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自衛隊ニュース   2008年5月1日号
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自衛艦旗授与式を挙行
《横監》
掃海艇「ひらしま」第2掃海隊配属へ
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 掃海艇「ひらしま」(艇長・須賀伸3海佐)の自衛艦旗授与式が3月11日、ユニバーサル造船(株)京浜事業所で挙行された。
 式は午前11時から始まり、多くの来賓が見守る中、横須賀地方総監・半田謙次郎海将から「ひらしま」艇長に自衛艦旗が授与された。その後、乗組員39名が乗艇、最後に艇長が乗艇し、艇尾旗竿で授与された自衛艦旗が掲げられた。半田総監は「本艇『ひらしま』は今後の海上自衛隊の掃海部隊の中核を担う新鋭の掃海艇である。諸官は運行安全に万全を期し、訓練に精励し一日も早く国民の負託に応え得る海上防衛力の一翼を担う部隊となるよう期待してやまない。須賀艇長の指揮統率のもと一致団結、良き伝統を築くよう切に希望するものである」と訓示した。
 午後1時過ぎ、多くの関係者の見送りを受け、「ひらしま」代表に花束が贈呈され、艇長挨拶並びに出港報告が行われた。「ひらしま」は、真新しい自衛艦旗をたなびかせながら、音楽隊の演奏が流れる中、誕生地を出港した。今後、佐世保を定系港とし、第2掃海隊に配属される。
 「ひらしま」は平成18年に進水。従来の「すがしま」型掃海艇に比べ総水量で約60トン大型化されたのに加え、最新鋭の情報処理装置、機雷探知機、機雷処分具等を配備し、機雷掃海機能を大きく向上させている。「ひらしま」の名前は、長崎県の五島列島東部・五島灘に浮かぶ「平島」という島に由来し、海上自衛隊においては初めての名称となった。

多数の来賓迎え、創立48周年を祝う
《駒門駐屯地》
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 駒門駐屯地(司令・軽部真和1陸佐)の創立48周年を祝う記念行事が4月6日に盛大に行われた。今年は3年ぶりに模擬戦闘訓練展示を実施したこともあり、老若男女を問わず、かなりの迫力に歓声と驚喜が入り交じる記念行事となった。
 記念式典では、来賓や感謝状受賞者等が臨席するなか駐屯地司令が式辞を述べ、「本年度は、防衛省改革の具体化等我々に対する国民の期待も高まり、より実効性のある組織改革や新しい任務の遂行が求められてきます。国際任務をとりましても現在も世界各国で自衛隊員は活躍しています。当駒門駐屯地から2名の隊員が参加しておりますネパールにおける国際平和協力業務など国際社会で高い評価を頂いております。このような環境の中で、我々も変化への対応を念頭において、『真に役立つ駐屯地』を目指し、事あるときにその力を最大限に発揮できるよう、常に物心両面にわたる即動態勢を確立しなければなりません」と、更なる駐屯地の部外に対する貢献と信頼の確立を要望した。
 式典後には、高射学校音楽隊が華麗な演奏を披露し、少工ドリル演奏はキリリとして見る者を感動させた。高校生を持つある親は「自分の子供とは全く違う」と感心した様子だった。
 模擬戦闘訓練展示では、迫力ある戦闘シーンを展開し、駐屯地各部隊の戦車・装甲車・対空誘導弾・自走架柱橋等はもちろんの事、OH-6や地雷原処理車など、他駐屯地の支援を得て本物の戦闘シーンさながらの訓練展示が行われた。特に戦車の空包射撃には皆驚いた様子で、間近で観る戦車等に感動する人が多々見られた。

隊内生活体験を支援
《倶知安駐屯地》
ホテルマンの卵24人が参加
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 北部方面対舟艇対戦車隊は4月11日から13日までの間、倶知安駐屯地で(株)加森観光ルスツリゾート新入社員の隊内生活体験入隊を支援した。新入社員24人は、将来ホテルマンなどとしての活躍を期待されている男性9人、女性15人で、2泊3日にわたり、隊員と同じ日課で自衛隊の規律ある団体生活や厳しい訓練の一部を体験した。
 1日目、被服受領などの準備を終えた後、午後から開講式に臨み、基本教練と体育訓練に汗を流した
 2日目はみぞれが降る悪天候のため、体力検定は3000メートルをシャトルランに変更して、体育館で実施。新入社員は、体力不足を実感し日頃の運動不足を反省している様子だったが、続けてレンジャー特技者の指導の下でロープ訓練にも果敢に挑戦していた。
 最終日には、この体験入隊におけるハイライトである10キロ行進訓練を行った。新入社員は、履き慣れない半長靴と肩にくい込む背のうの重みに耐え、互いを励まし合って全員が完歩した。閉講式終了後の記念撮影では、全員が満面の笑みを浮かべ、思い出深い体験入隊の全訓練を無事終了した。
 この隊内生活体験入隊で、研修生は自衛隊の規律の正しさや厳しさ、忍耐力などを体験し、これからの自分達の仕事や生活に生かすことを誓いながら駐屯地をあとにした。

雪月花
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 桜前線はどこまで行ったのだろうか。もう津軽海峡を越えたかもしれない。1年で最も市谷・四谷界隈が賑わうのはこの桜の時期だ。千鳥ヶ淵から靖国神社、飯田橋堤、市谷濠の桜に大勢の人が押しかける。毎年見る桜だが今年は特別の思いがあった。まさかと思う人がこの桜の時に相次いで亡くなったからだ。一人は小・中学校の同級生でガキ大将、最近まで猪撃ちの頭領で地元の若い衆を引っぱっていた、まだぴくぴく動いている心臓の刺身を食べさせられ参ったことが何回もあった。お正月休みには二人でばか話をしてきたがそのような感じはみじんもなかったが、のどに痰が詰まる病気だったそうだ。もう一人はいとこの次男で49歳。朝、玄関に新聞を取りに行ってその場に崩れこんだ。急性心不全だった。中国との仕事をしながら通訳をしたり本も何冊か出し、そのたびに読んでくれと社まで持ってきていた。あまりにもあっけない二人の結末に初めて「無常」という言葉を味わった。親が亡くなったときにも覚えなかった感情だ。「ねがわくは花の下にて春死なん」西行法師の句や、桜の花は恋しい人の化身だと何かで読んだことを思い出し、ことしの桜は特に大事に見たのだった。また自分自身にも「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」を当てはめたからでもある。まだ残っている桜もいつかは必ず散ることは誰もが知っているはずだが。(所谷)

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