました。しかし、いざ歩いてみると楽に完歩することができ、また体調も悪くなりませんでした。これによって自分に自信をつけることが出来ました。しかし、いざ攻撃行動で攻撃をしている途中、私の姿勢が高く敵に見つかってしまい審判の方から軽傷と言われてしまいました。実際、戦争が起きたら今のままでは戦力にならないだろうなと思いました。この経験を含め、今検閲で学んだ事を反省点とし、次回の中隊検閲等にいかしていきたいと思います。

航空安全祈る
第9飛行隊=八戸 2陸尉 木下実規歩
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 この度、飛行隊の新しい名所としまして、格納庫地区西側に小庭園を設けました。
 第9飛行隊の19年度末の飛行隊改編完了に関連して恒久の無事故日数の継続及び更なる航空安全を祈念するとともに隊員の憩いの場とすることを目的として、3月に飛行隊隊員から花壇のデザインを募り、選出したデザインを基に4月から段階的に構築し、7月中旬に概成という経緯を辿りました。難を転ずるという趣旨で去年3月に創隊50周年で植樹した「南天の木」も青々としており、今後の庭園の変化も楽しみと思われます。
 昼食時等に野外にて弁当などを食し、効率的に休憩中の気分転換を図れるようにと、庭園の中心にはベンチとテーブルを設置しました。
 まだまだ規模も小さいですが、第9飛行隊へ来隊された際には是非見学に来られてはいかがでしょうか。

即応予備自衛官
第304施設隊第301施設小隊=出雲
即応予備自衛官 2陸曹 淵本光則
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 私は、即応予備自衛官になって7年目になります。元は第13施設大隊2中隊で6年間お世話になりました。その後、予備自衛官を10年間勤めて、平成14年に即応予備自第47普通科連隊3中隊に配属になり6年間勤めました。普通科職種は、分らないことが多く戸惑うことばかりでした。出雲に施設科職種のコア小隊が出来ると聞き希望しました。半年たちますが、16年間施設科職種を離れていたため、忘れてしまったことが多く、今は教官、助教に教わり思い出しながらやっています。来年・再来年と続けて頑張っていきたいと思っています。

「レンジャー」
第7普通科連隊第2中隊=福知山 3陸曹 加藤太郎
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 素養試験もなんとか合格し、4月4日からいよいよ始まったレンジャー訓練。どんなことがあっても脱落しないと覚悟を決めていたのですが、やはり色々な不安は募るばかりで緊張の連続でした。その緊張のせいか上手くいかない場面が数多く出てきて、自分の弱さというものを知ることができました。
 体力調整でも、助教が前に立つだけで普段できていたことができなかったり、体が固まったりして毎日自分に腹を立てていました。しかしながら、自分自身、やればできると信じていたので基本訓練もクリアし、各想定も無事に終了することができ、怪我をすることなく帰還しました。
 レンジャーを卒業できたのは、自分1人の力ではなく周りの方たちの応援や、支援があったからだと思います。これからは恩返しするつもりで頑張っていきたいです。

悔しい思い 次への糧に
第34普通科連隊第1中隊=板妻 1陸士 伊 健一
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 今回の検閲は中隊に入って初めての大きな行事だったので、中隊に早く馴染むためにも頑張ろうと思っていました。検閲に臨むうえでの目標は、行進も戦闘行動も脱落しないで最後までやり抜くことでした。しかし行進時において夜間という特性に慣れていないため、石に足を取られ転倒して足首を捻挫してしまいました。その後は迫撃砲分隊を離れ、中隊本部周辺の警戒を実施することしか出来ませんでした。そんな中、疲れや寒さと戦いながら頑張っている仲間達のことを考えると、申し訳ない気持ちで一杯でした。自分もみんなと一緒に戦いたかったです。でも足が動かずどうすることもできませんでした。当初の自分自身の目標であった最後までやり抜く事、これが潰えてしまったような気がして悔しくてたまらなかったです。しかし怪我を負ったことから教訓を得られました。それは怪我の予防です。準備する時には怪我をするかもしれないとは考えていませんでした。もし考えていれば、テーピングで捻挫を予防することや焦らず歩いて転倒しないようにすることもある程度出来たはずです。次の検閲では戦闘行動まで参加できるように、怪我の防止に努め、今回のような悔しさを二度と味わうことのないようにしたいです。

ギンポ釣り
第37普通科連隊本部管理中隊=信太山 陸曹長 畑野美智也
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 我が家の主な休日の行動計画に釣りがあります。近傍には泉大津港がありますが、少し油臭いのが気になるので少し遠出をし、大阪南部の深日漁港まで行き釣りを楽しんでいます。釣りの内容として夏から秋までは、アジ、いわし等をメインに釣果をあげています。アジのピークには、10〜15センチの小物ばかりが釣れますが、クーラーが一杯になるまで帰らないこともしばしばあります。そんな時は家に帰ってからが大変で、その小物の刺身を作っての夕ご飯から、3〜4時間かけての「アジの開き作り」となります。夕方に帰るなら良いですが、夜釣り後に帰った時などは日付が変わっても、やはり眠い目を擦りながらの「アジの開き作り」となります。それが完成するころには当然、私を除く家族全員は爆睡中です。
 冬の間は、大漁となる魚はいませんので護岸にある石積みの隙間に居る魚をねらっています。聞き馴染みのない魚ですがハゼに似た「ドロメ」や、どじょうに似た「ギンポ」がお勧めです。聞き慣れないご婦人方は何かと聞き間違えたように必ず目を丸くされますが「ギンポ」です。1m前後の竹の棒を準備して、大きめの針に魚の切り身などを付けて岩穴や隙間に放り込めば、必ず釣れるどん欲な魚です。どちらもヌルヌルでゼラチン質?で美容に良いかもしれませんが?…子供向け・初心者向けの気軽な釣りです。我が家の次男坊は「ギンポ釣り」が大好きで、釣りに行くたび沢山の釣果をあげています。家族で海に行かれたときには、子供向けの簡単な海遊びとして試されてはどうですか。

活躍するOB シリーズ
「頑張っています」新しい職場
(株)バンガードシステムズ 内海正富
内海氏は平成18年7月、東京地方連絡部東京地域援護センター長を2陸佐で定年退職。57歳)
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 「あなたの初仕事は中国出張です」平成18年7月24日、東京地連援護センター長を最後に、株式会社バンガードシステムズに入社したのが翌25日、出社先は成田国際空港。目的は、中国人研修生の採用試験です。場所は山東省青島から車で約4時間、青州市という人口約35万人の、中国では小さな田舎の市です。会社創立以来初めての事業で、私がその担当に指名されたわけです。この時4人の中国人女子を採用し、今年で第3期生を受け入れ、現在は総勢14名になりました。この子達の父親兼ねて営内班長として毎日楽しく勤務しています。
 我が社は半導体のテーピング加工と言って、精密機器製造工程の一部を主に行っているベンチャー企業です。私は総務部総務課長として勤務しています。職掌は人事、服務、施設管理、各種会議の主務担当、社内報の発行、ISO(環境)責任者としてのマネージメントなど多岐に渡っています。そして最重要な任務が社員教育です。社長は少年工科学校卒業で、約6年間の自衛隊勤務経験者で、自衛隊の教育を社内に取り入れたいために、私を採用した理由の一つと聞いています。
 昨年から「ビジョン2010」と銘打って、会社創立25年の節目を目標に教育体制を整えつつあります。教育目的達成のための思考過程の確立から教育実施まで、まさに自衛隊で学んだ成果が遺憾なく発揮されています。
 教育は社員のマナー教育から部課長などの管理職に対する指揮統率、人事管理、服務指導など幅広く行います。私も教官を担当する一方、コンサルタントの活用、研修・講習への参加を取り入れ、成果は着実に出ているものと自負しています。
 これら数多くの業務をつつがなくできるのも、自衛隊で培った体力・気力、知識・技能に加え、社員一人ひとりの理解と協力の賜である思います。そのためには誠意と協調性をもって社員と付き合い、時として、うまく自衛隊カラーを出し、社員全員と仲良く仕事が出来るように努めています。仕事帰りの一杯会や、休日のスポーツ観戦、名所旧跡巡りなど、仕事以外でもいろいろな年齢層の人達との交流を深めています。楽しい職場、親しい人間関係。民間といえども同じ人間の集まり。自衛隊での経験が十分生かせると思います。
 皆さんも現在の職務をきちんとやれば、民間でもきっとうまくやれるはずです。定年の日までしっかり勤務に励んでください。


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